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雪や~こんこん♪

皆さま、ずいぶん(2週間)、ご無沙汰しておりました。

別に、例の病気が再発し緊急入院してたとか、放浪の旅に出たり、はたまた借金取りに追われ身を隠していた訳ではないんですが。

これには、ちと仔細がありまして……。

実は、この間、ゼミ生の卒論の集中指導ということで、日夜、「読書三昧」(実情は添削)を強制されておりやした。

それも24日に提出を見届けホーッとした途端、張りつめた気分も弛緩(ヘナヘナ)。

気を取り直し、ブログ画面に向かうもネタ切れ、アチャ。

最終授業を27日に済ました後は、心を明鏡止水にし、せっせ、せっせと年賀状書きに没頭。

事ここに至れり。




昨夜の大雪予報に期待感と恐れが交錯するなか、朝方、用足しに起きて外を見やると、アレ、レ、レ…!?

雪、降っとらんやんけ??!!

ところがどっこい。

9時過ぎから、虚空から白いものがしんしんと落ちてきて、2時間後には2センチほど積もりよった。

大晦日の初雪だわい♪♪。

花鳥風月をこよなく愛でる庵主にとっては、ささやかな「至福」の一瞬。

愛用の一眼レフカメラを取り出してショット。

しばらく雪の美しさに見とれとると、現実世界に引き戻される。

容赦なく隙間風が吹きこむ「草庵」は、10度を下回ってきた。

アカン、こりゃ高血圧の主敵だ。


というわけで、あたふたと布団の中に緊急避難。「巫山之夢」でも見るか(アハ)。


昼過ぎになっても降りやまず、庭は雪の絨毯、屋根には10センチの積雪。



▼庭のナンテンに積もった雪。雪にうずもれた赤い実がなんともかわゆーい。

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(クリックすっと、画像が拡大)



▼グミの木の枝に降り積もった雪。まだ青い葉がのこっとった。

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▼路地も銀世界。

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テーマ : 今日の出来事。
ジャンル : 日記

北京空港でのハプニングとミラクル

あの中国で奇跡が起こった!!!。


11月25日北京空港第3ターミナル1Fのタクシー乗り場の喫煙テーブルの下に降ろしたリュックをチャックにロックしないまま置き忘れた(フェッー)。

気づいたのは、北京市内のホテルに到着直前のタクシーの中!、アワァ、ワァ、ワァ。

中国で物を置き忘れたら、100パーセント出てこない、というのが相場!。



宿泊予定の「西苑飯店」に到着するや、すぐさまフロントを通じ、空港の遺失物係に電話を入れさせるが、「該当品の遺失物としての届けはない」というつれない返事(ガーン)。

そこで、担当の警察官に訊ねられるまま、置き忘れた場所とリュックのサイズ(縦、横)と色、中身(ノートパソコン、キャッシュ等)を事細かに教える。捜索を期待してのことである。



チェックインし、部屋で半ば諦め落ち込んでいると、20分ほど経ってフロントの小姐(娘)から電話が入る。

空港の遺失物係から連絡があり、なんとなんと置き忘れたリュックが見つかったという。小姐の声もいささかうわずっている。

リュックの中身について質すと、買ったばかりのノートパソコンも無事だという。おそらく警察官が探しに行ってくれたのだろう。ありがたや。

こりゃ、まさに奇跡だ(第1の幸運)。

小姐が空港の遺失物係の電話番号を教えてくれた。しかし、部屋から何度電話しても通話中でつながらない。



当日夕、ホテルで中国科学院の知人と待ち合わせ食事を共にする約束をしていた。顔を合わせるや、ことの顛末を説明し、空港の遺失物係に電話を入れてもらい、リュックの保管を再確認し、翌朝、湖北省襄陽へ飛ぶときに受け取る旨伝えてもらった。



翌朝7時過ぎ、北京空港内の遺失物係に行ってみると、事務所はまだ閉まっていて電話も通じない。近くを通りかかった清掃員に聞いたら、朝の9時に事務所が開くという(ガーン)。


これでは、地方空港への出発時刻(8:20)までに受け取れない。

結局、リュックを北京空港に預けたまま湖北省へ出発する羽目に(トホホ)。

お陰で、訪れた博物館のスタッフ達から名刺をもらっても、「私の名刺は、いま北京空港です」と言うしか(カッコー、悪う)。


▼早朝の北京空港第3ターミナル搭乗口。照明も薄暗く客もまばら。延々と300mも続くコンコース。

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▼搭乗機。7時半(日本との時差が1時間)過ぎて夜が白む。空はスモッグなのか朝霧なのかモヤっている。

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自分の目でリュックを確認するまでは、不安が去らない。パソコンは無事でも、財布の中の札束を抜かれることもある。

この国では、「警察が一番信用できない」という話しもある(嘘みたいな話し)。

幸いなことに、パスポートと入国時に北京空港で両替した人民元(RMB)は着ていたブレザーの内ポケットに入れておいたので、地方旅行は続けることができた(第2の幸運)。この国ではパスポートがないと、宿泊はもとより国内便にも搭乗できない。


北京空港では事務所が締まって電話も通じないので、湖北省内の空港に到着後、北京空港遺失物係へ電話を入れ、再び北京へ舞い戻る30日の午後に取りに行くので預かっておいてくれと伝え、5日間の湖北省内の旅を続けることに(アチャ)。



リュックは湖北省から北京空港に戻った30日に事務所で受け取った。現金をはじめ、ほかの中身もちゃんとそろっているのを確認したのち、丁重に礼を述べ、「受取り書」にサインし、わが手に戻った(第3の幸運)。



昨年、出雲ではじまった不思議なツキがまだ持続しているのを確認した今回の中国の旅であった。

まさに「強運」としか言いようがない。それも中国で検証できたとは!!!。


次に本を書くときは、北京の空港警察官の優秀さを絶賛しなければ…。北京オリンピック開催で教育した成果か。

老婆心ながら、くれぐれも読者が自分の所持品で再検証を試みないように!

でないと、旅行保険会社の世話になること必至。


この記事、巷にあふれる反中国感情を和らげるのに少しは役立つかも。

もとはと言えば、自分の不注意で生じた「身から出た錆」なれど…。



タイガーさん、こういうことって本当にあるんですね。


北京でドジ踏んだ庵主

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

梅舗龍骨洞穴遺跡訪問

28日午後、ヒトの歯を出土した梅舗龍骨洞穴遺跡(湖北省指定史跡)を訪ねた。

この洞穴は、隕県から車で山間部を1時間ほど走ったところにある。

過去に発掘調査がおこなわれ、ホモ・サピエンスの歯の化石(門歯、臼歯)が数点出土している。



河床(現在はダムが造られ、本来の河床は水没)から約40mほどの高さの丘陵斜面に開口する。間口3m、奥行き50mほどの小規模な水平溶洞である。

隕西の黄龍洞でもホモ・サピエンスの歯化石が出土しており、この湖北省北部一帯には広範囲にホモ・サピエンスが居住していたのであろう。ただし、これらの洞穴からは石器はほとんど出土していない。



洞口はコンクリート・ブロックに鉄柵でガードされ、鍵がかかっていた。保護は万全だ。

鍵を管理する近くの民家から鍵を借りて来てもらい、洞内に入ることができた。

幅1m強の狭い開口部を腰をかがめてくぐると、幅3mほどの空間があった。1家族が居住するには十分ンア広さだ。床面積から、後期旧石器人の居住人数を推定する上で興味深い。

さらに狭い通路を奥に進むと、真っ暗になり懐中電灯で足元を照らさないと進めない。

壁際の床面で同行の青年が歯根の付いた歯の化石を見つけた。ヒトの臼歯だ。こんなに簡単に歯が見つかるとは驚きだ。いったいどんな調査をしたのだろうかと、首をかしげる。




▼洞穴前の石垣。洞口はヒノキに隠れて見えない。

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(クリックすると、画像が拡大)



▼史跡指定の碑。

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▼コンクリート・ブロックと鉄柵で閉ざされた洞口。鍵を開けてもらい中に入ることができた。

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▼洞口の前景。ダムで水位が上昇し、本来の河床は見えない。

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▼洞穴の入り口部分。天井が狭いので頭をかがめて入る。クマやヒトなど外敵から防御しやすい入り口だ。

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▼洞穴内部。1家族が居住するには十分なスペースだ。


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▼洞穴奥部。奥に行くにつれて狭くなり、ひとりが通れるくらいの幅となっている。しかし、天井は高い。ここまでは外光が届かず、真っ暗。懐中電灯の明かりで前に進む。

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▼天井の石灰華。水に浸み出した石灰分が固まって形成されたもの。

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▼洞穴遺跡の第一発見者(中央)との記念スナップ。訪問者を知って、近くの集落から現われた。顎髭が立派。

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▼洞穴近くの道路脇(中位段丘面)で見たレス堆積物。よくよく見ると、色が濃い古土壌層と淡い色のレス層が互層となっている。

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▼山際に沈む夕日。

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本記事で、湖北旅行の11回にもおよぶシリーズを終える。訪問した日本人が皆無に近い地であり、実に意義ある4日間の隕県滞在であった。
好天と人にも恵まれ、滞りなく旅程をクリアすることができ、サポートしていただいた関係者の皆さまに心から謝意を表したい。

多々謝々!!!

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

隕県の屋台Ver.2

2日続きで夕食をとった街のレストランの中華料理に飽きがきて、やおらイスラム料理の「シシカバブ―」(羊肉の串焼き)が食べたくなり、街をウロウロ、キョロキョロ。

こっちの注文に同行の中国人は当惑した様子がありあり。

隕県銀座(!?)をさがしても、食べさせてくれるようなレストラン自体が見当たらない。

清真(イスラム)料理のレストランが1軒だけあったが、同行の中国人は見向きもしない。

この町では、最近中国の都会で増えている中産階級をターゲットにしたこぎれいなレストランが目につかない。まだ中産階級の割合が高くないのかも知れない。


しゃーない。日暮れ時になって公園横の道路脇の歩道で店開きする屋台といってもテント小屋数軒を物色。

屋台のいずれも、道路に面して食材を並べ客の注意を引きつける。発電機の音は聞こえず、電源はどこから引いてきたものやら??。火元はプロパンガス。

あまり衛生的とは言えないが、舌と胃袋がしきりに食の変化を求め、脳がそれを追認(笑)。



お目当ての「シシカバブ―」はメニューにないが、投宿しているホテル前に店開きする炭火焼の串を出す屋台に決め、テントの中へ。


隙間風は多少吹き込むが、真昼で15~17℃の気候と京都よりは暖かく、耐えられないほどではない。

4~5歳の男の子連れの若い夫婦が、外で注文の料理をつくる。

テーブルに着き、瓶ビール4本とツマミ代わりの串20本と3種類の料理で胃袋が満杯に。

食事しながら英語で雑談、ときに筆談を交え、話に花が咲く。

料金はひとりあたり30元だ。これは注文を取る前に確認する(そうしないと、どこにも価格が示されていないので、あとでもめる原因となる)。日本円で400円強。安いのか高いのか…。日本人には安いが、中国の庶民にとっては高値なんだろう。他の店も客が少ないことからもわかる。




▼屋台の外観。こんな屋台が歩道上に10件ほど立つ。

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(クリックすると、画像が拡大)



▼テントの中。テーブルが4脚ほどある。1時間半ほどの間、他に客は入ってこなかった。

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▼屋外に並べた具材。

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▼厚着で調理する若夫婦。奥にもう1軒の屋台が見える。

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▼串に刺したスライスした牛肉の炭火焼。塩をまぶし味はまあまあいける。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

湖北省の原人遺跡とレス堆積Ver.2

11月29日、湖北省丹江口市の人造湖の岸辺にある旧石器遺跡を訪ねた。

隕県から凸凹の山越え道を2時間ほど走って、琵琶湖の数倍はある巨大な湖に面した蔡家渡果園場(ミカンの選果場)に到着。

門柱に龍を這わせた豪華な門構えだ。

湖岸に面した南向きの丘陵斜面は、見わたす限りミカン山だ。和歌山県の有田あたりの光景を思い出す。


ところどころに太陽光発電の集蛾灯が見える。

丘陵尾根上に選果場があり、その建物の壁に「漢水文明 蔡家渡果園場旧石器遺址」とある。

収穫したミカンの最後の出荷作業の最中だった。案内者の李研究員と旧知の方が経営者で昼食もお世話になった。



収穫が終わったミカン園の中を縫って湖岸に降りて行くと、岸辺に旧石器遺跡があった。一部にトレンチが埋没しきれずに面影を残していた。

波で洗われた岸辺にレスを母材とする赤色の風化した粘土が露出し、随所に石英やホルンフェルス製の石器が顔をのぞかせていた。

南調北水工程という国家的プロジェクトで造られた人造湖の完成で多くの旧石器遺跡が水没することから、ここ数年緊急調査が実施された。

この地の遺跡群に脚を踏み入れた日本人としては初めてだろう。




▼斜面は見わたす限りのミカン園。対岸はレス台地特有の波打ったなだらかな地形だ。

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▼太陽光発電の集蛾灯。

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▼祭家渡果園場。この一帯は前期旧石器時代の遺跡だ。

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▼二頭の龍の門柱。なかなか贅をこらしている。

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▼選別されたミカンをトラックに満載し、出荷。この辺りの基幹的な農生産物だ。

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▼天日干しのミカンの皮。聞けば、エキスが薬用に供されるという。

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▼放し飼いの丸々太った鶏。羽の色がなんとも美しい。あちこちに産み落とした卵を回収するのが大変だろう。

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▼収穫が終わったミカン園に足を踏み込入れると収穫漏れのミカンが枝に残っていた。野球のボールより一回り大きいサイズで、皮が凸凹し日本ではあまり見ない種だ。日本に持ち込めないので、食してみると、意外と皮が実から簡単に離れ、味も酸っぱくなく淡白だ。

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▼季節外れの菜の花。ミカンが栽培できるほどなので、気候は温暖。

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▼湖岸に波で洗われた前期旧石器が散乱。拾いに来る人もいない。

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▼鏡のような湖面に浮かぶ筏は養魚施設。

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▼湖上から眺めた景観。空の青が湖面に映える。開析され丘陵状の地形を呈するが、高度を異にする段丘面が複数見える。

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▼岬の遺跡を訪ねるため、小舟で沖合に漕ぎだすと、ユリカモメが浮かんでいた。ここは越冬地か。

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▼岬の湖岸に石英製のチョッパー(前期旧石器)が顔を出していた。

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▼遺跡で拾った旧石器を手にかざす中国人青年。この青年、段ボールに入った採集石器20キロを抱えて北京まで持ち帰った。

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▼隕県郊外の城関鎮で見た工事現場のレスー古土壌連続。

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▼高さ20mほどの真新しい断面に古土壌層が少なくとも7枚以上は視認される。IVPP李超榮研究員の教示によれば、第4段丘面に位置するという。とすれば中期更新世以降の気候変動が反映されているはずだ。本地域でも、旧石器編年に「レスー古土壌」が使えるという確かな手ごたえを得た。今回の訪中の最大の収穫に数えられる。
日没により、断面をまじかに観察できなかったのが残念だ。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

逝く秋を惜しむ

「桐一葉落ちて、天下の秋ぞ知る」

「賤ヶ岳七本槍」のひとりとして功名を上げた、豊臣秀吉の子飼いの武将片桐旦元の著名な句である。

滅びゆく運命にある豊臣家をその家紋である「桐」の落葉に託して詠ったもので、滅びゆくものへの哀愁を誘う。




外国人にとってわかりづらい日本語に「あはれ」という言葉がある。

晩秋ともなると枯れた葉が梢を離れ静々と舞い落ちる、その情景に哀れさ、せつなさを感じる日本人の心の綾を心情的に表現した言葉である。

11月下旬、中国湖北省の山野で秋の色をさがした。しかしながら、日本で目にするような紅葉にはとんとお目にかかれなかった。わずかにハゼの葉が赤く色づいたのを1本だけ見た。


▼湖北省のハゼの木の紅葉。山野に紅一点。

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▼湖北省の里山の風景。左手前の樹木の色に注意。

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もちろん、中国や韓国にもブナやナラの類の落葉広葉樹は自生する。

しかし、日本で「山が燃える」と表現されるような彩度の高い発色にはならない。なにか、くすんだような色合いを見せる。そこから美的感覚を引き出すのは無理というものであろう。

してみると、燃えるような紅葉は日本の専売特許といってよい。

「あはれ」「寂(さ)び」という英語表記にない言葉は、四季折々の移ろいを見せる日本の自然とそれを愛でる日本人の細やかな心情から発したものであることは論をまたない。

信州からわざわざ京都へ紅葉を愛でに出てきた観光客が言うには、「信州でも真っ赤に燃えるような紅葉はあります。しかし濃い緑の常緑樹と紅葉の取り合わせが京都の紅葉の美しさをひときわ際立たせるんです」と。


▼京都瑠璃光院の五色の紅葉。このグラデーションの美。

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▼京都瑠璃光院の苔庭とあでやかな紅葉。ひとが造り出した半自然と半人工の見事な調和。

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また関東からやって来た観光客も、「京都の紅葉は独特かつ微妙な色合いに発色し、関東ではそれが見れません」と。

京都の紅葉が尊ばれるのは、歴史的背景もさりながら、この地特有のミクロな気候と風土がもたらすものであろう。

日本の文化、その根源は京都の文化だ。それを生み出した京都特有の自然こそ、まさに京都の文化の創造主と言ってよい。





目覚めてそれとなく庭に目をやると、わが草庵の猫の額ほどの庭が落ち葉で埋もれていた。

落ち葉に抱く美的感覚と心情は、見る者の心持ち次第だ。


▼草庵の庭は落ち葉の絨毯。

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▼折り重なる葉また葉。

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今日のブログはいささか感傷に奔り過ぎかな(アハ)。

皆で逝く秋を心行くまで惜しもうでは…。


庵主

テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

十堰市のレストラン

午前中、ゆっくり十堰博物館を見学後、博物館長に昼食に招待された。

この館長は、案内人の李超榮研究員と丹江流域の旧石器遺跡を一緒に調査していた仲間だという。

博物館前の高級レストランだ。1Fには幼児を遊ばせるコーナーまでしつらえてある。

階段を上って2Fの個室に案内される。既に予約がされていたのか、ウエイトレスとのやり取りもない。


▼レストランの外観。ムムッ、店の看板がない!

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隕県よりは都会なんで、どんな料理が出てくるか興味深々。胃袋も空いてきて、ちょうど頃合いだ。

カメラもスタンバイ。

窓は総ガラス張りで部屋が明るい。前日に食べた漢江河畔の農家風レストランとのギャップが…。

中国の地方都市でも、こうした豪華なレストランが急速に増えてきた。経済成長にともない富裕層が確実に増えている証拠だ。



テーブルとは離れたところにソファーが用意されていて、料理が出てくるまで一服しながら待機。

食事の間、館長やスタッフとの会話を楽しむ。日本語のできる通訳はいないので、英語を介しての会話だ。

まどろこしいことこの上もないが、いたしかたない。

人口を訊ねると、現在は60万人、数年後には百万人になるらしい。

「主な産業は?」と聞けば、外国との合弁企業の自動車工場が複数あり、トヨタ、日産の工場もあるという。沿海部でなく、なんでこんな奥地に工場を???


また郊外数十キロのところに霊峰「武当山」という観光地もあって、外国からの観光客も訪れるらしい。そういえば、博物館内に武当山の歴史の展示に一部屋を充てていた。パネルによれば、道教寺院(観)が峰々に林立していた。


▼雲海の上に峰々が屹立する武当山の描画。道士の修行場にはもってこいだ。

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(クリックすると、画像が拡大)



▼武当山関係の展示室。道教関係で占められ、まるで仏教の匂いがしない。

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▼武当山の「天界」「仙界」「人界」を垂直表示したパネル。前二者は「常世」願望の庵主の興を誘う。

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館の年間入場者数は20万人ほどらしい。武当山観光に連動して立ち寄るとのことで、館内に一室が充てられていた理由がわかった。

「いま館が抱える問題はあるか」と訊ねると、「なんの問題もない」という。

重ねて「サラリーも含めてか?」と質すと、ご相伴の若い女性がにっこり頷いた。




▼次々と料理が運ばれてくる。料理が一通りそろったところで、白酒、ビールで乾杯。

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▼鶏肉のつみれが入ったスープ。なかなかあっさりとした味で舌に合う。

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▼曼頭。底に穴が開いていて、カボチャの上に載ってる具を詰め込んで食べる。

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▼豚肉の燻製?。タレに浸けて口に。

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▼緑鮮やかな茎と肉の炒め。カラフルだ。

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▼おおむね料理皿が出そろった。

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▼サツマイモ、サトイモ、トウモロコシ、ピーナッツのデザート?。

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▼ソラマメ、チンゲンサイ、ニンジンを油で炒めたもの。

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▼博物館のスタッフも同席し相伴にあずかる。

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川魚の煮料理も出たが、食べるのに気が行って写真撮るの忘れとった(アチャ)。

料理は、野菜が中心で肉、川魚からなる。味付けは辛くなく日本人向きだ。

グルメの方、味わえないのがお気のどく。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

湖北省十堰市博物館

11月28日午前、十堰博物館を訪ねる。


隕県を管轄下に収める十堰市の博物館は近年オープンした。

十堰市は丹江口市とともに「南水北調工程」という本地域の人造湖の水を北京へ水路で導く壮大な国家プロジェクトである。隋の「大運河」をはるかに凌駕する延長2000キロにも及ぶ、まさに現代版「大運河」といえる。

ダムあるいは運河によって水没・消滅する遺跡の緊急調査がここ数年実施され、多大な考古学的成果があがっている。

湖北省丹江流域は、ハンドアックスを出土するアシュール型石器群(前期旧石器時代)の宝庫である。
十堰市博物館は、本プロジェクトに伴う緊急調査で出土した文物を収納する。


館では特展「内蒙古岩画展」もおこなわれていた。展示品の一部も紹介する。



▼巨大な十堰博物館の外観。日本の国立博物館並みの壮大さ。

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(クリックすると、画像が拡大)



▼十堰博物館前広場。奥の建物も博物館の続き。開館前で人通りもまばら。

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▼館前のオブジェ。隕県人の生活をモチーフ。

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▼「湖北南調北水博物館」も兼ねる。

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▼エントランス。エレベータがない。

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▼恐竜の展示コーナー。この地域は恐竜化石の産地としても著名。

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▼隕県人1号の復元銅像。こんな顔つきの人、街ですれ違っても気づかないかも…。

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▼隕県人2号の復元銅像。

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▼アシュール型ハンドアックス。大形で左右シンメトリーに仕上げ、美的感覚を感じさせる。

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▼珍しいチャート製小形ハンドアックス(左)とホルンフェルス製ピック(右)。

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▼隕県人遺跡出土の哺乳動物化石(1)。いずれも遺存状態が大変いい。

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▼隕県人遺跡出土の哺乳動物化石(2)。

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【以下、内蒙古特展】

▼岩画展示コーナー。以前に寧夏回族自治区で見学したことがあるが、岩壁から切り取ったものか。

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▼内蒙古自治区出土の新石器時代(5000年前)の植刃器。骨製の柄に溝を彫り込んで石製の刃を埋め込んだもの。ナイフあるいは鎌として使用したものか。

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▼陶製方形盤(漢代)。側面に中国風の侍女を彩色画で描く。火鉢にでも使用したものか。

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▼陶製イヌ。顔の形と尻尾からイヌとみた。巧みな造形だ。副葬品だろ。

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▼陶製ヒツジ。これまた副葬品か。

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▼延興三年銘のある銅仏像。線状の衣紋(えもん)が北魏代のものに類似。

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▼鉄製蒙古鉢(元代)。日本でも元寇時の出土例がある。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

90万年前の曲遠河口遺跡

11月27日、今回の訪問目的の一つである曲遠河口(隕県人)遺跡を訪ねた。

7時半にホテルで朝食をとり、8時に出発。

市街地は深い霧に包まれたようにモヤっている。漢江が近くを流れ、大気と水温の温度差によって生じるものか。

漢江の上流に向かって1時間ほど車を走らせ、山間の開析された谷の斜面にへばりつく道をたどって、曲遠河口遺跡の麓に着いた。

車を止めた眼前の斜面に全国重点文物保護単位(国指定史跡)に指定された碑があった。

反対側の木立に隠れるように小さな村(弥陀寺村)が見えた。1989年、この村の農民が頭骨を発見した。


この遺跡は、原人(ホモ・エレクトウス)頭骨2個体のほか多種の哺乳動物化石、ハンドアックスを主体とした石器が三位一体となって出土する貴重な遺跡だ。原人の頭骨化石が2個体も見つかった遺跡も珍しい。


北京原人の化石を出土した周口店遺跡よりも10~20万年は古い。秦嶺山脈を越えた北側にある蘭田人遺跡(約115万年前)よりは年代が新しいが、アフリカに起源するホモ・エレクトウスが東アジアに拡散した証拠のひとつを提供する。

その学術的価値ははかりしれず、世界遺産に指定されてもおかしくないほどだ。




▼朝もやに霞む市街地道路。空が黄色い。

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(クリックすると画像が拡大)



▼弥陀寺村前で停車。ありふれた風景だ。

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▼ひそやかに立つ全国重点文物保護単位碑。これまで見たものと比べて一回り小さい。この碑が立つ崖面を登りつめたところが遺跡だ。地肌が見える岩石は片麻岩だ。

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▼急斜面につけられた小径。心臓破りの坂道を休み休み上る。

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▼斜面を登りつめると、急に視野が開け、360度のパノラマが広がる。漢江の岸辺には100万年前から悠久の時の流れを刻んだ典型的な河岸段丘地形が5段ほど観察される。日本からわざわざやって来た労が一気に吹き飛ぶ感動に襲われる。

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▼漢江の河床から50mはある段丘の頂上。手前に発掘トレンチ跡。畑地とするため頂上を平坦化している。

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▼右手に漢江が見える。開墾されて赤褐色の地肌が見える。緑の部分は麦。

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▼発掘トレンチの断面。6~7mある。一段高くなっているところが開墾を受ける前の旧地表面だ。堆積物(地層)は細粒のレスだ。よく見ると、赤色が強い部分と淡い色の部分がある。古土壌とレスの互層だ。
また、凝固した炭酸カルシウムのノジュールが観察される。

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▼トレンチの断面に石英製の石器が頭をのぞかせる。抜き取らず、そのままにしておく。

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▼案内の中国人スタッフが覆い屋の下で石片を見つけた。レッキとした人工品だ。

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▼足元に河原礫を打ち欠いた断塊が転がっている。ウシの糞が付着しているので手に取るのをためらっていると、連れが難なく取り上げた。

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▼最初に頭骨を発見した農夫(左から3人目)と記念撮影。

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▼獲物を肩にした大きな隕県人の復元像の前で記念スナップ。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

漢江辺りでの昼食(2)

(つづき)

ミカンを食べたり、お茶を飲みながら30分ほど待っていると、昼食の用意が整ったという知らせ。

薄暗い屋内に裸電球の灯がともり、次々と料理が運ばれてきた。

合板を張った1メートル四方の木製の机の上に次々と料理が運ばれ、8皿が並んだ。

木製の頑丈そうな低い背もたれ椅子が用意され、腰を下ろす。

湖北省の料理は、湖南省の激辛料理(四川料理よりも辛いことで知られる)と異なり、味も意外と淡白だ。日本人の口にはマッチする。

名物は「レンコン料理」だ。日本のものと違い、意外と歯ごたえがある。種類が異なるものか。

煮たきしたものや油で揚げたものがある。

1時間ほどかけて、ゆっくり食事した。メインディシュは楊州チャーハンだ。これがまたなかなかいける。


本ブログ記事は、料理の愛読者のために特別提供。




▼日本に持って帰りたいほどのデザインだ。

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▼卓上に所狭しと並んだ料理。

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▼テーブルの下にはちゃっかりネコが待機。スープに入っている鳥ガラが狙いで、鳴いてはねだる。
骨を落とすと、強力な顎で骨をバリバリ噛み砕く。

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▼レンコンを油で炒めたもの。

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▼弾力性があり、一見コンニャク風に見えるが、聞けば別種のものという。

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▼サヤエンドウに似た豆をサヤごと炒めた料理。軟らかくいける。

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▼豆腐とネギにコショウを加えて炒めたもの。

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▼ウリ入りの鶏肉スープ。大きな足の指も入っていた。これは連れに譲った。スープはなかなかの味だ。

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▼油で炒めサトウをまぶしたピーナッツ。実は意外と小さい。中国料理に馴染みのものだ。

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テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

漢江辺りでの昼食(1)

11月27日、80~90万年前の原人頭骨化石2個を出土した曲遠河口(隕県人)遺跡を初めて
漢江の上流側に位置し、宿泊地の隕県市街から山間を縫って車で1時間を要する。道幅は狭く、車がないととても遺跡へ行けない。お膳立てをしてもらった関係者に感謝。


午前中、説明を受けながらじっくり遺跡と地形、地層を見学後、曲遠河口と漢江が合流する地点の川べりに降り、江上から小舟で遺跡付近の河岸段丘を観察する。ちょっとした遊覧気分だ。

昼食は、水面から10mほどの高さにある農家で取る。

聞けば、漢江の増水時には水がここまで押し寄せ、来年には別の高場に引っ越すという。近年、長江流域では洪水の頻発が報じられるが、乱開発による山林の乱伐のせいだ。政府は植林を奨励しているが、効果が出るまでには数十年かかるだろう。

この農家は、漢族の母親と7男の息子夫婦が棲み、上の6人の子供は都会に出て働いているという。

この一事からして、「一人っ子政策」が農村部では厳守されていない事実がわかる。

農家の暮らしぶりがわかる写真を掲載。


昼食は、若い嫁が腕を凝らしてつくってくれた(本ブログ続編に掲載)。



▼漢江の上流を望む。右上の段丘上に曲遠河口遺跡がある。

DSC_0790_convert_20101205180449.jpg(クリックすると画像が拡大)



▼岸辺で餌をあさるカチガラス。胸と羽の下が白く優美な姿をもつ。

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▼ゆったりした漢江の流れ。川幅は200mくらいか。近くに橋はなく、昔ながらに渡し船が唯一の交通手段。

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▼漢江から見た曲遠河口遺跡。写真中央の段丘面上にある。

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▼案内の中国科学院古脊椎動物古人類研究所の李超榮研究員と記念撮影。

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▼看板らしきものはないが、河辺りの木立の中に立つ農家風レストラン。ここで昼食をとる。

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▼レストラン。木の下にビール瓶が山と積みあげられていた。漢江を往来する土砂運搬船の乗組員がここで昼食をとるのだろう。

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▼庭先の木の枝に干してある仕掛け網。

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▼この夏に生まれた子犬が2匹庭を走り回っていた。

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▼寒い冬に備えて薪を準備。

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▼軒下に干してあるトウモロコシ。粒が大きいオレンジ色の実。

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▼軒下につるされた唐辛子。

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▼屋根の上の太ったネコ。客が訪れるのを見るや、屋根から下りてきた。

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▼母屋入り口。新春に張られた門札もずいぶん色あせている。中から一匹のイヌが出てきた。

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▼母屋の中の壁に張られた色鮮やかな吉祥画。招福、商売繁盛を願う。

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▼天井を眺めると、垂木の上に直に屋根瓦を敷き詰めていた。入り口以外に窓がなく、中は薄暗い。
でも、天井が高く、頭を押さえるような圧迫感がないのがいい。

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▼天井に取り付けられたクラシックな扇風機。窓がないので、これがないと夏場は……。

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テーマ : 写真日記
ジャンル : 日記

隕陽博物館

中国には県レベルの博物館で豪華なコレクションをもっているところがある。

意外と日本人研究者は知らない。いわゆる穴場だ。

訪れた湖北省隕陽博物館もその一つだ。

ここの隕県人化石、揺銭樹、三彩杯、青銅仏はまさに日本の重文クラスだ。


隕県は、漢時代以降、長江の支流である漢江辺に物資の集散地として開けたらしい。

漢江の上流には漢中盆地があり、ここは前漢の高祖(劉邦)が天下を取る前に雌伏したところだ。

また北方の洛南盆地を経由し、険しい秦嶺山脈を越え長安に至るルートもある。

水運・陸路の軍事上の要衝でもある。

唐時代には、名君の誉れ高い李世民(太宗)の第3子がここに封じられた。その家族墓が隕県の城関鎮で発掘され、黄金製獅子、三彩陶器、青銅仏など豪華な副葬品が出土した。



▼「隕陽博物館」の外観。公園の傍にある。

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▼80~90万年前のホモ・エレクトウス隕県人化石。近接して2個体の頭骨が多量の哺乳動物化石、ハンドアックスを伴って出土。

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▼漢代の揺銭樹。樹形を模した珍しい青銅製儀器。鋳銅技術水準の高さがうかがえる。
造形を見ると、西南方の少数民族の文化に通じる要素が観察される。

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▼揺銭樹の頂部。日輪の上にひとが鋳出されている。

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▼揺銭樹の側縁飾り。人物や翼を広げた鳥の姿が見える。

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▼李泰家族墓出土の三彩水瓶。釉薬の発色、プロポーションが抜群。

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▼李泰家族墓出土の三彩杯。龍が長い舌を上方に伸ばし、その舌が取っ手となっている。

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▼李泰家族墓出土の西銅製観音坐像。胴部に比し、頭部がやたら大きい。顔立ちもふくよかで唐美人を連想させる。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

中国の庶民

今回は、特別に公園でのショットをアップ。

日本ではほとんど報道されない中国の庶民生活の一端を紹介。

マスコミの報道写真とは一風違った庶民の姿が。

公園は市民の憩いの場だ。30分ほど観察していると、いろんな表情が見えてくる。



西洋の都市と同様、中国の現代都市の中心部にも必ずと言ってよいほど広大な広場がある。集会、祭りやイべントの場に使われ、さまざまな顔をもった場所だ。

ラジオやテレビが出現する以前には、市民への布告の伝達に欠かせない場所だった。

その起源は新石器時代の集落にさかのぼる。縄文時代のムラにも中央広場がしつらえてある。

しかし、長安や古い北京の街、日本の都市には人々が集まる西洋的な意味での「広場」というのはなかった。東洋の為政者にとって群衆行動を恐れてのことだろう。

江戸時代の非常時の大衆行動である「農民一揆」は、集会場に寺の庭を利用したらしい。
一揆の首謀者は死罪になるのが法度だが、一揆がおさまったあと、住職は咎められたのだろうか。



▼隕県の街の中心部にある広場。1万人は収容できそうだ。

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▼ウチワを片手に太極拳。どこの町でも早朝見かける光景。

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▼8トンもある巨大な隕石。隕(本当は旁と篇が逆)県の名の起こりとなった隕石。「星宿石」「幸運石」「長寿石」と称され、古くから幸運や長寿をもたらす石として庶民から親しまれ、信仰の対象となってきたという。

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▼トランプに興じる大人たち。囲碁と同様、中国の巷間でよく目にする光景だ。

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▼公園の一角に植えられた竹と棕櫚(シュロ)の木。亜熱帯、温帯に見かける植物で、この地が冬でも温暖な地である証拠だ。秦嶺山脈は夏季モンスーンの影響がおよぶ北限で、隕県はその南側にある。

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▼飲み物、駄菓子の出店。子供が物色している。

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▼風船売り。子供の興味をそそるようなキャラクターがとりどり。

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▼学校帰りの女の子が羽子を蹴って遊んでいる。なかなか上手だ。

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▼コマ回し。大形のコマの側面を柄付きの鞭で思い切り叩き回転数を上げる。大人の遊びだ。夜半まで「ピシッ」という甲高い音が聞こえる。コマをぶつけ合うのでもなく、何が面白いのか。

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▼丸刈りの子供三人組。遊びの相談中か。

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▼公園に隣接した鉄道切符売り場(代理店)。駅の窓口と異なり、客が少ないので切符を買いやすいのか。

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▼ナッツ類専門店。量り売りのヒマワリなどの種がとりどり。もちろん食用だ。農村に行くと子供たちが噛んでは口にしている光景をよく見かける。ほかに銀杏、ココナッツ、へーぜルナッツ、クルミ、ピーナッツ、アンズ、ナツメも売っていた。

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▼街頭の靴磨き。若い女性のシューズを一生懸命磨いている。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

北京から湖北省隕県へ

大学のEVE休みを挟んで、中国湖北省の旧石器遺跡、博物館を訪ねる。

11月25日(木)、関空から北京国際空港に17時前に到着。

中国時間は日本と1時間遅れの時差。



飛行機から降り立つと、いきなり冷気が身を震わす。

機場(空港)高速道を経て北京市内に入るころには日もとっぷり暮れる。

市内に入ると、夕方のラッシュ時に重なり、高速道は車また車の洪水。



北京に来たら定宿にする「西苑飯店」(五つ星)は市街地の西北、北京動物園にほど近い。

ホテル1階のロビーには、クリスマス・ツリーと白雪姫のデコレーション!。

チェックイン後、近くのレストランに飛び込み、羊シャブに舌鼓を打ち、冷え切った体を腹から温める。



▼夕方ラッシュ時の首都高速。

DSC_0525_convert_20101201193303.jpg(クリックすると、画像が拡大)


▼西苑ホテルロビーのクリスマス・デコレーション。

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翌16日、真暗い6:00にホテルを出て、北京空港に向かう。夜明け前のため、高速道はガラ空きで、空港ターミナルまで20分ほどで到着。

北京空港から2時間ほどの飛行で湖北省襄陽郊外の空港に着陸。

出迎えの車に乗り込み、200キロ余り離れた十堰市隕県(西は四川省、北は陝西省と接す)へ高速道を2時間半ひた走り。



▼襄陽郊外の地方空港のターミナル。北京、上海、広州便が飛んでるだけ。エプロンに中国の企業集団の小型専用ジェット機1機が駐機していた。

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武漢と十堰市を結ぶ幹線高速道はときおり車を見るだけ。これぞ真の高速道だ。
サービスエリアは日本と違い、80キロに1か所しか見ない。


▼車もまばらな地方の高速道。霧がかかり、視界は1キロくらい。

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隕県の宿は、市中心部の公園に面した「天安電力酒店」という三つ星ホテル。この町では最高級ホテル!?。


▼「天安電力酒店」の外観。

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▼フロント嬢。カメラを向けると、はにかみながらショットに応じてくれた。壁の主要都市の時間を示す時計のうち2つは針が止まっていた。

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部屋は「標準房」で、1泊120人民元(日本円で1600円ほど)。エアコン、トイレ、熱いお湯が出るシャワー付きで、テレビも備える(日本のBSは映らず)。北京のホテルに比べたら値段は5分の1(大都市が割高なだけ)。空気が乾燥しているので、夕方洗濯しても朝方には完全に干し上がる。


▼標準房。西向きで明るく、こぎれいだ。

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枕元に「ベッドでタバコを吸うな」という表示の横に灰皿が…。ムムッ、このチグハグがいかにも中国らしい(笑)。

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目の下に公園。その奥に「隕陽博物館」の建物。遠くに街を取り囲む山並みが見える。ここは漢江に接する山間盆地に発達した町だ。

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12階から眺めた市街地。経済発展を物語るように高層ビル建設用のクレーンが見える。いまや中国のどこでも見られる光景。


▼隕県市街地。新旧のアパートが雑然と達っている。

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