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キャンパスは花の盛り

昼間、抜けるような青空がひろがる。 こんな爽快な日は1年に数えるほどしかない。

ここ数日、夜ともなるとひんやり肌寒い。 炬燵や冬布団がなかなか仕舞えん。

このまま推移すっと、まっこと冷夏かも。 地球もだいぶ壊れてきよったか…。


今日の午後、キャンパスを歩いとると、植え込みのあちこちで季節の花が。

こんなにも花があったんかいな!! 意外や意外。 母校もまんざら捨てたもんじゃ…。

本ブログ訪問者は、とくと目の保養をしてくんなはれ。



▼シャクナゲの花

和名は「石楠花」「石南花」。燃えるような深紅の花弁が強い陽射しに、一段と赤みを増す。

(クリックすっと、画像が拡大しやす)
シャクナゲ



▼トベラの花

別名トビラノキ。 西日本の暖流が洗う海岸近くでよく見かける常緑の低木~小高木(照葉樹の典型種)。

中国~朝鮮半島南部の暖温帯に分布。

小さな花は、咲きはじめは白く、やがて淡黄色に変わる(花も変化すっか!!)。

葉は先端が丸く、表面は革質で光沢を帯び、裏側に反る。 秋になると、果実が自裂し、小さな赤い種子が露出する。


昔は、節分(追儺)のとき、門扉に小枝を挿し込んで魔除けとした。 これが「トビラノキ」の由来とか。

「トベラ」は、これが訛ったものという(ありそうじゃな)。

この風習、半世紀ほど前、庵主も西海道の果ての地で、幼時に実見したことがあっぞ!!。

いまは廃れてしまい、誰もこんな風習知らんようになった(ホロリ)。じつに嘆かわしい。伝統文化の消滅だ。

生の葉を火に投じるとパチパチという弾けた音をたてる。この弾ける音が、爆竹と同様、邪鬼を退散させるのに効果があると信じられたのであろう。

この風習、トベラが分布する江南(長江下流域)の地に由来するのかも。

この植物も文化史のネタになりそう。学生にけしかけ、「植物の文化史」のジャンルでもつくるか。

トベラ



▼ヤマツツジの花

常緑低木として庭や植え込みによく使われる馴染みの植物。

ヤマツツジ



▼シャリンバイの花

和名は「車輪梅」。どこからこの和名が付けられたのか? 庵主には想像だにできず。

ソメイヨシノに似た白く小さな5弁花が団塊状に花を咲かせる。

深緑のやや光沢を帯びる葉縁が鋸歯状となっていて、見分けやすい。

潮風や公害に強く、道路の分離帯の植え込みや生け垣に使用。暖地の海岸部によく見かける。

シャリンバイ



▼ドクダミの花

和名は「十薬の花」「十薬」。薬草にされる多年草で、日陰を好み群生する。小さな花は4弁で白色。

草庵の裏庭にも自生。 触れると独特の臭みがある。 この匂い、庵主はかなんな。

乾燥したドクダミを煎じ、風邪、蓄膿症、便秘、高血圧、夏バテなどの薬とされる。

西日本の山間部では、花期に摘み取り、乾燥したものを麦茶代わりに引用するところもあるらしい(『花歳時記大百科』)。

「ドクダミ茶」は、便秘薬として女性に愛用されるようだ。某嬢にはお薦め。

ドクダミ


本記事で、月間アップレコードを楽々と更新。そろそろネタ切れに……。
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仔猫が誕生

1月ほど前、おばあちゃんの家で仔猫が3匹生まれたった!!!。

いずれも三毛猫。カワユーイ。


まだ目が開かず、ヨチヨチ歩き。産毛が綿のよう…。

写真撮ろうとすると、動き回って、なかなかピントが定まらず。


親猫に加え、新たに三匹飼うには、キャットフード代が馬鹿にならん。

いずれも器量よし。

ネコ好きで、お引き取りたい方には、どうぞ。

ただし、持ち家でないと飼育は無理かも。


(クリックすっと画像が拡大)
仔猫3


仔猫


仔猫2

世にも不思議な……

今回は、タイトルから期待されるようなホラー話しに非ず。


昨日は実に不思議な日じゃった。世の中、こういうことってあるもんだ。

授業を終え、研究室に帰る途中の研究棟の入り口で、うら若き女性と視線が??。

庵主はとんと見覚えのない美形の顔???

すかさず、その女性が「●●先生ですか?」と。

「そうですが…」と応えると、すかさず自己紹介の言葉が口を衝いて出てきた。

な、なんと、そのうら若き(強調するけど)女性は昨夏に出雲で調査していた折、ときどき夕食(鰻定食が自慢)にお邪魔していた「旅籠●●温泉」(以前にブログアップ)の若女将の娘さん!!!(フェー、オヨ、オヨ)。

今日から同じキャンパスにある事務室へ職員として派遣されてきたとのこと。

庵主の名前は大女将や若女将から耳にし、顔は新聞記事で見知っていたという。

こりゃ、「奇遇」以外のなにもんでもない。実に世の中は狭い。

これは出雲の神様のお引き合わせか!?

こちとらもあっ気に取られ、名前を聞き出すのをついつい忘れとった(アチャ)。

まあ、いいか。近くの事務室だし。


そういえば、昨秋からわが身に不思議なことがよう起きよる。

20年ぶりの再会、40年ぶりの再会もあったし、なんかが庵主に憑きまとっとるらしい。

ひょっとして、出雲の神さんが背後霊に……。そのうち託宣なんぞ聞こえて来っかも。

こりゃ、ちとアブない話しかな。

これからさき、何が起きることやら……。交通事故(今月、中国で3度も体験)だけはご勘弁を。


ビワのデザート

▼橙色に熟したビワの実

なんと、梅雨季節の果実の王者「ビワ」が草庵の食卓のデザートに!!!

5月にしては、熟すんのがちと早すぎるんでは……。

皮をむいてかじると、みずみずしくも、実がサクサクして甘ー。

幼少のみぎり(?)、庭の隅に生えていた樹高10mもあるビワの大木によじ登って、よく食べたもんじゃて。

いまとなっては、懐かしいかぎり。


(クリックすっと画像が拡大しやす)
ビワの実


▼次々と熟してくるグミの実

昨日は懇意にしている方々へ、おすそ分け♪♪。

30分ほどかけて、50個は摘んだかな。下の枝についている実はもぎやすいけど、高い枝についてんのを取るのが難儀じゃな。一工夫を要するな。

幸運にも、口にしたご仁は甘酸っぱい独特の味にご満悦。

写真に写っとるように、青から黄、橙、赤と徐々に熟すんで、あと1週間は収穫できるか。その頃会う手はずになっとる教え子たちよ、ご期待あれ!!。

おさきに鳥さんたちについばまれてもたら、ごめんよ。

鳥たちは、ことのほか赤い果実に敏感に反応すっからな。

青・黄・赤のグミの実




▼グミの木と青葉茂れるセンダンの木

こりゃ、いかなる取り合わせぞな??。

去年の夏に芽吹いたセンダンの若木が、1年も経ずして樹高4mをこえる木に急成長!!!。こういうことってあるもんだ(どっかのカラオケの歌詩で聞いたような??)。

十年もすりゃ、天上界まで届くかな(ジャックと豆の木の日本版?)

空が透けて見える青々とした葉がまた涼しげ。


落葉高木で夏は日陰をつくり、冬は葉が落ちて暖かい陽射しが注ぐんで、草庵の庭の草花を強い太陽光線から保護してくれるわい。

でも、真夏になったら、この木にはよう熊蝉があつまって来よる(ワナ、ワナ)。

朝早うから鳴かれっと、かしましうてかなんな。

けど、自然と共存すっのが庵主のモットーなり(汗)。

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グミの実とユキノシタ

日増しに色づくグミの実


1週間ほど前にアップした裏庭のグミの実が、いよいよ赤く熟しはじめてきた(ウキウキ♪♪)。

なんと去年より結実がだんぜん多い(ウハ、ウハ)。今年は懇意の方々に、おすそ分けできるわい。


熟した実を一つ口にふくむと、なんとも言えん甘酸っぱい味が口中にホワーッ。 こりゃ、堪まらん。仙薬かも。

ついばみに来る鳥どもに横取りされんようにせねば!!。 近くでカラスの鳴き声も……。

と言っても、これといった良策なし。鳥と共生(?)するしかないか…(ウ、ウ)。

これが自然との調和か…。

つまるところ、鳥との早食い競争か(トホホ)。 鳥さんたちよ、心してついばんでくれ!!。

庵主とその分け前にあずかるご仁たちのためにも……。



▼裏庭のグミの大木  樹高が4mにも。

(クリックすると画像が拡大します)
グミの実2


▼黄色く色づき始めたグミの実

グミの実1


▼完熟の実。まさに食べごろ(ゴックン)。光沢を帯びる薄い皮におおわれた実が、はち切れそう。

グミの実up




 グミの木の下に咲くユキノシタの可憐な花

「雪の下」という優雅な名称のほか、「鴨脚草」「虎耳草」の別称も(センスはいまいちなれど、たとえが面白い)。

日陰に咲く多年草で、毛におおわれたハート形の葉は地面に這いつくばるように生える。

春から初夏にかけて20~30cmの毛のついたやわらかい花茎をのばし、直径1cm前後の小さく可憐な花を咲かせる。

花弁は5枚だが、下の2枚は極端に大きく、上の3枚は小さなハート形を見せ、赤紫色の斑点がある。

中央部に9本の長い雄しべが、花火のように開く。この花は、自然がつくりだした最高傑作。



▼写真ではバックの落ち葉に溶け込んで、花が見えにくい。これも3月に円亭の女将から株分けされたもの。

毛だらけの葉は、天麩羅にして食べると美味という(まだ食っとらんけど…)。

花言葉は「片意地」とか。

この可憐な花のどっから、そんなイメージが湧くんかいな???

草花全体



▼ ユキノシタの花の接写。しおらしくも可憐。

花茎には、小さな産毛のような毛が。

草花up2



▼ ユキノシタの花の超弩アップ 

オ、オッ!!。  これは芸術的(?)写真だわい。  これまで撮った最高傑作。

個展でも開くとすっかな(汗、汗)。

花弁1

京田辺校地のオガタマノキ

今回は、卒業生のために京田辺キャンパスをアップ。

月曜は、このキャンパスへの週一の出講日。



前日来の大雨(大雨洪水警報発令)も午後には上がり、雲の切れ間に青空もちょっぴり顔をのぞかせる。

また、雲間からときどき射し込む陽光が風景に陰影をつける。



移転時に植栽され、20余年を経て生長した樹木が一段と新緑の彩りを増す。

京田辺校地の時間の経過を即物的かつ視覚的に示すのが、これらの樹木の生長だ。

あと20年も経てば、これらの木々が歴史を帯びたキャンパスの雰囲気を醸しだすことだろう。


▼京田辺校地のシンボル的建物;ラーネット館(図書館)

雨後の芝生が一段と青みを増し、綺麗だ。


(クリックすると画像が拡大します)

ラーネット館


▼知真館
知真館


▼正門付近
正門界隈


▼キャンパス内の継体天皇「筒城宮址碑」

京田辺キャンパスの正門を入ったすぐ右手に、継体天皇「筒城宮址」の石碑が立つ(もともとは同志社国際高校の敷地内にあったものを現在地に移転)。

継体天皇は、ヤマト王権の皇統が絶え(『日本書紀』は応神天皇5世の孫と記すが、にわかに信じ難い)、越前から迎え入れられた6世紀初めころの天皇(当時の呼称は大王;オオキミ)。

大和の地に入るまでの20余年間、枚方の樟葉宮、この筒城宮、山城乙訓郡の乙訓宮を転々と居を移した謎の天皇。



筒城宮址碑


筒城宮碑への昇り口の脇のミヤマキリシマの植え込みの中に、オガタマノキが1本。

新緑の青い葉に水滴がついた、可憐なオガタマノキの花を見っけ。

ミルキーホワイトの花弁に基部の淡いピンク色の花弁が色香を添える。

一見して、神々しい心象を抱かせる美しい花だ。

花弁の先が内反りになって先端がとがる形が、まるで蓮弁にそっくり。葉は革質で厚く、葉先がとがり、縁が波打つ。


オガタマノキは、古来、神社の境内に植えられてきたものらしい。

オガタマノキは「小賀玉木」、「御賀玉木」と記し、さらに小賀玉榊(おがたまさかき)、小賀玉木蓮(おがたまもくれん)、常緑辛夷(トキハコブシ)の別名をもつ。

その和名は、招霊(おきたま)の木に由来するという(『花歳時記大百科』)。

常緑樹を神霊が降下する神木としたところからすると、古代日本の神信仰はもともと西日本の常緑広葉樹が鬱蒼と茂る杜の中で生まれ育まれてきたにちがいない(庵主説)。

神が降臨し宿る、依り代としての樹木は、1年中青々とした緑をたたえる常緑樹でなければならなかったのだろう。ここに常緑樹が日本の古代人に与えた霊性とインパクトを見いだせないだろうか……。


▼オガタマノキの花
オガタマノキ


オガタマノキの花


卒業生の方たち、大学に入ってこのキャンパスに2年間通い続けた郷愁に暫し浸られただろうか。

イチハツの花

いま、草庵裏庭のイチハツ(当初、アヤメと誤認;お詫び)が花盛り。

五月はアヤメ、カキツバタの季節だ。平安神宮の神苑が見ごろかな。


この三月、「円亭」の女将に株分けしてもらったイチハツが見事に開花!!!。

早速、愛用の一眼レフを持ち出してマイクロレンズで激写。


イチハツはアヤメによく似る(庵主も誤認していた)が、茎がアヤメほどにはまっすぐ伸びず、また葉もアヤメほど長くならない。


アヤメとカキツバタの区別法は、花弁に網目文様があるのがアヤメ。一説によれば、この網目=文目(あやめ)がアヤメの語源とされる。また、葉先よりも花が上のほうに咲くのも特徴。


アヤメ(菖蒲)にちなむ歌が一首、『古今和歌集』に。

   「ほととぎす(郭公) 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな」(詠み人しらず)

錯綜とした織物の文(あや、綾)目に託し、ひたすら恋に溺れる心情を詠ったものとされる。

つまるところ、これは恋狂いの歌か!?  なかなか味わいがあり、意味深な和歌だ。 誰かに使えそうだな(フフフ)。

端午の節句ともなると、剣先状に尖る菖蒲の長い葉(剣や刀の代用)を戸ごとに出入り口の軒先に挿し込んで魔除けとした。また菖蒲の葉を束ねて菖蒲湯も。その香りがまたいい。

端午には鯉のぼりがつきもの。また、田舎では勇壮な武者絵を描いた長い幡を竹に掛けたもの。

庵主が幼少の頃、田舎で普通に目にした、今では懐かしい光景だが、これも遠からず滅んでしまう運命か……。

滅びゆくものに妙に情がひかれる。


▼一株のイチハツの花。

(クリックすると画像が拡大します)
アヤメ


▼咲き競うイチハツ花の接写

アヤメ花Up


▼青紫の色合いがなんともいえん。

アヤメ花Up2


▼裏庭の狭い空間を覆うグミの巨木が早くも赤い実を!

今年は、グミの果実が鈴なり。

甘酸っぱい果実を思い出し、生唾を飲み込む。

市場には出回らないグミの実をお裾分けできるか…。昨年、口にした方は、乞うご期待。

グミの実


▼日陰に咲くヒメジョオンの花

ヒメジョオン

麺打ちショー

ホテルの歓迎宴での余興。当ホテルお抱えコックによるスペシャル・ショー


山西省は、陝西省と並んで、うどん、スイトン、餃子、饅頭などなど小麦食文化の本場だ。

滞在中、主食も麺攻め。滞在中、米飯を見たのは朝食バイキングの楊州チャーハンのみ。

もちろん、水田などお目にかかったこともない。朝のお粥も「粟粥」。米を排除することでは徹底しているようだ。



宴は、白酒(高粱・小麦を原料とした度数の高い蒸留酒)の乾杯から幕を切って落とされる。

庵主は、体を気遣って「竹葉青酒」という低い度数の酒で付き合うことに。

宴もピークになると、白酒の乾杯の嵐が吹き荒れる。小さなガラス杯がコップに変わる。



食事が一息ついたところで、アトラクションとして、麺打ちの[出し物]を披露。食事の中に遊びがある。これも文化だ。


麺の捏ね台が用意され、予告アナウンスの後、コック姿の主役が2人、説明役の女性を伴って登場。

アトラクション中、皆、箸を動かす手が止まる。


▼麺の引き延ばし。 引き延ばした麺を二重にしてさらに引き延ばす。

(クリックすると画像が拡大します)
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▼あれよあれよという間に、8000本の麺に!!  触ってみると、ソーメンよりも細い。

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▼頭上での麺伸ばし。引き延ばした麺がまるで生きているよう。

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▼麺の背面回し。クルクルと、鮮やかなお手並み。難易度C

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▼刀削麺の的当て芸。的との距離2m。飛んでいく削麺を見事にカメラがとらえる(見えるかな)。
的を外したのは2回だけ。フーム、よく練習しとるわい。難易度A

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▼帽子の上に固定した麺粉を、両手の刃物で削りながら捏ね台の上に削り落す芸。
 煮たぎった湯釜の中に放り込む刀削麺のヴァリエーション。難易度B

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かくて20分ほどのショー、終えリ。

老朋友との再会

5月7日、老朋友と1994年の太原国際シンポジウム以来、16年ぶりの再会。

初めて中国を訪れた18年前の春浅い3月初旬、丁村遺跡を訪問した折、懇切に現地と博物館を案内してくれた老朋友陶富海先生を自宅に訪ねる。今次の訪中で再会を心待ちにしていたので、会う前から心が騒ぐ。

陶先生は、民俗調査でこの村を訪れる日本人研究者とも知己で、いささか日本語を解する。日本からお土産に著書を持参。


顔を合わせるや、いきなり相好をくずし、柔和な笑顔で固く握手。掌の暖かいぬくもりが伝わってくる。

まずは長年のご無沙汰を謝す。

通訳を介し、近況と健康を問う。76歳になっても現役パリパリ。訪ねた時も、地元の新聞記者のインタビューに応じる活躍ぶり。とても76歳とは思えない。

丁村遺跡の見学をご子息の周倜氏にお願いし、かつてヒトの頭骨化石を出土した地点の地層と遺跡の遺存状況を確認する。

遺跡付近は、小麦畑が青々とあちこちに広がり、既に穂を出している。この辺りでは稲作ができず、漢代以来、小麦を栽培。2000年来、それがこの地方の主食だ。


陶宅で心づくしの昼食を御馳走になる。



▼新春の門札も色鮮やかな農家の門構え。赤地に金文字が一段と映える。

(クリックすると画像が拡大します)
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▼屋敷の外に建つ小さな祠廟。祖霊を祀るか。

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▼陶氏(左端)との16年ぶりの再会に話がはずむ。

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▼陶宅での心のこもった昼食。
食卓に豚肉、ピータン、キュウリの酢炒め、緑豆で作ったトコロテン風、大豆の煮もの。

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▼主食の小麦粉を焼いたもの。ナンに似ている。
ちょっぴり焦げ目がつき、それが香ばしい。

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昼食後、次の目的地に向かうため、丁重に礼を述べ、辞去。

次に再会するのは、いつになることか……。

山西省歴史博物館

数年前にオープンした、まだ真新らしい博物館。

外面は階段ピラミッドを逆さに伏せたような奇抜な形。

内部は五階に分かれ、中央が八角形の吹き抜けになっている。


展示品をゆっくり見学するには、半日を要する。1時間半ほどの見学は、北朝時代の仏教彫刻の展示コーナーでタイムアウト。

中国の省級の博物館はどこも、日本の国立博物館をはるかに凌駕する展示品を備える。
とにかく、日本と中国では文明の質のレベルが違う。これは見学した誰もが抱く実感。にわかに信じがたい人は、そこに自ら脚を運ぶべし(百聞は一見に如かず)。



ここの博物館の見どころの一つは、国家成立期の臨汾市陶寺遺跡(約4500年前)からの数々の出土品とジオラマ。

黄河文明の発祥地はどこか?。 最初の国家はどこに出現したのか?

いま、この問に考古学が解答を与えようとしている。

山西省を北から南に貫く汾河(黄河支流)流域が、中国人考古学者の熱い眼差しを集めている。

解放後の中国考古学史は、まさに司馬遷が2100年前に『史記』に叙述した神話を史実として証明してきた半世紀でもある。

日本人の古代史研究者は、『史記』が記述する「夏」時代の実在にきわめて懐疑的であるが、これは『日本書紀』の人皇10代の記事が虚構であることを、そのまま中国の歴史叙述に重ねてしまうところに起因する。

つまり、自分の国のフィルターを通してしか外国史を見れない、という一種の視野狭窄症にかかっているようなもの。



▼山西歴史博物館外観

建物の上部両端がファインダーに収まりきれない。

(クリックすると画像が拡大)
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▼山西省出土の彩陶

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▼山西省出土の彩陶

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▼ギリシャのアンフォラとよばれるワイン壷にそっくり。

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▼太鼓形壷

底部側に孔が開けられている。似たような器形が縄文土器にもある。中国人考古学者は、口縁部に皮を張って太鼓として使用したと考えている。

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▼鳥形銅尊

青銅製酒器。後ろを振り返った鳥の姿に造る。尾がゾウの鼻の形をとる。

頭の上に角状のものが突き出る。鷲のような曲がった嘴をもつ。背中に小さな鳥形のつまみがつき、開閉できる蓋となっている。

おそらく、鳳凰のように古代中国人が発案した想像上の霊鳥なのだろう。

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▼玉製首飾

墓葬から副葬品として出土。王の一族が身に帯びた装身具。各パーツを紐で綴って首から垂下したものであろう。
飾りの段が多いものほど、高い身分をあらわしたものか。
血の色をした瑪瑙とトルコ石が白玉にアクセントをつける。他の装身具を見てると、赤い瑪瑙を特に好んだ種族らしい。

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▼石棺

側版の外面に狩猟場面を浮き彫り。中央にひときわ大きく獅子か豹を配置。

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世界遺産「平遙」を訪ねる

「平遙」は太原から高速道路で約1時間ほどのところにある。

平遙は、五台山とともに山西省が誇る世界遺産。城壁に囲まれた市街地全域を保護している。



ここは明代以来、「浙江商人」と並ぶ「山西省人」の根拠地。いわば、中国の資本主義の発祥地の一つ。

「浙江商人」は主に塩の販売で財をなしたが、「山西省人」は金融業(金貸し;銀行の濫觴)で巨万の富を築いた。


街の随所に金融で巨富をなした商家が軒を連ねる。国民党時代まで、その子孫が居住したのであろうが、解放後、商人たちは追い出され、旧邸宅だけが主人を変えて遺存したのだろう。ここにも変転した近代史の影が…。


18年前、山西省を訪れた時には列車で素通りし、車窓から城壁を垣間見ただけであった。

その時からの悲願かなって、今回初めて城内を見学。山西商人が残した文化財にまじかに接する。

北門の外で、電気自動車に乗り換え、せせこましい城内の一般居住区が整然と立ち並ぶ街路を抜け、南門の内側に到着。ここから徒歩で鐘楼前まで散策。城内には街路樹がなく、街中が灰色の煉瓦の単調な色彩に埋まっていた。


▼北門横の城壁

灰色をした煉瓦造りの城壁が四周を延々と囲む。城壁の内側には煉瓦積みがなく、版築した土壁となっている。

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▼南門

3層の門楼が南門の城壁の上にそびえる。街の規模が小さいので、北京や西安の門楼とは較べものにならない。

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▼南門から入って城内を南北に貫くメイン街路。街路の奥に鐘楼が小さく見える。

街路の両側には、観光客目当ての土産物屋、骨董屋、旧商家が目白押し。

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▼街路で見かけた小さな旧商家の店構え。

木造2階建ての年代がかった建物だ。2階部分は天井が低い造りで、京都の古い2階建て住居に通じるものがある。
軒下に灯篭を吊り下げ、鴨居の上の羽目板にさまざまな人物を描いた彩色絵を掲げる。


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近づいて、嵌め絵を見ると、劉海という名の素足の男が金のカエルを見つけた状景を描写しているようだ。男は、銅銭を貫いた紐をしっかり手にしている。どうも故事を描いたものらしい。



▼富商宅で見かけた連銭紋の絵。

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▼豪壮な富商邸宅

1階に店を構え、その奥は2つの中庭を持つ煉瓦造りの2階建ての居住区となっている。2つ目の中庭の奥には祖先の霊を祀る場所となっている。

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▼ 富商宅の門の鴨居に描かれた連銭文。下の欄間には2頭の龍を描く。

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平遙を訪れると、城壁、門楼、場内の居住区、鐘楼、鼓楼がそのまま遺存し、500年前の明代の町にタイム・スリップした感がある。しかも、現在なお、数万の市民が生活する場所でもある。

明代の建物の保存状態はよく、世界遺産に登録された理由が納得される。


太原晋祠探訪

5月8日。 太原を離れる前に、郊外(太原の西南25km)の晋祠を訪問。

過去、太原を3度訪れながらも、ここに来たのは初めて。


紀元前7世紀ころ強盛を誇り、1600年ほど前に滅亡した「晋」という国は、今でも山西省民の郷土愛のシンボルとなっている。

これまで何度となく中国各地を旅してきたが、韓国の百済や新羅の故地と同様、この地域ほど「晋(国)」に対する愛着が強いところを知らない。

日本では、「晋」とか「晋国」といっても聞き慣れない方がほとんどだろう。

「晋祠」は、晋の地に封じられた唐叔虞(周の武王の子、成王の弟)を祀り、当初、唐叔虞祠と呼ばれた。。

一帯は市民公園となっている。その奥まった一角に晋祠廟がある。


入観料を払って門楼をくぐると、広い境内となっている。中心建物は、「聖母殿」とよばれる宋時代創建の木造建築だ。


現存する木造建築としては、五台山麓の佛光寺にある唐代の東大殿に次ぐ。1000年近く戦火に遭わず、遺存したのは驚異だ。奇跡といってもよい。

しかも五台山のような深山幽谷の地でなく、太原という北方からの異民族の侵入に何度となくさらされた場所がらだ。


▼休日で、ごった返す公園ゲート。

聖母殿の背後の山腹に睥睨するかのように一廟宇が立っている。

新緑の柳の葉が目に優しい。

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▼牌楼の前に建つ鉄製武人像(北宋代)。

手にもつ武器を失っているが、精悍な顔つきが特徴だ。ひとが撫でていくのか、表面は黒光りの光沢を帯びる。

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▼「対越」の扁額を掲げる牌楼。

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▼「聖母殿」

北宋の太平興国九年(984)建立。晋祠の中では最古の木造建築。

正面の庇柱間7間×6間、高さ19m。2層屋根の重厚な建物だ。

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▼柱に巻きつく木製の龍。一つ一つ姿態が違って面白い。木彫龍としては中国最古(北宋代)の作品。


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▼聖母座像と侍女

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▼侍女の彩色塑像

豊満な唐代の女性像の面影を残す。

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▼役人の像

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中国の草花

5月の山西省旅行で折にふれて撮影した花々。

旅情をなごませ、庵主には見逃せないシーン。

華北の五月は開花の季節。長く寒い冬を耐えぬいてきた植物も春の到来を謳歌。

北京の街路の分離帯に咲く洋花もきれいだが、山野に人知れず咲く野生種の花が可憐で興を引く。



▼人里に咲く花

譚剰干+444_convert_20100514052956 野生のアンズ(佛光寺付近) 五台山とその周辺の山の斜面で野生のものをよく見かける。この辺りが原産地か?



100508螟ェ蜴滓刹逾  スモモ(李)の花。 太原市晋祠



100508螟ェ蜴滓刹逾 スモモ(李)の変種? 同じ枝に紅白の花をつける。太原市晋祠



100508螟ェ蜴滓刹逾  フジの花  太原晋祠



丁村Loc.100遺跡-205web  アカシアの花 臨汾市




▼桐の小文化史

山西省や陝西省の田舎でよく見かけるのが屋敷の隅に植える桐の花。白と薄紫の花をつける桐の木があるが、後者は珍しい。

桐の原産地は華北であろう。日本には原産しないので、中国から伝わったものであろう。その時期ははっきりしない。

昔、日本の田舎では、女の子が生まれると桐の木を植える風習があったが、聞けば、中国(華北)でも同じような風習があるという。これは、中国から桐が伝わったことを示唆する。

桐は成長が早く、20年もすれば箪笥が作れるほどに成長する。材は軽くやわらかで、湿気を通さず燃えにくいことから、下駄、工芸品、琴、琵琶などに使用される。嫁入り道具の材にするため、桐の木を植える風習が広まったのであろう(『花歳時記大百科』北隆館)。

太原晋祠の大聖母殿の脇に植えられていた桐の木は、幹回りが一抱えもあり、高さが20mをこす大木になっていた。

桐の語源は「切り」に由来するという説も。

桐は、中国では鳳凰(龍とともに皇帝のシンボル)の住む木として尊ばれ、この思想を受け日本でも皇室の裏紋章として「五七の桐」が用いられた。

足利義満がその桐紋を拝領し(義満が創建した京都相国寺の境内から出土した軒丸瓦は桐紋をあしらう)、武家の棟梁のシンボルとして織田信長、豊臣秀吉に引き継がれた話はあまりにも有名。

譯占干+293_convert_20100513230557  桐の花  山西省臨汾市

譯占干+294_convert_20100514061719  同上





▼山野に咲く野花(山西省呂梁山地で見かけた野花) 

螟ァ蟇ァ逵悟壕蝓朱式+092_convert_20100513230942  名称不詳。毒を有し、ウシやヒツジも口にしないという。



螟ァ蟇ァ逵悟壕蝓朱式+112_convert_20100513231342  名称不詳



螟ァ蟇ァ逵悟壕蝓朱式+102_convert_20100513231045  名称不詳



螟ァ蟇ァ逵悟壕蝓朱式+122_convert_20100513231218  名称不詳



丁村Loc.100遺跡-239web  アザミの花

五台山の一日

日がな一日、仏教聖地「五台山」の内台を散策。夜来の強雨で、黄砂が洗い落とされ山並みがくっきり。

「内台」とは、四周を山で囲まれた、主要な寺院が密集する清水河沿いの盆地をさす。


【五台山の沿革】

五台山は道教の修行地の一つとして出発したが、北魏孝文帝(雲崗、龍門の石窟寺院を開鑿)の頃、華厳経の流布とともにその聖地としてあがめられるようになった。

唐代になると、文殊菩薩信仰の隆盛を受け、高宗・則天武后の庇護のもと文殊菩薩道場として公認された。毎年、勅により唐朝から莫大な宝物(金銀、袈裟等)が施入された。そのありさまは、円仁の『入唐求法巡礼行記』に詳しい。

しかし、唐武宗会昌年間の廃仏毀釈令、五代の戦乱で五台山は衰微するものの、宋の太宗以下3代の保護を受け回復する。このころから、チベット佛教(ラマ教)が五台山に流入しはじめ、元代になるとフビライをはじめとする歴代皇帝の庇護を受け、寺塔の建立が盛んとなり、五台山仏教の再興がはかられた。

清朝になっても歴代皇帝の庇護を受け、康煕帝、乾隆帝はこの地を訪れている。

いまや五台山は漢族の地にあって唯一のチベット仏教の聖地となっている。

ラマ教は、チベット族、モンゴル族、満族が信仰する主要な宗教で、現在、五台山に残る寺院はラマ教の強い影響を受けていることがうかがえる。



▼万年雪を抱く北台(菩薩頂から)

約1200年前にこの地を訪れた円仁は、「五つの峰は丸く高くなっており、樹木は生えていない。」と記している。
森林限界を越えたところに峰が突き出ている。北台(3058m)の南側の稜線下には、氷河地形らしいものが望見される。

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▼東方の山頂から内台の盆地内を俯瞰。遠くに雪を抱く西体が見える。

(クリックすると画像が拡大)

蜿ー諛宣式+655_convert_20100512164725  東方の山頂より内台を俯瞰。




▼内台の中心的な建物は「菩薩頂真容院」。盆地内の小高い丘の上に南面盤居する。あたかもラサのポタラ宮を連想させる。

108段の急な石段を登りつめたところに壮麗華美な「牌楼」が建つ。煩悩の数を越えたところに別天地が拓けるか。

扁額に「霊峯勝境」とある。この牌楼は木製で、清代に重建されたものであろう。長年の風雨にさらされ、彩色絵画が剥落しかかっているのが痛ましい。

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▼清朝の皇帝もたびたび訪れた菩薩頂の大雄宝殿。

黄釉の瓦で葺き、皇帝のシンボル龍と鳳凰の装飾に贅を凝らす。一時、行宮としても使用されたらしい。

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▼菩薩頂大雄宝殿前にたたずむ僧侶

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▼棟に宝輪(密教の儀器)を載せる堂宇。左右に向き合わせの鹿が1対。

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▼「五体投地」の僧

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▼菩薩頂(大白塔の彼方)を南側から遠望。五台山の写真でお馴染みのアングル。遠景の雪山は北台。

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▼塔院寺の巨大な大白塔。ラマ教特有の塔形式。

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▼菩薩頂の南麓にある顕通寺の鐘楼。春浅く、アンズの木々は硬い蕾をつけたまま。

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▼台内の精進料理レストラン。聞くところによれば、寺院が経営しているとのこと。
一皿40元とべらぼうに高い。小麦、豆腐、キクラゲ、揚げ物をベース。

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▼精進料理の品々。ビールをはじめとするアルコール類は法度。

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太原で見かけたネコ

最近、中国でネコがふえてきたか???

そういえば、18年ほど前に訪れたときには、こんなに見なんだ。食糧事情が好転した結果か(?!)。


▼この白ネコ、最近はやりの巨大レストラン(著名な観光地の近くで営業。数百名を収容可。昨秋の国際シンポジウムでも閉幕式に使用)に棲み着いたもので、餌が豊かなのか丸々太っちょる。

老師の家の飼いネコも顔負け。最近、また子猫が3匹増えよった(トホホ)。

白ネコ、レストランのテーブルの間を、客や従業員の目をはばからず悠々と闊歩。

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▼五台山で見かけたネコ

太原のレストランのネコと違って、なんと痩せほそっていること。

五台山という土地柄、精進料理のせいでこうなったのか?

顔の表情もなんとなく冴えない。このネコ見てると、いまの中国の貧富の差を感じさせてならん。

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▼太原の民家の近くで見かけた家ネコ。手招きすると、人なつっこく、脚元へ近寄ってきた。

顔写真を撮るチャンスを見逃してもた。

わが家のネコと毛並みといい、長いしっぽの輪っかといい、そっくり。

太原の猫

黄河の壷口瀑布

山西省吉県にある柿子灘遺跡群から20余キロのところにある黄河の「壷口瀑布」を訪問。

両岸が切り立った砂岩の河谷を、悠久の黄河が流れている。対岸は陝西省だ。この付近の川幅は200メートルほどか。

有名な黄河瀑布は、山西省側のパーキングする川岸からは見えない。「壷口瀑布」の看板はあるものの、滝はどこだ??。

川岸の階段を下りて、両側に土産物屋が立ち並ぶ道を通り過ぎて小さなアーチ橋を渡った先、川底が一段下刻されたところに瀑布が突然姿を現す。

(クリックすると画像が拡大)
螻ア隘ソ逵∝」コ蜿」轢大ク・032_convert_20100512094719  黄河の河原と土産物屋



河原のあちこちで、先生に引率された中学生たちが瀑布を思い思いにスケッチをしている。



滝口に近づくと、水しぶきが全身を濡らす。水面上には七色の虹が。

黄色い水流が滝つぼに落ち込む光景は壮観だ。

100506鮟・イウ轢大ク・シ亥悸・・038_convert_20100512094806 滝壷と虹



螻ア隘ソ逵∝」コ蜿」轢大ク・042_convert_20100512095013 陝西省側にかかる滝


100506鮟・イウ轢大ク・シ抵シ亥悸・・050_convert_20100512094840  轟々と音を立てる濁流




滝の脇に「龍洞入口」の表示があり、入口付近で中年の男が呼び込みをやっている。

入り口を少し入ったところで料金を徴収される。入り口には料金表示がないが、ここは有料(20元=300円)だ。

狭い螺旋状の階段が付けられたトンネルを降りて行くと、滝下に出る。足元をときおり上げ波が洗う。

螢コ蜿」轢大ク・セ肴エ・058_convert_20100512095210 龍洞から見た滝壷。濁流が脚元へ押し寄せる。

中国で出遭った交通事故

何が起きるかわからない中国の旅。

1週間の旅行の間に、なんと3回も乗車がらみのトラブルに遭遇。



その1

太原空港から市内のホテルへ向かう道路の真ん中でトラブル(接触事故?、車を道路脇に寄せんかい!)のため停車中のトヨタ高級車に、送迎のマイクロバスが急ブレーキをかけるも間に合わず約40キロのスピードで追突。

バスの運転手、脇見でもしとったんかいな。非はマイクロバスに。



衝突と同時に、わが身は前のシートの背もたれに激突!!。 不幸中のさいわいにも、われわれには怪我なし。

追突の瞬間、座席の脇に置いていたカメラバッグが姿を消した???。シートの下を潜り抜け2メートル先の床の上で発見。

おシャカになり、旅行保険で新品のカメラに買い替えられるか、と不安と期待感(?)でシャッターを試しに押すと問題なく切れる(ヤレヤレ、残念?)。

事故車は道路の中央で停車したまま。1車線になったため、後続車は渋滞に巻き込まれる。

バスの脇をパトカーが事故をわき目に見ながら2台通過(アレレ)。

追突されたトヨタ車の後部はグチャグチャ。この修理代、追突した側が3万元(45万円)を払うことで示談成立。


今回の旅行の先行きが思いやられる、幸先の悪い事故だ。途中の町で夕食を済ませ、太原へ帰着したのは23:00過ぎ。





その2

五台山から太原への帰途、五台県の佛光寺に近い豆村という小さな町を通過中に、4~5歳の子供が不意に車道に飛び出し、間一髪、子供から僅か数十センチの距離で急停車。


莠泌床逵瑚ア・搗+450_convert_20100511212608  信号もない豆村の市街道路。


子供はショックで道路上に座り込んだまま。あとは、例によって黒山の人だかり(物見高いのは中国人の習性)。

子供の母親とバス運転手の間で口論がつづく。車がひっきりなしに通る道路付近で子供を野放しにしている母親も悪い。

子供が車と接触した形跡はない。念のため、子供を病院へ搬送し診察するも外傷はない。子供を病院へ運んだ車の持ち主は300元=4500円という法外な額を請求(善意の市民を装いながらの吹っかけ)。



まもなく巡回のパトロール車が駆け付けるも、事故処理に当たる気配もない(どうも権限がないらしい)。

ここからが大変。

近くの目撃者は自分の腹のあたりを指して、あたかも子供と車体が接触したように警官に説明している(ここにもしたたかな思惑が……)。


1時間半ほど経って、やっと事故処理の警官4~5人が到着し現場検証。マイクロバスの停車位置、車体外面をデジカメで写真撮影し、同行の中国人通訳から事情聴取。

この間、運転手は地元の警察での事情聴取で不在。運転手が現場を離れ際にバスが盗まれないように依頼。

「警官が近くにいるから大丈夫」というと、通訳が「その警官が一番危ない」と(ハリャー、絶句)。

事故処理係の警官たちは、やおら巻き尺をもちだし、ブレーキをかけたタイヤ跡から車が停止した位置までの距離を計測(これは日本の場合と同様)。

子供の母親の要求を装い示談交渉に移る。母親、目撃者、警官、運転手をふくめて1時間強交渉が続き、結局、3000元(日本円で4万5000円)で示談成立。

あとで通訳に訊ねたら、母親の手には1銭も渡らず(??)、騒いだ目撃者や処理に当たった警官の懐に入るらしい(ハァ~!!)。

こりゃ、事故をネタにしたゆすりか??。はからずも、一連の経過の中に中国の一面を見せてもらった。

この間、マイクロバスは道路の真ん中で4時間ほど立ち往生したまま。警官も道路脇にバスを寄せる指示も出さない。

なんとも事故処理に手間のかかる国だ。おかげで太原のホテルに帰着したのは23:00過ぎ。

疲労困憊。

部屋に入って、崩れるようにベッドに横になったまま、朝まで目が覚めず。

NEC_0016.jpg  現状保存中のマイクロバス。





その3

午城鎮から数キロ離れた午城黄土の模式地見学の帰り道、切り立った断崖の道で軽自動車の山側の前輪車軸が破損し、急停車。

崖際の車軸が折れていたら、あわや高さ50メートルもある谷底に転落の場面も(冷汗)。

ツイテいる。もし谷側の車輪の軸が折れ、急ブレーキをかけなかったら谷底に真っ逆さま!!。

螟ァ蟇ァ逵悟壕蝓朱式+127_convert_20100511213957  故障した軽ワゴン。右側は断崖絶壁。


螟ァ蟇ァ逵悟壕蝓朱式+113_convert_20100511222515  事故現場付近の峡谷。

佛光寺参観

皆さま、お待たせしました。

連休期間に中国山西省を訪問してたため、ブログの更新がままならず(ブログへの接続を試みるもアウト??。中国の国内事情によるものか?)。

訪問中、仰山ネタが集まったので、折を見て逐次アップ予定(乞うご期待!!)。



まずは長年の悲願かなって、中国仏教の四大聖地(山西省五台山、四川省峨眉山、浙江省普陀洛山、安徽省九華山)のひとつ五台山を訪問。

古くは玄、霊仙、円仁という入唐僧も五台山を巡礼。


五台(北台、中台、西台、南台、東台と呼ばれる五つの独立した峰々)とよばれる2400~3000メートル級の山頂(台)に立つと、文殊菩薩、佛光、瑞雲が現われたとする数々の瑞祥、奇跡譚を残す。地形上、内懐鎮とよばれる四周を高い峰々に囲まれた盆地や山腹に多くの寺廟が建つ。


五台山の地形は、釈迦が法華経を説いたインド北部の霊鷲山の地形に通じ、霊鷲山信仰の中国バージョンとみてよい。
南山城の金胎寺(山岳寺院)も同様な地形の地に建つ。天上界に近く、俗世を離れた深山山岳に悟りを拓く道場として
重視されたのであろう。

現存する寺院の多くは、清朝皇帝の庇護もあってラマ教の影響が濃い。菩薩頂はチベットのポタラ宮殿を想起させる立地を見せる。


五台山は、天台宗留学僧の円仁(慈覚大師)が9世紀初めに訪れた仏教聖地として日本でもあまりにも有名(行跡は『入唐求法巡礼行記』に詳しい)。


最初に訪れたのは、五台県城の東北32キロ、南台の山麓にある佛光寺(全国重点文物保護単位=日本の国宝級)。
周囲を山に囲まれた霊境の地に建つ。


▼佛光寺山門

(クリックすると画像が拡大)
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仏教に帰依した北魏孝文帝がこの地を通過したとき、佛光を目にしたことから一寺を建てた(5世紀末)のが佛光寺の始まりとされる。五台山の通称108座の寺廟のなかでも最古の建築を誇る。


現存する東大殿は、唐宣宗大中10年(856)に重建されたもので、現存する中国最古の木造建築物。
戦火・戦乱で消亡した木造建築が多い中で、奇跡的に遺存した貴重な文化財。


夕闇せまる前の1時間ほどの滞在であったが、観光客もほとんど見かけず、静寂な境内に俗心が鎮まる。



▼佛光寺境内。

中央上の木造建築物が東大殿

東大殿の前には、樹齢数百年を経た松と柏の巨木が一対、鬱蒼とした枝を伸ばす。

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▼経憧 八角柱の各面には願文を端正な楷書体で刻す。

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▼ 東大殿安置の文殊菩薩像

東大殿の本尊は、獅子にまたがった文殊菩薩。また仏壇上に35体の彩色塑像(唐代作)を遺存。

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