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ネコも日向ぼっこ?

いよいよ秋学期が始まって、「9月病」たけなわ。 夏休みモードからの切り替えがなかなか。


朝方、車を待っとると、屋根の上でなにやらうごめく気配が??。


ここんとこ急に気温が下がり、子ネコが背中を陽に向けて甲羅干し?。 


よく見っと、背中の毛がところどころベトついとる。毛づくろいしとったんかいな。


この五月におばあちゃんちで生まれた三匹の三毛猫のうちの一匹(5/29の記事参照)。 


しばらく見んうちに、ずいぶん大きくなりよった。まだ、産毛がのこっとる。



脚の裏を舐めては、その濡れた手で顔をぬぐう仕草。


それから、脚の付け根を舐めはじめた。


身づくろいが一段落すっと、前脚を揃え、カメラに向かって「ポーズ」。


この仕草、やっぱし雌ネコだったか(ガックリ)。


ひょっとしたら、三毛猫には珍しいオスかと期待してたのに。



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テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

北上山地に秋の気配

フィールド調査中に、岩手県北上市の山野で小さい秋を見つけた♪。

紅葉には程遠い濃い緑に覆われた北上山地。 夜半からの雨で、一段と鮮やかさを増す山並みが美しい。 



▼北上山地遠望(花巻市宮沢賢治記念館から)。この方向に見えるはずの北上山地最高峰の早池峰山(はやちねさん、1917m)は、あいにく厚い雲に隠れて見えず。ムムム、残念

P1010066_convert_20100925201044.jpg(クリックすっと、画像が拡大)




北上山地の麓の起伏の多い山野を車で走っていると、西日本とは一風異なった植生が目に入る。

青々とした深緑のしじまに、わずかに色彩のアクセントを添えるのはアカマツの幹だ。

ここのアカマツ林は、東北でも有数のマツタケの産地。遠野市はその名で著名。

▼マツタケの宝庫「アカマツ林」

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今年は遅くまで猛暑が続いたため、地温が高く、マツタケの成長が遅れているという。高値の花は必至。

リンゴや柿も猛暑の影響が…。


この辺りでは、西日本でよく見かけるモウソウチク(孟宗竹)の林をとんと見ない。いまごろ、畦道を彩る彼岸花も目にしたことがない。彼岸花は、この地にはもともと少ないらしい。




▼赤く色づいた病葉(わくらば)。夏場の高温のためか黒い斑点が。

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▼芽吹き始めたススキの穂。中秋の名月のお供えに欠かせない。そういえば、今日(22日)は中秋だ。

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▼深紅の実をつけたガマズミ。赤い実の先から雨雫が滴り落ちようとしている瞬間をショット。

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▼荒れ地に咲く野菊の花。薄紫の花弁が辺りを払う。

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▼これも野菊の一種。雑草に埋もれた直径1cmほどの小さな花。ついつい見落としそうになる。

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調査が早く終わったので、【みちのく民俗村】に立ち寄った。

北上市の北上川左岸の谷あいにある。この「みちのく民俗村」には藁葺き屋根の古民家や歴史的建造物を集約し、十数棟を移築保存してある。

10年の歳月をかけ、平成4年(1992)にオープン。

陸奥の近世・近代の庶民生活を実体験できる貴重な歴史的施設だ。

毎年投じられるメンテナンス費用も馬鹿にならないと見た。既に移築18年を経過し、藁葺き屋根の傷みがひどいものがある。写真の商家の奥の屋根が朽ちてきてる。

葺き替えを要する建物も、財政逼迫で修理もままならないのだろう。

このままでは、民俗村の設立に奔走した先人の労が無に帰しはしないか。



▼北上市の藁葺き町家(北上市「みちのく民俗村」)。幕末~明治初期の酒家。妻側に店があるのも面白い。

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▼上の商家の奥にしつらえられたアサガオ棚。

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▼水色の花をつけた見事なアサガオ。夏の名残りを感じさせる。

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「銀河鉄道の夜」のモデル橋

遠野市宮守町(旧宮守村)での調査の途次、この町のシンボルとなっている通称「めがね橋」に立ち寄った。


この橋は、大正4年(1915)に開通した岩手軽便鉄道(現JR釜石線)の鉄道橋梁の2代目である。目測によれば、全長約70m、高さ約15mほどのアーチ橋。右側のアーチの下を国道が通過する。


現在の橋(昭和18年改築)は鉄筋コンクリート製アーチ橋だが、敷設当初の橋は石造りの高い橋脚の上に橋桁を渡したものだった(軽便鉄道時代の写真から判読)。いま、古い橋脚が川の上に2本だけ保存されている。


軽便鉄道の開通当時は、沿線には人家もまばらで、車窓から見えるのは満天の星空だけだったようだ。


宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』のイメージは、この橋を通過するSLから生まれた。


線路が少し傾斜をもった「めがね橋」を通過する蒸気機関車が、満天の星空ー銀河ーに昇っていく場景を宮沢賢治にひらめかせたのだろう。

ムム、なんという想像力ではないか。これは天性のものだ。

なにごとにつけ、こうした想像力がないと一流にはなれん!。



『銀河鉄道の夜』の原風景となった「めがね橋」を見に観光客が訪れるのか、周辺整備が進んでいる。

同行の方の話では、整備される前はこの一帯に田圃がひろがっていたらしい。



整備にともない、屋根つきの展望台が設置され、長椅子の脇にさりげなくJR釜石線の「時刻表」が貼ってあった。

観光客へのなんとも心にくい気配りだ。橋上を通過する電車をショットする観光客には、この気遣いが泣かせるではないか。




▼整備された公園の芝生の奥に「めがね橋」が。絵になる風景だ。

NEC_0450.jpg(クリックすると、画像が少し拡大)




▼周辺整備にともなって設置された「恋人の聖地」碑。ご丁寧にも、その脇に二人だけかけられる長椅子がしつらえてある。

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▼めがね橋を通過するブルーに塗られた2両連結の電車。20分待って、通過する瞬間をショット。あいにくデジカメの電池が切れ(トホホ)、携帯に切り替えて撮影。

橋上を通過する時間は3~4秒くらい(フェー)。撮影カットの保存に時間がかかるデジカメだと、シャッターチャンスはたったの1回だけ(汗、汗)。

なんともスリリングな撮影だ。

横で同行の院生が一眼レフカメラで連写するシャッター音がかしましい。

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▼花巻空港の売店で見つけた「銀河鉄道」ストラップ。ついつい衝動買いしてもた(アハ)。ここでしか手に入らないデザインのグッズだ。なかなか商魂たくましい。

アレ?、レ、レ。この機関車はD51ではないかえ? 「弁慶号」ならずとも、せめてクラシックなタイプをモデルにしてよ…。

このストラップ、凹凸が多く、あまり実用的でないな(シュン)。

380円と安かったし、だれかに土産にくれたろ(アハ)。

銀河鉄道strap(圧)


陸奥を旅する庵主

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

陸奥の初秋を彩る花

21・22日、急速に秋への足取りを早める陸奥(みちのく)花巻・北上を訪れた。


新幹線の新花巻駅から少し東に入った東和町にあるホテル「フォルクロ―ロいわて東和」に宿泊。

宮沢賢治が名付けた「銀河鉄道」(JR釜石線)の沿線にある。低い山が周囲を取り囲み、陸奥の原風景の中に溶け込む。客室から田園風景が楽しめる。


隣接して広い浴槽をもつ「東和温泉」があり、宿泊者は無料で入浴できる。露天風呂が人気。湯質も悪くない。

宿泊料金もリーズナブルだ。花巻に来たときの定宿になった感が。



夜明け方に秋雨前線が通過し、激しい雨一過、朝方に気温が急に下がる。半袖では肌寒く、あわてて長袖シャツにベスト、ウインドブレーカーを着用。


朝食後、中庭と隣接する畑を散策し、色とりどりの秋花を見つけ、ショット。



▼「フォルクロ―ロいわて東和」の中庭。庭木の葉が赤く色づき始めている。秋はそこまで来とる。

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▼中庭で飼われているヤギが2頭いた。人懐っこく、近寄ると目がカワユーイ。

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▼秋を代表する花コスモス。雨に濡れた濃いピンク色の花弁が艶っぽい。

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▼花瓶に挿してあったトリカブトの花。淡い青紫色の花弁があでやかだ。根は猛毒をもつ。聞けば、この村里のあちこちに咲いているという。

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▼一重のシロフヨウ(芙蓉)の花。

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▼ナスの花。薄紫の花がなんとなく可憐だ。

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▼カボチャの花と実。果実が変形した変種。

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テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

帰ってきたノラ母子

3日間、草庵を留守しとったら、出奔(?)したはずのノラが舞いもどってきよった(トホホ)。


昨日の夜まで、とんとネコの気配がしなかったのが、一夜明けてみると……。


草庵の庭で、子ネコどもの動き回る気配が!。


様子を見に縁先を覗くっと、歓迎されざるノラどもがいたいた。
 

それも庵主愛用の大事な椅子の上で、5匹が団子になって気持ちよさそうに寝そべっとるッ。ウウーッ。


デジカメを向けると、3匹は必死こいて遁走したが、写真の2匹だけは悠然としとる。


あまつさえ、カメラに向かってポーズまでとりやがって。ついに媚びに訴える策に出よったか??

敵も猿もの、引っ掻くもの。


またまた、一計を講じねば……。知恵比べがしばらく続きそうじゃわい。




▼椅子の上で、こっちの出方をじっとうかがう子ネコども。

舞い戻った仔猫(クリックすっと、画像が拡大)




▼仲良し兄弟子ネコか。カメラに向かってポーズまでも。

仲良し兄弟ネコ




▼悠然と子ネコに乳をやるノラ親猫。どこで食糧を失敬しとんのか?? 

留守の間に草庵の庭をゴミダメのようにしよってからに(ムラムラ)。


ノラ猫親子


この1週間、宮沢賢治記念館のキャラ・ネコといい、なんかしらネコづいとるような…(ウ、ウッ)。

どげんかせんと、いけんばい。


洛倭亭庵主

テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 日記

ネコ・キャラのオンパレード;宮沢賢治記念館Ver.2

七年ぶりに、花巻市にある「宮沢賢治記念館」に。これが3度目の訪問となる「リピーター」。


岩手に来たら、ここは見逃せない、絶対おススメのホット・スポットだ。なんといっても宮沢賢治の直筆や精神にふれ、心を和ませてくれる。近くに「宮沢賢治イーハトープ館」「宮沢賢治童話村」「博物館」という見どころもある。一日かけて、ゆっくり鑑賞・散策すんのもいい。


とこっで、宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」を知らんのは、よもや,、おらんだろな!?……。

待てよ??、今度うちの学生に聞いたろ。なにしろ、名にしおう「ゆとり教育世代」だもんな(笑)。



賢治の童話を一度読んだら、読者をファンタスティックなメルヘン世界に引きずり込まれずにはおれない。



宮沢賢治(1896~1933)は花巻生まれ。死後に谷川徹三らによって紹介され、再評価され名声を博した人物だ。

「死後の評価」って、いたく勇気づけられるな(ムッー)。

世の中の志ある者よ、死後の評価に期待して、「誹謗ニモ中傷ニモメゲズ」せいぜい頑張ろうて(アハ)。

ナニ?、ナニ?、「死後の評価じゃ、悲しい!」。やっぱしな(笑)。なら、生きとる間に認められるよう、大いに奮闘努力せねば(ハァー)!!




小さいときから岩石に特別な興味をいだき、花巻で賢治に叩かれなかった岩石はなかったそうな。

そういえば、賢治の作品には黒耀岩、捕虜(捕獲)岩をはじめ、やたら岩石名が出てくる。彼がつくった県内の地質図が展示されている。案内の岩手の地質学者に聞くと正確だそうな。盛岡高等農林学校で地質学を学び、岩石標本とともに愛用のクリノメーター、ルーペ、顕微鏡が展示されている。




世間体には詩人、童話作家として著名だが、宗教家、教育者、農業技術者、鉱山技師、地質学者としても知られる。このひとこそ、正真正銘の「知識人」だ。範にせにゃならん。


一つのことしか能のない輩は「専門バカ」だそうな(昔、大学の先生が言われとった。ポロリ)。





▼北上川と胡四王山。 雨で増水し滔々(とうとう)と流れる北上川。その背後にある丘の中央尾根上に「宮沢賢治記念館」がある。建物が周囲の自然に溶け込んでいるのがいい。これぞエコ博物館。

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▼宮沢賢治記念館の駐車場で見たレトロなタクシー。ウーン、以前、見んかったな。

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▼宮沢賢治記念館の外観。奥が展示室。手前は事務室と図書資料室(宮沢関係の図書等を2000冊収蔵)。

宮沢賢治記念館(補正)




▼館横の「よだかの星」彫刻。栗原俊明作。

よだかの星彫刻(圧))




▼同上Up

よたかの星Up(圧)






▼入り口の横でネコの事務員(ぬいぐるみに非ず)が入場者をお出迎え。間にある椅子は記念撮影用。心憎いばかりの配慮だ。
ついつい庵主も座って、スナップ写真を1枚!(公開できんけど)。

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▼記念館からの北上川遠望。 花巻市街と稲穂が熟した北上平野。遠くに見えんのは奥羽山脈。中央右に「ぎんが大橋」。その手前に宮沢が名付けた「イギリス海岸」がある。

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▼記念館を取りまく落葉広葉樹林。これまた東北の原風景だ。樹間に差す木漏れ日が目にやさしい。

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▼窓いっぱいに落葉広葉樹林が広がる喫茶コーナーにてアイスコーヒーにチョコケーキ(これがまた美味い)で休息。星型のグラスが奇抜だ。

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▼駐車場の横に建つレストラン「山猫軒」(童話「注文の多い料理店」に因んだレストランと宮沢賢治グッズ売店が入る)

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▼「山猫軒」案内板。クマみたいな顔の山猫。なんか、フテブテささえ感じるな。

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▼「山猫軒」入り口に掛けられた表札。目の描写がちと怖いな。手にしたフォークとナイフ、客が食われてしまいそう(ワナワナ)。ついつい、店に入るのをためらいそう。


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▼「山猫軒」入り口に掛けられた表札。こっちの黒猫は優しそうだ。「ご遠慮はありません」の句がまた…。

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▼隣にある軽食堂。

山猫軒レストラン2


▼メニュー「山猫カレー」。どんな味がすんだろ。

山猫カレー





ずいぶん、記念館の宣伝してやったような(笑)。5回も訪ねたら、館の賛助会員にでもしてくれっかな(笑)。


洛倭亭庵主

テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

杜の都”仙台”

7年ぶりに東北随一の都会、杜の都「仙台」を訪れた。かつての伊達家62万石の城下町だ。


仙台空港に降り立ち、以前には見かけなかったJR鉄道が引かれているのに驚く。仙台へのアクセスが断然よくなった。あとで敷設するぐらいなら、最初から引けばいいのに。なんか、チグハグでは?


訪問先は東北大理学部の自然標本館。青葉城の裏手、山を登りつめた高台にある。仙台駅からはレトロな巡回バス”るーぷる仙台”(一方向のみ運行)でゆうに20分はかかる。


よくもこんな不便な場所にキャンパスを造ったもんだ。自家用車がなければ、まさに登山ではないか(韓国の大学には珍しくない)。毎日100mの比高差の坂をヨタヨタ歩いて通勤すると、エネルギーを費消してしまって研究どころでは…。

利点として、たしかに高いだけあって見晴らしはよく、また天国に近いことは近いが…(笑)。




翌朝6時過ぎ、都心部にあるホテルを抜け出し、いまだかつて散策したことのない青葉城址を目指す。

せっかく仙台に来たからには、ここを訪ねないとあとで皆に馬鹿にされそうだ。

青葉通りを抜け、青葉城大手門跡の手前、広瀬川に架かる「大橋」の袂でタクシーを止め、「青葉城恋歌」にも詠われた広瀬川を欄干から見下ろす。


▼広瀬川の下流を望む。鴨川とあまり変わらない川幅だ。

猛暑の京都から来ると、浅瀬のせせらぎが涼をよぶ。

陽光にきらめく浅瀬を見つめてると、名曲「♪広瀬川、流れの岸辺、想い出は帰らず♪」(「青葉城恋歌」)の歌詞を思わず口ずさむ。



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▼上流側。淀んだ川面に青々とした緑の木陰が映る。これもまたいい。

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大橋を渡って坂を少しのぼったところに大手門がある。かつて大手門櫓がのこっていたが戦災で焼失。


いまはその隅櫓だけが、白壁の鉄筋造りで復原されている。


東北の大藩伊達家62万石の居城「青葉城」の面影をうかがえるのは、わずかにこの建物だけだ。


タクシー運転手の話では、かつて市のシンボルとしての天守閣を復元する話が持ち上がったらしいが、やがて沙汰やみになったという。学者たちが反対して再建できなかったらしい。


▼大手門隅櫓

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大手門を入って右手の木立に囲まれて支倉常長の銅像がひっそりと立っているのが目に入った。

伊達政宗の特命を受け、1613年メキシコ経由で遠くスペイン国王、ローマ教皇のもとに遣わされ、ローマ市民権を与えられた人物だ。またカソリック教に改宗。天正遣欧使節に先を越されたとはいえ、日本人の名をヨーロッパにとどろかせた。帰国後はキリシタン弾圧を進めた政宗から疎外され、失意のうちに世を去った。時勢に翻弄された人物だ。


▼支倉常長銅像

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▼天守台への入り口「詰ノ門」跡と護国神社の鳥居

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▼天守台。この坂をのぼりつめたところが天守台。やたら広い。いうに千畳敷はあろうか。

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▼天守台石垣。切り石を隙間なく積み上げた城壁。天にもとどきそうにたかい。

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▼天守台に立つ伊達正宗像。よく知られた銅像だ。馬上から仙台の街を見下ろす雄姿。

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▼麓から100m以上の比高をもつ天守台跡から仙台市街を眺望。麓を広瀬川が流れる。

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▼天守台の奥に立つ護国神社。創建当初の天守閣は、この辺りにあったらしい。早朝のため閑散とし、誰ひとりとして参拝者はなし。

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青葉城に登って考えたこと。

この城は、近世城郭の中心をなす「平城」にあらず、中世に流行った要害堅固な山城そのものだ。

この城を散策すると、県北の岩出山城から居を移した政宗の心中が透けて見えてくる。


天下が徳川家康によって統一され平和な時勢をむかえても、この武将は戦時体制を解かなかった。


狭小な内陸盆地の米沢から身を起こし、奥州を武力一筋で切り従えながらも、中央の権力者に屈服を余儀なくされた政宗の中央権力に対する徹底した不信感が、この城の縄張りに如実に反映されている。


政宗以降の歴代藩主も藩祖の遺伝子を引き継ぎつつ、その教えをひたすら墨守し、やがて幕末の激動の政局をむかえる。

藩論は真二つに割れ、両極を揺れ動き、近代化への大きな時勢を読み取るのに失敗した。

政宗の中央政権不信感と恐怖感、孤高の青葉城の縄張りに看取される防御思考が、しまいにはこの藩の行方を運命づける原点になったと見た。


洛倭亭庵主





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仔猫5匹来襲

3日前、前触れもなく、生後3ヵ月ほどの仔猫5匹が床下に居ついて(汗)。


親猫(ノラ;写真)は、以前からちょくちょく顔を出していたのだが……。


いったい、どこで子ネコを産んだんかいな???。


元気の塊(かたまり)みたいな子ネコどもで、猛暑で下草が枯れ果て見通しが効くようになった裏庭(かつての花御所も無惨)を運動場に変え、大事な植木鉢をひっくり返すやら、家の中に入りこんではカクレンボ、大捕り物(いたちごっこ)となるやら、いやはやとんでもない事態になってもた(ワナ、ワナ)。


闖入者のくせに、よくも「傍若無人」に振る舞いよって。にっくきニャンコらめ(ムラムラ)。怒り心頭!


このままにしておくと、わが草庵を乗っ取られることにもなりかねん(アワ、アワッ)。


そこで一計を案じ、「兵糧攻め」作戦を発動すっことに。


先ずは、親ネコをターゲットに。


食べ物がないと、子ネコにやる母乳も出まいって(ウフフ)。


▼不敵な面構えの親猫

DSC_1990_convert_20100729074941.jpg(クリックすっと、画像が拡大)


すっと、作戦発動2日目には子ネコの姿が見えなくなり、鳴き声も聞こえなくなってもた。


ネコの気配もバッタリ途絶え……。シメシメ。


生存に欠かせない食い物をもとめて、きっと放浪の旅に出たに違いない!


「兵糧攻め作戦」、まんまと成功だっす!!




それにしても、出雲での「夜の捜査線」(前回ブログ)といい、最近、妙に「捕り物」劇がまとわりついとるわい(汗)。


次は、どんな捕り物が待ちうけとることやら(ワナワナ)……


洛倭亭庵主




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夜の捜査線!?

調査出張で、出雲市の砂原海岸にある「マリン・タラソ出雲」に投宿。


このホテルは、大社湾を臨む海浜に建てられたリゾート風ホテル。海水をくみ上げた大きなプールが売りだ。

大社湾を隔てて、修復中の出雲大社の覆いも望める。



▼「マリン・タラソ出雲」外観。3階建てなるも、1階は駐車場よりも下になる。

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▼「マリン・タラソ出雲」のシンボルマーク。波と太陽と月をあしらったもの。エコ宣伝みたいだ。

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天気がいいと、日本海の水平線に沈む真っ赤な夕陽の眺望は、まさに絶景だ。

夜は、心地よい潮騒の音が子守歌代わりだ。 教え子たちよ、新婚旅行に悪くないぞ(アハ)。

また今のシーズンには、スズムシ、コオロギ、キリギリスなどの大合唱が聞ける。秋の季節感を先取り♪♪。

まてよ、ホテル側からブログの宣伝費もらうの忘れとった。



オゾンの匂いがする潮風を満喫すべく窓を開けていたら、部屋の明かりが呼び水となり、キリギリスが次から次に闖入してきた。

ざーっと数えても、天井、壁やカーテンの上部に10匹はいる。どうもこの虫は、習性として高い場所が好きらしい(職業柄、観察がすぐ出ちまう)。



▼カーテンにとまったキリギリス

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▼ガラス窓に張り付いたキリギリス。足先に吸盤でもあんのかいな。レ?、レ?、片方の触角の先がない。

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夜の大捜査線、大捕り物の末7~8匹を逮捕して外に追放したものの、1~2匹がどこに隠れたものやら……。

ルームライトを消してしばし寝入ると、暗闇の中、けたたましい鳴き声で目が覚める。

どこに潜んでいるものやら、一向に姿かたちが見えず。

どうも、ベッドの下が怪しい。でもそこまで調べる元気もない。

灯りをつけると、すぐ鳴きやむ。夜半、イタチごっこを2~3度繰り返す。


たかがキリギリス1~2匹のため、夜もおちおち眠れず。

そうこうしているうちに、東の空が白んできた。ベランダに出ると、朝焼けの茜雲が美しい。


次の日に泊まった客は、夜中に突如キリギリスがけたたましく鳴き出し、さぞかし肝を潰したことだろう。

それを連想すると、ちと罪悪感に……。



▼ホテルの裏は礫浜が延々と続く。右端に水平線が!。

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▼朝焼け。大社湾の向こうに見えるのは「国引き神話」で知られる島根半島。

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かくして、リゾートホテルの想い出(!?)の一夜は明けぬ(トホホ)。

寝不足でのフィールド調査、辛かったな。それも自業自得というものか(アチャ)。

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夏草や…

秋~よ来い、早~く来い。

久方ぶりに台風一過の出雲の地を訪ねた。

日本海の海風が心地よい出雲は、陽射しはきついが、むせかえるように湿度が高い京都にくらべたら爽快。



伊丹発出雲行きのSAAB300は36人乗りのプロペラ機。平日なのにほぼ満席状態。

約55分間の飛行で出雲空港へ着陸。高度5000mまで上昇したら降下する弾道飛行だ。

宍道湖上空から湖面を見ると、アオコの帯が! 今年は例年にもまして水温が高く、異常発生しているのだろう。



4日間、出雲市に滞在し、炎天下のフィールド調査にいそしむ。

この間、滴り落ちる汗にまみれながら山野を跋渉し、熟しはじめたクリやイチジクの実、野花に接する機会を得た。

久しぶりの花のアップ♪♪。

暑熱のもとの調査でふと目にする色彩鮮やかな花は、心身を癒してくれる。




▼青々としたクリのイガ。直径10cm近くある。イガの色が褐色に変わると収穫だ。秋もまじかい。

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▼熟し始めたイチジクの実。出雲の多伎というところはイチジクの産地だ。レストハウスの「イチジク館」、「イチジク温泉」もある。
おやつにイチジク味のアイスクリームを初めて食したが、なかなかいける。お土産に持って帰れないのが惜しい。

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▼芭蕉の若芽を見つけた。黄色い宝珠形の大きな芽だ。

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▼クズの花。緑の大きな葉と白、赤紫、薄紫のコントラストが美しい。クズ根からとれるクズ餅は冷やして、キナコにまぶして食べると最高だ。

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▼タラの小さく白い花。春先に芽を出すタラの芽は食用にされる。天麩羅にして食べると、なかなかイケる。

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▼垣根にまとわりつくツル科の色鮮やかなノウゼンカズラの花。

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▼可憐なカタバミの花を接写しようとすると、蝶がとまった。

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▼10cm弱の背丈の草花が、あたりを払うように深紅の可憐な花をつける。図鑑を繰っても名がわからん。

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昨年のいまごろ目にした野性のユリの花が見えない。猛暑のせいなのか。

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テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

恵みの雨

長いこと、日照りが続き、草庵の庭の手塩にかけた自慢の植物が枯れ出してきた(フェー)。


7月の「宵山」の梅雨明けを告げる雷雨以来、本格的な雨が降った記憶がない。

お盆に、脱出するように外国へ旅立った。留守にしていた2週間、日本は記録的な猛暑に包まれた。

北京のホテルのBSテレビニュースでは、熱中症で死亡したひとが3桁の数字にのぼっているとか(ワナワナ)。

「日本に帰りとうない」との思いが切々…。




2週間ぶりに帰国すっと、「花の御所」を夢見てここ2年間丹精込めて育ててきた草木が、あわや枯死寸前(ワナワナ)。

朝な夕なに水を給し、蘇生を試みる。

なんとか枯死だけは回避(ホーッ)。それにしても、昼間の高温はいかんともしがたい。


▼枯死寸前の草花。

P1010014_convert_20100908112248.jpg(クリックすっと、画像が拡大)


▼枯死寸前から蘇生中のヤマツツジ。昨年の誕生日に愛弟子がプレゼントした苗木。下のほうに小さな青い葉が芽吹いてきた。まだ秋でもないのに周囲には枯れ葉が散乱。

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こんなとき、昔の人がウマを龍神に捧げ、ひたすら「雨乞い」をした気持ちが痛いほどわかる。人事がおよばないときには、ひとえに神仏に頼るしかない。

笑うなかれ、それが偉大なる祖先たちの生活の知恵というもんだ。




早朝、雨が庭の自慢のグミの木の葉を叩く音に目が覚める。その雨音があたかも「常世」の音曲のように聞こえて心地よい。これこそ、まさに「天助」」「慈雨」というもんだ。


▼生き返った草花、萎えとった葉がシャキッとしてきよった。

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▼枯れかかっていた紫陽花の葉が復活。

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台風9号の影響で、日本列島をすっぽり覆った太平洋高気圧が南へ一時的に押し下げられたのだろう。今日の最高予想気温も珍しく30℃。

ネットの天気予報では明日からまた35℃の暑さへ逆もどり。またかいなー。

いったいいつになったら、”トロピカル日本”は今となっては懐かしい「温帯」にもどるんかいな(ブツブツ)。

パンツ脱いだら、もう脱ぐもんがありゃせんがな!。私生活がバレたかな。

こんな旱(ひでり)がまだまだ続くときにゃ、一億の日本人が一丸となり、首相の音頭で「雨乞いの日」を特別に設けて、全宗派が大同団結(信条を脇に置いといて)し全国一斉に「雨乞い」やったらどうやろて!?(アハ)。

この名(迷?)案、政治家どもや知識人ちゅうのが外国の目をはばかって、たじろぐのは目に見えとる。


ウウっ、庵主、この暑さで脳がやられてきよったかな???。


「雨乞い」願望の庵主どした。

テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 日記

受難の古寺

泥河湾盆地東半の河北省側を管轄する陽原県内にある唯一の仏教寺院を再訪した。

過去にも1度訪れたことがある。

ここにも悲しい歴史(近代史)が秘められている。


最初にこの無住寺を訪ねたとき、ところどころ瓦が剥がれた建物が一棟、桑乾河を見下ろす台地端で秋風にさらされている情景を見て、寂寞とした気分にとらわれた。

周囲の人家の造りとは異なり、廟宇と見てとった。

案内者の説明では、1970年代、中国全土に吹き荒れた「文化大革命」で、この寺院も破壊の対象となったという。泥河湾村の教会堂と同じ運命をたどったのだ。悲惨な近代史の荒波をかぶった現実があった。

前回、初めて朽ちた堂内に足を踏み入れると、仏像の姿はなく、磚を敷き詰めた床に唐辛子が干してあるだけで、壁に描かれた見事な筆運びの彩色線描の仏画(清代)だけがわずかに寺廟としての面影をとどめていた。

金泥で描かれた冠をかぶった観音菩薩を中心に十二神将を配した人物群像が見事なタッチで表現されており、これを描いた絵師はただものではない。




今回、近くの虎頭梁遺跡を訪ねたとき、ふと、もう一度この寺を見たい願望に駆られた。案内人に5分間だけでも車を寄らせるようにお願いした。

その後、この寺がどうなっているのかを知りたかった。また、初めて同行した日本人研究者たちの目に触れさせたかった。

鍵を預かる村人の家に寄り、堂宇の鍵を開けてもらった。

建物の外観には変化がなかったが、堂内に脚を踏み入れると、真新しくきらぎらしい容貌の三体の仏像が内陣に配置されていた。壁の三面には以前に見た仏画がそのままあった。

案内してもらった初老の村人を家まで送り、別れ際に赤く熟したトマトを一袋贈られ、車内で一つ口にしたら甘く、心遣いにジーンときた。

堂宇を再訪して、中国人の精神面での成長を自分の目で確かめることができた。かつて共産主義思想のとらわれ、他の宗教、思想を許さなかった文革時代からしてみれば、なんと大きな進歩ではないか。中国人の心のゆとりさえ感じさせる。

中国に対する偏向・興味本位の報道が目につく日本のマスメディア報道とは違った、中国の姿と中国人の心に接することができたのがうれしい。




▼青龍寺遠望。淡いピンクと白い地層が剥き出しの台地の上に、堂宇と崩れた土塔が風景に溶け込むように小さく見える。手前の緑豊かな森は、桑乾河の氾濫原。

DSC_0505青龍寺遠望(3)編集(クリックすると画像が拡大します)



▼青龍寺の近景。白い雲と抜けるような青空をバックに3間×3間の切妻造りのお堂が大きく見える。

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▼青龍寺塔跡。浸食で失われそうな台地端にかろうじて張り付く土の塊と化した塔跡。塔の異存状態から、かなり年月を経ていることが直感される。

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▼青龍寺からの泥河湾盆地の眺望。眼下に氾濫原を一望でき、「見張り場」としては最高のロケーションだ。この一帯に後期旧石器時代の遺跡が群在する理由を垣間見た思いである。

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▼お堂の前に無造作に転がされている石彫刻が、ふと目にとまった。以前に訪れたときはなかったように記憶する。

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▼二匹の龍が頭を向きあい、身をからめた見事なレリーフ。建物の腰板に使われたものだろうか・

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▼人面獣身のレリーフ。かなり風化しているが、入念に縁どりされた四角い枠の中に彫り出された図像を判読できる。

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▼河を渡る2頭の鹿のレリーフ。風化・剥落が進んで題材が読み取りにくいが、右側に青海波文の上に2本の角を生やした鹿と思しき動物が描かれている。この地に残る故事を描写したものか。左半部の描写は不明。


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どの国、どこの地でも悲しい歴史をかかえる。近代という時代は、個人の思惑を超えて大きなうねりが個人を不幸に陥れた。はたして人類は進歩しているのか、という設問になかなか答えが見つからない。

壮大なる泥河湾の景観

8月下旬、中国河北省の泥河湾盆地(北京の西約200km)の考古・地質予備調査におもむいた。

ここは東アジアの更新世(250~1万年前)地質・考古遺跡の名だたる宝庫。

まさに大陸の雄大な自然景観が一大パノラマとなってひろがる。日本でこれに似た場所は北海道の日高平野ぐらいのもの。ただし、スケールの大きさからすれば、てんで比較にならない。

泥河湾盆地の一端を紹介する。

なお、泥河湾盆地の地理、沿革については、8月30日のブログ記事を参照されたい。



今回紹介するのは、いま世界の考古学者が熱い視線を注ぐ泥河湾盆地東部にある100万年前台の人類遺跡だ。

ここにある馬圏溝(溝底)遺跡では、なんと175万年前(古地磁気年代測定と地層の堆積率による)の遺跡が見つかっている。東アフリカのオルデュバイ遺跡と肩を並べる古さだ。

中国の歴史は五千年どころか、気の遠くなる途方もない地質時代までさかのぼる。

人類の揺籃地とされるアフリカ大陸以外でこれほど古い年代の人類遺跡が見つかっているのは、この泥河湾盆地とグルジア共和国のドマニシ遺跡(約177万年前)だけだ。かつて180万年前とされたジャワ原人(インドネシア)は、近年の年代再測定によればもっと新しくなる。

現在知られている世界最古の石器が東アフリカで約250万年前とされ、初期人類がわずか80万年足らずで東アフリカからユーラシア大陸を横断し、中国北部の泥河湾盆地にたどりついた勘定になる。

中国の人類学者は、国内での人類の発生を信奉する(多地域進化説)が、古生物学的証拠、年代論からいえば、人類アフリカ起源説がだんぜん有利だ。

アフリカでは、正確に年代づけられた初期人類の化石が豊富で、しかも類人猿から初期人類への進化過程が豊かな人類化石の出土であとづけられる。つまり、生物進化の証拠がそろっているのだ。

それに反して、泥河湾盆地では100万年前代の石器や動物化石を出土する考古遺跡が豊富であるにもかかわらず、人類化石は見つかっていない。ここが中国人研究者にとって大きな泣きどころだ。

中国の他の地域でも人類化石や石器が発見されているが、測定された年代に大きな問題を抱える。しかも、これまで見つかった初期人類化石はホモ・エレクトウス(原人)に限られ、東アフリカで見つかるようなホモ・エレクトウスに先行する初期人類化石を欠く。

また、ヒト科が出現する前の禄豊猿人(雲南省)も知られているが、それらは500万年前頃に絶滅しており、中国最古のホモ・エレクトウス化石(陝西省藍田遺跡;115万年前)とをつなぐ人類化石は知られていない。

つまり、ホモ・エレクトウスが東アジアで独自に進化したと考えるのは困難だ。

これらの証拠から、人類の「アフリカ起源説」は揺らがない。

それにしても、泥河湾盆地の100~175万年前の石器を残したのはどのような人類だったのか、また彼らはどこを通ってやってきたのか、どのような生活を送っていたのか、多くの謎がのこされている。それを解明するのが人類学、旧石器考古学だ。




▼100万年代の遺跡が集中する大田洼台地の遠望。比高90mの荒涼とした台地の崖面に、湖の底に堆積した地層が帯状の縞となって連続して見られる。

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▼大田洼台地斜面のup。湖底で水平に堆積した地層が重なって見える。

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▼大田洼台地上の盆地を見下ろす崖上に「泥河湾地質遺跡」の碑が立つ(7年前に訪れたときには見なかった)。一帯は国家レベルの自然保護地区に指定されている。

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▼立っている人物の足元から続く痩せ尾根上に小長梁遺跡(約120万年前)がある。かつて年代をめぐって論争がおこなわれた遺跡だ。右奥の谷底に175万年前の馬圏溝3遺跡がある。

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▼泥河湾村付近の遠望。中央に盆地を貫流する桑干河が見える。その右上に泥河湾村教会の白い尖塔がかすかに見える。手前の村は油坊村。

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▼泥河湾村教会

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▼盆地を背景に日中共同研究チームの記念撮影。

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▼浸食谷の疎林。右下に廃棄された窖洞(ヤオドン)。左手の山腹に放牧された羊の群れが白い点となって見える。

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▼泥河湾層(手前)と盆地の景観。斜面は段々畑に。 

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雲崗石窟

8月の調査の途次、7年ぶりに山西省大同市にある雲崗石窟を訪れた。1992年に初めて訪ねて以来、3度目の訪問となる。

前回訪れたときは世界遺産指定直後で整備修復工事が進められている最中だった。それも完成し、観光地化し趣が変わったという印象を強くした。とくに傷んだ外壁や周辺の整備がおこなわれ、一変したところもある。ちと、やり過ぎでは。


雲崗石窟は、敦煌、龍門とならぶ中国三大石窟寺院跡だ。石窟のルーツは、はるかインドまで辿ることができる。

大同市の西15キロに位置し、長さ1キロにわたって53の石窟が穿たれ、5万1000体の仏像がある。

北魏文成帝の5世紀後半(日本では古墳時代中期)に開鑿がはじまり、唐代までおよんだ。

北魏は、ツングース系の鮮卑族が建てた征服王朝で、はじめ平城(現大同)に都をおき、のちに洛陽に都を移す。

北魏は中国の進んだ制度を積極的に導入し、中国化を推し進めた王朝として知られる。

太武帝は廃仏を断行したが、文成帝は仏教に篤い保護をくわえ、雲崗石窟は、この帝のとき僧曇曜によって開鑿された。ひときわ大きい五つの石窟は「曇曜五窟」と称され、道武帝以下五帝の供養のため造られたという。




▼正面入り口。断崖の上には城塞が見える。

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▼石窟前面の覆い屋。同様の木造建築物は敦煌にもある。各柱の上部に鹿の角を生やした神獣を飾る。

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▼石窟の中に入ると、巨大な仏像が坐す。岩山を掘りぬいて造った石仏だ。訪れたものを圧倒せずにはおれない。損傷がひどかったのが、修復されていた。

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▼石窟の外面。大小の龕(がん)の中には仏像が。

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▼岩盤をくりぬいた柱の奥にもうひとつ大きな部屋があって、巨大な仏像を刻む。

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▼入り口の上に開けられた四角い明り窓から、仏像の顔が見える。この趣向は東大寺大仏殿と同じだ。

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▼窓から見える仏像上半身のアップ。

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▼雲崗石窟で最も著名な石仏。端正な顔立ちで両側に脇侍仏をしたがえる。右脇侍仏は脚だけがのこる。

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ここに来るたびに、なにかしら安らぎを感じ、心が洗われる思いだ。これも仏の功徳か。

玉虫

ギラギラと照りつける太陽の下、アスファルトの舗道で、一匹の玉虫が仰向けになってるのを見つけた。

なんでこんなとこに!?

手に取ると、かすかに脚を動かした後、すぐに死んだ振り(この昆虫の擬態か)。

幼少の頃、生きた玉虫に何度かお目にかかったことがあるが、それからというもの、目にする機会はなかった。

それも、よりによって京都の街中で再会するとは……。


草庵に持ち帰り、一通り観察した後、裏庭のセンダンの幹に放生!。すると、死んだ振りをやめ、活発に動き出した。


玉虫(タマムシ)は、体長が3~4センチ。全身に金属光沢があり、金粒をまぶしたような緑色の地に銅紫色の縦に走る帯が2条ある。

翅の色は光線の具合でいろんな色に変化。ここから「玉虫色」という言葉が。

それで、「玉虫色」は解釈次第でどちらにも取れるあいまいな表現にも使われる。



その美しい上翅は、古代には装飾、装身具に用いられた。

法隆寺に蔵される「玉虫厨子(たまむしのずし)」はあまりにも有名だ。透かし彫り飾り金具の下に膨大な数の玉虫の上翅を敷き詰めている。

その翅の見ごとな色は、まさに自然が生み出した最高傑作だ。そのために受難を負い、多量の玉虫が犠牲となった。人間ちゅうのは残酷ことをするもんだ。自分の身のことしか考えよらん(拳骨)。


庵主は、韓国の慶州の王墓クラス古墳(5~6世紀)から出土した馬具に玉虫の羽を使った例を実見したことがある。玉虫の翅の神秘的な美しさに驚嘆したものである。

高句麗の墓から出土した冠にも、玉虫の翅を装飾に用いたものがある。


法隆寺に伝わる「玉虫厨子」は、朝鮮半島から渡来人が玉虫の翅の装飾技法を伝えたものだろう。


玉虫の文化史に興味がそそられる。



▼脚は6本。頭から2本の触角が伸びる。上翅の縦に平行に走る緑地に銅紫色の筋。

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▼上翅の地に細かな粒文が見える。

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▼仰向けにすると、腹部に赤銅色の金属状の光沢が。

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▼しきりに翅をひろげ、飛び立とうとする。よく見ると、下翅に穴があいている。

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