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ホトトギスの花

愛読者(?)の皆様、しばらくご無沙汰してました。

この3週間、なにかと忙しくてブログを更新する暇もない状況に(汗)。

おまけに草庵のデスクトップPCがポシャッテもて修理に。今日になって、代替え機ノートPCが使える環境に。




ここ数日、京都も急に寒くなった。ブルブル。 紅葉を通り越して冬が到来。

この寒さ、高血圧の大敵。ここ数週間、高止まりに安定(トホホ)。

昨日は草庵の隙間風に耐えられず、押入れから炬燵を引っ張り出す羽目に。




多忙のさなか、路地裏にいっせいに咲いたホトトギスの花だけが、かろうじて「花鳥風月」を呼び覚ます。

先だって立ち寄った「円亭」の玄関にも、この花とフジバカマ(藤袴)を生けとった。ここの女将は、季節の花になかなかやかましい。話し始めたら、しばらく止まらん(ハァー)。


多忙のなかでこそ、風流心を呼び覚まさねば…。



▼路地に咲きほこるホトトギス(時鳥草)の花。背丈が60~70cmあろうか。

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▼ホトトギス花のアップ。花弁の紫色の斑点がホトトギスの胸毛の斑紋になぞらえて命名したものらしいが、あまり似とらん。ホトトギスの胸の斑紋は黒い横縞模様で、どうもそぐわない。

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▼同上。少しアングルを変えて接写。赤紫の斑紋が毒々しい印象を見せる。

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▼路地塀際につつましく咲く一輪のフヨウ(芙蓉)の花。黄色い雌しべに純白の花弁が清楚感を醸し出す。

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今年の紅葉、この急激な寒さで影響を受けなければいいが…。



洛倭亭庵主


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韓国のお菓子

大百済祭典会場の一角に韓国菓子のコーナーが!!(ウハ、ウハ)。

さながら、菓子の品評会。

なにごとにも興味深々の庵主の目が、釘つけに。

テントの下の展示台に「あるわ、あるわ」、お菓子のオンパレード。


ケーキ屋のサカモトン連れてったら、泣いて喜ぶやろな(ちとオーバーかな、笑)。

あいにく試食できなかったんで、味のほどは……。ここんとこが大きな問題(笑)。


これまで、韓国のお菓子はソウルの仁寺洞(インサドン)の近くにある老舗の菓子屋で見かけたが、オコシと生菓子が主流。

韓国では、どうもお菓子は日本ほどには発達しとらんようだ。仁川空港の免税店で売っているお菓子コーナーの種類から窺える。

冬のソナタ,テジャングムに因んだクッッキーやチョコレートが、まだ並んどる。モデルチェンジが待たれる。


客見ると直ぐ寄ってくる売り子からベルギー産のチョコレートを薦められた。「韓国へ来て、なんでベルギー産のお土産かよ」と切り返すと苦笑し、退散しよった。


お菓子もその国の文化を反映するのは当然。日本とくに京都でお菓子が発達したのは理由がある。だれしも茶道との密接な関連を思い浮かべることだろう。

もちろん韓国李朝時代の宮廷でも、お菓子は愛好されたに違いない。甘い味覚に飢えていたのはどこでも大差なかった。

江戸時代には「金平糖」など垂涎の的だったろう。京都には1箱(桐箱入り)1万円もする「金平糖」もある。

日本でも甘い砂糖が広く出回るようになったのは近代以降になってから。それ以前は貴重、高価な代物。需要は一部の人たちに限られ、庶民が手軽に入手できるような代物ではなかった。

甘い菓子の普及と虫歯の増大も相関する問題だ。歯医者が独立した職業として分化したのも近代以降の現象。

アカン、話がだんだんずれてきよった(汗)。




イベント会場の展示を見ると、見た目のバラエティに富んどる。なかには芸術的作品も。それでも底流に流れる菓子づくりの特性が垣間見えて面白い。朝鮮ニンジンがよく使われるのは民俗性だろう。

ただし、キムチ入りのお菓子は目にしなかった。あっても売れんだろうな。

昔,おばあちゃんが甘い茶菓子に沢庵を添え取ったのを記憶しとるが……。こりゃ,邪道か。



「菓子の文化史」ちゅうジャンルを開拓したらおもろいだろうて。とくに女子学生の卒論テーマにはもってこい。
なにしろ、例外なくケーキ見たら目が点になってしまいよる(アハ)。

古来、「好きこそ、ものの上手なれ」という格言があっから、いい論文書けるんでは…(でもないか)。


通訳を同伴しなかったんで、ラベルのハングルを解せないのが至極残念!。イケちゃんブログ読んだら教えて。


世にはびこる甘党諸君・諸姉(断然こっちが多数派)、韓国のお菓子を目で堪能されたし。味わえんのが何とも気の毒じゃが…。それは庵主も同じじゃわい!。



▼羊羹の一種か?形状がソーセージに似とる。

P1010042_convert_20101015195758.jpg(画像をクリックすっと,拡大)


▼ケーキ風。マツの実で飾ったシンプルな花柄模様がかわいい。これはいけるかも。

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▼豆入りのパウンド風ケーキ?

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▼赤飯(?)の上に朝鮮ニンジンで樹木をあしらう。なかなか芸術的。

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▼朝鮮ニンジンの下に隠れとんのは何だ?

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▼朝鮮ニンジンがもろにのっとる。とても日本人の口には…。

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▼豆入り羊羹?

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▼柿羊羹?

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▼一見,餃子風の生菓子。

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▼アンコ入りパウンドケーキ??

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間違っとったら、イケちゃん、サカモトン、訂正しておくれ。


最近、研究室への手土産に菓子が目立ち,辛党から甘党へ軸足がぶれつつある庵主。

アカン、アカン。虫歯になりそう。歯磨き励行せにゃ。

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公州山城と韓国版ルミナリエ

帰国する日(12日)の早朝、濃い朝霧が立ち込める錦江河畔を散策。

この時期、公州(韓国)は連日幻想的な朝霧に包まれる。錦江の水温と大気の温度差によって生じるものだろう。



9時過ぎなのに、散策する人影はまばら。

公州(旧称は熊津;ウンジン)の市街地の対岸に百済時代に造られた「山城」がある。


▼朝霧に霞む公州山城。錦江を堀に見立てた巧みな築城だ。

P1010120_convert_20101015184204_convert_20101015184459.jpg(クリックすると画像が拡大)




現存する石積み城壁は李朝時代に造られたもので、百済期の城壁は土塁が張り巡らされていただけであったらしい。

高句麗に漢城を陥落させられ、百済の王族・貴族が新たに都を設けたのが熊津だ。『日本書紀』にも出てくる地名。

大百済祭典の時期だけ錦江河畔に仮設の浮橋がつくられ、公州山城の東の楼門にアプローチできる。

10時のオープンまでまだ30分以上ある。浮橋の袂にガードマンが二人。

「アンニョハセヨ」と挨拶したら、難なく浮橋を渡らせてくれた。


一歩を踏み出すたびにユラユラする浮橋(プラスチックの1辺30cmほどの中空の立方体をつなぎ合わせたもの)を渡っていくと、対岸の川べりに百済王と王妃をはさむように、左右に護衛の武人、侍従、侍女等の隊列を模した人形が浮かんでいた。その発想がなんとも奇抜だ。


▼百済王と王妃の隊列。手の込んだ張子の大きな造形で、夜になると中に電気が灯る仕掛けに。

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▼夜になったらイルミネーションの灯がともる。墨を流したような暗闇の中に隊列の人形が光の珠となって浮かび上がり、なかなか幻想的な光景をかもしだす。

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▼城壁が谷から尾根へ曲がりくねりながら延々と続く。石垣の城壁はさほど高くない

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▼錦西楼門。朝鮮時代に造られた城門で日本の城の大手門にあたる。左手前の門は比較的最近に造られたゲート。

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▼城内に建てられた天下大将軍と地下女将軍。見開いた眼と剥き出しの歯がいかめしい。もともとは村の入り口に立てられた辟邪(魔除け)のシンボル。

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▼白菊の群落。城内は自然地形がそのまま残り、ほとんど人の手が加わってない。

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▼城内の最高所につくられた王宮跡推定地にある巨大な井戸。あまりに大きすぎて携帯のレンズでは収まらず。石垣に傾斜をもたせた入念な石積み。李朝時代の作か。

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▼蓮池。李朝時代に造られた石組の立派な井戸。階段から下に降りて行けるようになっている。城内の水源として利用したものか。錦江の水位と池の水位が同じだ。

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▼錦江に架かる橋のカラフルなイルミネーション。ルミナリエにそっくり。

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今回の韓国訪問のブログネタも、公開できんのはここまで。在庫一掃じゃわい。

公州独り旅、書物では到底体験できない韓国の文化・歴史を垣間見ることができ、なかなか有意義だったわい。

しばし、秋眠を貪ることにするか。

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2010世界大百済祭典

10日、国立公州博物館を訪ねた折、その前に百済祭典の特設会場があったので、興味半分に覗いた。

この祭典(9/18~10/17)は、百済の都があった公州(旧名熊津)と扶余(ふよ;百済最後の都)という町で開催。扶余のほうが規模盛大らしい。

地域振興の一環として企画され、公州市も相当な予算を投入。週末は多くの観光客を集め、会場の周囲の道路はひどい渋滞。

祭典の経済的効果は、かなりのものらしい。



百済という地域(現忠清南道、全羅道)は、いまなお新羅(現慶尚道)とならぶ根強い二大地域感情の源泉だ。

大統領選挙になると、票の帰趨を大きく左右する。だいぶ前の大統領選では、この地域出身の候補がなんと90パーセント以上の得票率。

1300年前の地域対立がいまなお続くのには恐れ入った。日本ではちょっと考えられん。

この地域が長い歴史の中で最も光り輝いていた時代へのノスタルジアか。どっかの国民と違い、「歴史」への特別な思いを大事にする民族だ。

これから察すれば、日本の植民地支配は「昨日の出来事」のようなもの。豊臣秀吉の朝鮮侵略は「一昨日の出来事」のようなもんだろう。

日韓の歴史認識の違いは、この辺に発するんだろう。ここんとこが理解できんと、議論はいつまでも平行線のまま。

イベント場景をとくとご覧あれ。



▼大百済祭典ポスター。百済の軍装をした勇壮な写真。好戦的なイメージが感じられ、平和な時期の祭典としてはデザインのミスマッチか。

2010世界百済典ポスター(クリックすっと、画像が拡大)




▼四天王寺(大阪)の祭に使われたワッソ丸。大会実行委員会に寄贈された。

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▼白い衣装をまとった楽隊が会場を一周。鐘と太鼓の音曲がかしましい。お祭りが開かれると馴染みの出し物。

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▼日本の伎楽面を想起させる。どんな劇でかぶられるのか見たいもんだ。左の面ににたひと、街中ですれ違ったような(アハ)。

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▼鳥飾りをつけた木柱。かつて村の入り口に立てかけられていた。 色鮮やかな布切れは願掛けに用いたものか。以前にロシア領アルタイ山地の峠道で目にしたことがある。朝鮮民族の北方起源を物語る民俗遺風か。

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▼風鈴。大きな樹木の枝にたくさん吊るされていた。鐘の部分は陶製。日本の風鈴のルーツかも?

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▼杖刑の復原。朝鮮時代の刑罰の一種。刑台の上にうつぶせにされ、櫂形の板で尻を叩く。罪の軽重に応じて叩く数が異なる。叩き方にもコツがあるらしい。尻の皮が破れるほど叩かれた記事もある。女の子がこわごわとお尻に叩き板。

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▼肌も露な妙齢のお嬢さん方の生演奏。しばし見とれとった(アハ)。それにしても、韓国人の若い女性は背丈が伸び、すらりと伸びた美脚が実に印象的。ミニスカートがよく似合う。食生活がよくなった証かな。

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▼朝鮮ニンジンの品評会。いずれも手塩にかけて栽培したもので、賞札がついとる。どう見ても観賞用だろう。

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▼会場の花壇に咲き競うコスモスの花。名曲「淡紅のコスモスが秋の日の♪……」(「秋桜」)が思わず口をついてくる。

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▼百済王族の仮装?。衣装はともかく、靴が……。

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▼田楽。チャルメラのファンファーレに続き,隊伍を組んで農民の一団が登場。白の鉢巻きに白ずくめの衣装、腰に提げた草鞋。

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▼田楽。田植えの場面を再現。指揮する長老、旗持ち、チャルメラ・太鼓・鉦の一団、苗を手にした農民、昼食を運ぶ婦人たちが登場。

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▼旗竿頭のコウライキジの羽飾り。古代の冠に付けられた羽飾りもコウライキジの尾羽だったのだろう。

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朝鮮民族の民俗と歴史を垣間見た2時間であった。特設ステージでは、日本の姉妹都市(滋賀県内)から派遣された着物姿の踊りも披露されていた。日本からの観光客も少なくないらしい。


国立公州博物館を訪ねる

10日、公州の宋山里古墳群の近くに移転した国立公州博物館を訪ねる。

この古墳群は、武寧王陵を擁する百済王家の奥津城(墓所)として知られる。

門の前でタクシーを降り、長い階段をのぼっていくと、大きな植木鉢に黄色の花をつけた菊が目にはいった。

また植え込みには紫色の小さな実を結んだ植物が。 日本ではあまり目にしない植物だ。



武寧王は『日本書紀』に「斯麻王」「嶋王」という名で登場する百済第25代の王(501~523在位)。
8尺の背丈で、心が優しく、人臣に慕われたという。

高句麗や靺鞨(まっかつ)と戦い、いわゆる「任那四県」の割譲をうけ、加羅地域に領土を拡張するなど、百済を中興させた王として知られる。また「五経博士」を送るなど日本との関係も深かった。

1971年、この王と妃の合葬墓が偶然見つかり、墓石誌(買地券)に刻まれた「斯麻王」という名前から、被葬者の名前と没年が判明する唯一の王陵として韓国考古学界の大発見となった。

中国南朝様式の磚室墓から高野槙製の黒漆塗りの木棺2基、金製王冠、鎮墓獣、2つの墓石誌、南朝産陶磁器、鉄剣、青銅鏡など多数の副葬品が埋葬当時のまま遺存し、国宝に指定された。

この博物館は、1Fの全スペースを武寧王陵の出土品の展示に充てている。いわば、武寧王墓の出土品の展示に特化した博物館だ。



出土した墓誌の1つには「寧東大将軍百済斯麻王」と記され、中国、日本の史書に載る「斯麻王」の実在を裏付けた意義は大きい。

展示された出土品や墓室の構造を見ると、武寧王がいかに中国(南朝)かぶれの王だったことがわかる。また中国の史書によれば、南朝から「寧東大将軍」という官位を受け、中国の册封体制に組み込まれていた。

棺材には、日本から運んだ高野槙を使い、倭国(日本)とのゆかりも深かったことが窺える。


永年の宿敵である高句麗、新羅との対抗上、中国の南朝、倭国との友好関係に腐心したことが考古遺物によっても証明される。

また埋葬した年が判明し、6世紀前半の一括基準資料として考古学上重要である。



▼博物館前の階段。

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▼植木鉢に植えられた菊の花。

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▼薄紫色の小さな房状の実をつけた灌木。

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▼国立公州博物館の外観。

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公州への独り旅

9日、午後早く仁川国際空港に降り立つ。今回は連れがいない独り旅。

京都を出るときは雨模様だったが、ソウルは抜けるような青空がひろがる。


▼漢江べりの噴水に虹が。
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▼漢江沿いの道路は車の大洪水。

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空港ビル前の切符売り場でGongju(忠清南道公州)行きのリムジンバス乗り場を訊ねると、目の前に停車中のバスを教えてくれた。

バスの行き先は「Chongnan」とある。知らない町だ。漢字での表記がない(トホホ)。

行き先が違うんで、売り子に念を押すと、「Chongnan経由で公州に行く」という。

重ねて運転手に確認すると、「Gongju(公州)に行く」と返答。バスは発車寸前だ。

一抹の不安もよぎるが、ええい、乗っちゃえ。



途中、金浦空港、江南バスターミナルを経由して客を拾い、3時間ほどでChongnanのバスターミナルに到着。

15人ほどの乗客が全員ここで降り、終点かと思い降りようとすると、運転手が待てという。

「ここから公州へ行くんだ」と。

給油のあと、バスをターミナル駐車場の奥まったところに移動させ、運転手は降りてどっかに消えた。

入れ替わりにオモニがひとりモップとバケツを手に提げて乗って来て、やおら車内の清掃を始めた。

こっちの顔を見て、怪訝な顔つきだ。

この間、運転手はトイレの場所に案内した後、「こっちに来い」という身ぶり。ついていくと、控室にある自動販売機の前に。そこでコーヒーをおごってくれた。

ちゃんと代金を払おうとしたのに、いいという。それじゃ、お言葉に甘えることに。


▼Chongnanバスターミナルで給油中のリムジンバス。

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15分ぐらい休憩して、やおら公州に向け出発。バスの行き先表示を変えた形跡はない。

乗客は庵主独り!。なんだか、バス1台チャーターした気分に。


60歳の運転手は、韓国の運転手には珍しく英語を少し話せる。

のっけに「日本人か」と訊ねてきた。次は「歳はいくつだ」「なんで公州に行くんだ」とたたみかけてきた。


そうこうしているうちに高速道のサービスエリア(Jeongan)に入ってバスを止め、車から降ろし、腕時計を見ながら15分後に発車すると言って、どっかへ消えちまった。車外で一服するには十分。辺りに夕暮れが迫って来た。

バスが発車してしばらくすると、突然、携帯に電話がかかってきた。韓国に帰化している元在日の教え子からだ。

日本を出発する前にメールで、この日の夕方に公州に着くから電話してくれと伝えていたのを忘れとった。
まさに天の声のように聞こえてきた。


バスは、公州のネオンまたたく街を横目に見ながら、錦江を渡って青空駐車場に到着。

ここは、2010年世界百済祭典の会場に近い特設駐車場だ。大きなテントの下に仮設のレストランが1つあるだけ。


▼世界百済祭典のポスター。

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周りを見渡すと、田圃みたいなところに赤、青、緑、オレンジ色のイルミネーションだけが闇夜に映える。

てっきり市街地のバスターミナルに到着するとばかり思いきや、これだ。

ここからどうやって市街地に行ったものやら。思案に暮れる。

別れ際に、運転手に日本製のタバコを1箱プレゼントしたら喜んどった。



▼イルミネーション

P1010012_convert_20101013104829.jpg(クリックすっと、画像が拡大)


淋しい場所で途方に暮れとると、日もとっぷり暮れ、墨を流したような帳が降りてきた。

さいわいなことに近くに大きな道路が走っていたんで、タクシーを捕まえ、街中のバスターミナルを指示すっと、韓国語でなにやら言い返してきた。ウウッー!、言うとることが解らん……(汗)。

こっちはひたすら「公州のバスターミナルへ」というお題目をひたすら繰り返すだけ。運転手も当惑顔。

そこで、さっき電話してきた教え子に電話。直ぐにつながったので、運転手と直接会話させる。

やっと、運転手が言っていることを了解。公州にはバスターミナルが2つあって、さきほど話しかけていたのは「どっちへ行くんだ」と訊ねとったようだ。なるほど、合点。

意思疎通も、携帯遠隔通訳のおかげで解消。やれ、やれ。

携帯ちゅうのは便利なもんだ。ただしこの恩恵に浴せるのは、海外でも通話可能な携帯機種だけじゃが!。

これだったら、現地語を解さなくとも世界中どこでも旅することができる。庵主は、以前にも中国の福建省独り旅でこの手を使ったことがあっけど(アハ)。


公州バスターミナルで教え子と再会。無事目的地にたどり着くことができ、安堵。


バス運転手とのささやかな日韓友好を体験した一日だった。


韓国ひとり旅の庵主








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洛北蓮華寺の初秋

昨日、上高野へ曼珠沙華の写真を撮りに訪れたついでに「蓮華寺」に。

というより、この辺りに来たら、吸い込まれるように山門をくぐってしまう習癖が……。

もう条件反射になっとる(笑)。



境内は紅葉には、まだひと月半早く、訪れる観光客もまばら。

紅葉の盛りになると、ゼミ生、卒業生を連れて上高野の山辺を散策しつつささやかな「紅葉狩り」。もう年中行事だ。


蓮華寺は天台宗寺院で、山号を「帰命山」と称す。寛文2年(1662)創建。


ここの庭は、池泉観賞式の庭園としては秀逸。作庭者は不明とされる。

書院の奥に敷かれた赤い毛氈に腰をおろし縁側越しに庭園を眺めると、細い柱が襖の枠に見立てられ、風景を切り取ったような印象をあたえ、まるで障壁画の世界を想わせる。


池泉に中島、築山を配した作庭で、江戸初期の流行を示す。池に舟石、中央に亀島、鶴石(立石)、奥に蓬莱を模した石組が木陰に見え隠れし、神仙思想の世界を演出。 泉水と木立が、峻厳な枯山水の庭とも異なった情趣をあかもしだす。

人工でありながら、自然に近づこうとする作庭の理念が、禅宗の抽象化した枯山水と一線を画する。

世の善男善女よ、俗界を離れ、ここで瞑想に耽るのも、リフレッシュすんのもまたいい。 



▼まるで障壁画の世界!!。右手奥が本堂。

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▼書院から池庭の眺め。水面に映るモミジの枝。これが紅葉するとなると…。

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▼本堂からの池泉の俯瞰。極楽浄土あるいは蓬莱へ誘う舟石。右手に鶴石と亀島。

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▼庭に緑の絨毯を敷き詰めたような苔。

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▼イチョウの大木から銀杏の実が一つ落ちてきた。

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▼庭に植えられた萩。緑の苔とピンク色の花が調和して華やかな気分を醸し出す。

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▼本堂の天井に描かれた龍の絵。狩野探幽の原画は失われ、昭和に再描。

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▼本堂の西北隅に安置された阿弥陀如来像。 像本体は鎌倉時代の作と伝えるが、台座・光背は後補。本尊の釈迦如来(秘仏)は堂中央の螺鈿張りの厨司の中に安置される。

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▼庫裡の一室。抹茶碗を傾けながら瞑想し、また箱庭の風情を楽しむのもよし。

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▼裏庭。池水から流れ出た渓流が岩山の裾を洗う。

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▼縁先に背丈1mを超えるスラリと伸びた茎が固い蕾を付けている。白く小さな花が咲きかかったものもある。 あまり見かけない植物で、聞けば「キブネギク(シュウメイギク)」というそうな。洛北貴船の山野に多いらしい。

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俗界の交わりにつかれたものよ、ここに来たりて心を癒しなはれ。


洛倭亭庵主


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上高野界隈散策

山沿いに三宅八幡宮から蓮華寺へたどる鄙びた集落の中を散策。


入り組んだ路地を歩いて鍵の手をまわると、突然視野がひろがり、青空をバックに比叡山が目の前に。

▼白い漆喰壁と銀色の瓦屋根、緑の生け垣が古き時代へタイムスリップさせる。

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▼路傍の萩。土塀の下の石垣の根元に萩の花が。

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▼河童のポスト。民家の入り口に奇抜な陶製ダルマポストを見つけ、思わずショット。7匹の河童がさまざまな表情で添えられている。これを造った陶工はユーモラスを心得た人物とみた。

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▼栽培されたナツメの実。ワイン色に熟している。奥行きがあってズームのピントがなかなか定まらない。

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▼竹林寺の山門。一見、民家の門かと錯覚させる。路地に直交して門構えをしつらえた発想が奇抜だ。ここの紅葉も真っ赤になって素晴らしい。ここの東隣に蓮華寺が」ある。

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▼三宅八幡駅近くの築地土塀のある坂道。

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▼土塀の向こう側にオレンジ色のコスモス群落。秋の季節を華やかに演出。

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▼三宅八幡駅の脇で見かけたホオノキの花?。ホオノキの花は春咲くはずだが?…。

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▼ザクロの赤い実。三宅八幡駅のホームから撮影。

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叡電(京福電鉄)八幡前駅から三宅八幡駅まで約1kmの散策で見つけた初秋の風景。

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洛北三宅八幡宮

上高野の「三宅八幡宮」は子供の癇の虫に特効の神社として、幕末から京都市民の尊崇を集めた。「虫八幡」の異名も。

『都名所図会』にも描かれとる。紅葉の名所でもある。

病気平癒の祈願・奉謝をこめて奉納された「絵馬」はつとに有名で、近年、多数の絵馬を収納・保存する保存館も造られ、公開されている。修復等の費用が馬鹿にならず、献金を募っていた。9月15日が大祭。



本神社の由緒によると、遣隋使小野妹子(おののいもこ)が筑紫を過ぎるころ病にかかり、宇佐神宮に祈願したところ平癒したので、宇佐神をここに勧請したのに由来するという。祭神は応神天皇。


慶長年間に近くの崇道神社の裏山から小野毛人(おののえみし)の墓から墓誌(677年の刻銘、銅板製;国宝)が発見された。


近江から途中越えを経て京都盆地に入る要衝にあたる上高野一帯が小野氏(本拠地は滋賀県の堅田付近)の勢力圏にあったことがうかがえる。


また岩倉盆地には、「小野」という地名も残る。


神社の守護神、シンボルのハトをデザインしたものが随所に見られるが、その由来については不明。ハトの餌も売られている。




▼鳥居横のハトの石像。

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▼舞殿

DSC_0002_convert_20101002195349.jpg(クリックすると画像が拡大)



▼舞殿の棟飾り瓦。1対のハトが彫られている。

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▼拝殿前の石灯篭に奉納されたハトの焼物。

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▼奉納された鉄製灯篭笠のハト飾り。

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▼紅葉にはほど遠いモミジ。

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▼放流された錦鯉

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▼池の水面にうかぶ落ち葉。七枚の葉が長軸をそろえ、水面を静かに移動していった。

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▼色づき始めたモミジの枝。池の上で気温が下がるんで色づきがはやいんだろう。

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▼移築保存された水車小屋。

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激写”ヒガンバナ”篇

ヒガンバナ(彼岸花)を被写体にと、洛北郊外の上高野辺をブーラ、ブーラ。



明日はあいにく雨の予報。出かけるなら今日しかない。

最寄りの駅から叡電に乗って八幡前駅まで約15分。


▼宝ヶ池駅で乗り換えのため待っとると、波打った線路をバウンドするかのように上り車線に展望が効く900型「きらら」が近づいてきた。

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▼宝ヶ池駅で「春色」の叡電に乗り替えて。

DSC_3077_convert_20101002173040.jpg(クリックすると、画像が拡大)




「三宅八幡宮」に参拝し、上高野の山沿いの集落の中をしばらく歩くと、三明院という朱塗りの多宝塔のある寺の山門前に出る。


この山門前にだけ棚田が数枚のこっている。この田圃の畦が目のつけどころ。


稲刈りが済んだ田圃の畔に鮮紅色のヒガンバナ(彼岸花)が咲いとるのを見っけ!!。 予想的中(イシシ)。


彼岸のころ、岩手の山里で見つけられなかったので、今年はお目にかかれないものと半ば諦めとったんで(クシュン)、赤い花を畔に見つけた刹那は、もうウハ、ウハ。


今日は、Nikon一眼レフカメラ2台にワイド、ズームレンズをそれぞれ装着し、はまって来たんで腕の見せどころじゃわい(汗、汗)。




ここで、「ゆとり世代」のためにヒガンバナ(彼岸花)の解説を…。

この植物の和名は、めちゃ多い。

死人花(しびとばな)、天蓋花(てんがいか)、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)、彼岸花(ひがんばな)、仏花(ほとけばな)、狐花(きつねばな)、狐挿(きつねのかんざし)、舌曲(したまがり)、幽霊花(ゆうれいばな)、捨子花(すてごばな)、三昧花(さんまいばな)。数珠花(じゅずばな)、痺花(しびればな)、墓花(はかばな)。

よくもこんなに異名をつけたもんだ。 漢名は「石蒜」。

曼珠沙華は、サンスクリット語のマンジューシャカに由来し、仏教の五天華(仏陀、如来が説法するときに天界に咲く花)の1つとされる。山口百恵のヒット曲「曼珠沙華」はマンジューシャカと読ませとる。インドの曼珠沙華は白い花を咲かせる近似種という(『花歳時記大百科』)。


花を咲かせるときには葉がなく、葉が出る頃には花がない。


近代以前には救荒植物の一種とされ、有毒だが毒抜きをして、食糧不足のとき食していた。


花言葉は「思うはあなたひとり」だと。ちと、きざっぽくは……。


毒々しさを感じさせる真っ赤な花形からか、ヒガンバナを厭うひともあるが、偏見じゃなかろうか。 飢饉の際、どんなに多くの人の生命を救ってきたことか。


今年は、猛暑が続いたせいか、開花期が遅れとる。そっでも、ここ1週間が見おさめじゃろて。


本ブログ愛読の皆様方、せいぜい目の保養をしてくんしゃい。





▼田圃の畦にホーラよ。

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▼300mmズームでアップ。こりゃ群落じゃて。

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▼近くの民家の石垣の傍にも。

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▼開花する前の花冠。

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▼開花しきった花冠。 色が褪せてきよる。

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▼ビニールシートの脇に咲くヒガンバナ。思い切りズームアップ。手が少しぶれたかな…。

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早くも神無月

例年になく暑かった9月が過ぎ、いよいよ神無月だ。

出雲の国に全国から八百万(やおよろず)の神々が集い、他の国々では在地の神がいなくなってしまうところから「神無月」の呼称が生まれたそうな。

出雲国では10月に神々が集まり酒宴を張るので「神有月」とよぶらしい。

出雲では、この月になると悪戯な神さま(八百万の神様の中には一人や二人いても)が悪ふざけをするので、若い娘が夜歩きするのを控える風習があるという。

なんという人間的な神さまか(笑)。




昨朝、一夜のうちに路地の野菊が一斉に花をつけた。前夜に雨が降ったせいなのかも。月替わりの日に一斉に花を咲かせるのも珍しい。


▼路地に咲いた野菊の花。背丈が1mもある。

P1010020_convert_20101002064906.jpg(クリックすっと、画像が拡大)


▼野菊花のUp。薄紫の色合いがなんともいえん。

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秋は、とりどりの菊が美しい花を咲かせる季節だ。

菊と言えば、重陽の節句の「菊酒」、いいですね。不老長寿の仙薬だ。

「中秋の名月」は過ぎ去ったけど、花鳥風月をあしらった「花札」(はなふだ、別名「花ガルタ」)の益(やく)にある「月見て一杯」という句も、秋の情感がこもっていて、またいい。

丸坊主の山の上に大きな満月、脇に添えられた一条のススキの穂というデザインは、まさに48枚の札中の傑作だ。

この花札、日本から韓国や中国にも伝わった。事実、韓国で花札遊びに興じているのを目撃したことがある。

日本文化を代表する「カラオケ」に先んじた、日本文化の輸出だ。

カラオケといい、また花札といい、平和の象徴だ。戦時中にこんな遊びやっとったら、どこの国でも「非国民」「不埒者」扱いだ。




今日の記事、えらく脱線してもた(汗、汗)。 

花鳥風月、花札、カラオケ(汗)を愛でる庵主に免じて許してたもれ。



こんな記事書いとると、もう居ても立ってもおれんようになってもた(トホホ)。

日がな一日、運動を兼ね、カメラぶら下げて北山の野辺にでも曼珠沙華、秋桜を愛でに散策と参るとすっか。


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