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蘇民将来護符

ついさきごろ、全国的に有名な上田市信濃国分寺八日堂の「蘇民将来」護符が手に入った。

「蘇民将来」の故事(『備後国風土記』疫隅国社の条)については、昨年7月25日の本ブログ記事を参照されたし。

蘇民将来符の出土例としては、京都府長岡京跡出土のものが最古。
上方に吊るし孔がついた長方形の板に「蘇民将来之子孫者」という文字が二列にわたって墨書されている。


蘇民将来符を頒布する社寺は青森県弘前市から長崎県壱岐まで50か所ほど知られ、さまざまな形をとる。六角柱状のものが多い。


八日堂のものは先端がわずかにすぼまる六角柱で頂部にくびれを入れた算盤状で、正月8日の秘仏開帳の縁日だけ頒布される。




昨春、大阪に住んでる長野出身の愛弟子のひとりに頼んでいたのがついに実現。

よくも忘れずにいてくれたもんだ(ホロリ)。それも、お母ちゃんが縁日にわざわざ八日堂まで足を運んで手に入れてもらった(クシュン)。

なんとも奇特なお母ちゃんだ。 ありがたや、ありがたや。

なんと数あるサイズの中でも特大のものを!!。 こりゃ、さぞかし高価だっただろうに。

感謝、感激、雨霰(あられ)!!!  持つは愛弟子だわい。 

さては、日ごろのサプリが効いたかな(笑)。


初詣、初天神につづき、今年は「無病息災」間違いなし。

今年は正月から縁起がいいわい(ウハ、ウハ)。

あとは、天井から降ってきたデブ猫を助けてやった恩返しが実現すれば(密かに期待)、言うことないけど…。


重宝、重宝。

腰に下げとったら、鳥インフルなぞに効果適面だろうて。

戸外では、ちょっと目立ちすぎかな。


▼八日堂の蘇民将来符。白い木肌のドロヤナギでつくられ、大きさの割には意外と軽い。各面に「蘇民 将来 子孫 人也 大福 長者」と2字づつ記す。柳の木は桃の木と同様、魔除けの効果をもつとされる。

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(クリックすっと、画像が拡大)



▼裏面。高さ24センチ、底部の径が8.7センチある。

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▼頂面。

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▼左は八坂神社の蘇民将来符。並べて撮った。大きさが知れようというもの。

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蘇民将来の子孫になったつもりの庵主
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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

受難の白鳥と鶏

1月27日、全国的に鳥インフルエンザの伝染拡大が紙面を飾る。

新聞報道によれば、カモ、コブハクチョウ、コハクチョウ、ナベヅル、キンクロハジロ、オオハクチョウ、カイツブリ、ニワトリの受難が報じられる。

大量の殺処分に遭った養鶏を除き、いずれも野鳥からなる。

早くも鶏肉の品薄が懸念され、市場価格の高騰も報じられている。


今回はいたって異色ながら、不慮の難に遭って落命したハクチョウ(白鳥)、ニワトリの供養を兼ねた哀悼記事。

ハクチョウとニワトリの文化史を紐解くことに。


古代日本人は、白鳥を霊界からの使者、あるいは人の霊魂の変化(へんげ)とみていたようだ。

倭建(ヤマトタケル)命の霊魂が白鳥と化す譚は、その典型だ。

倭建命は東征の帰途、病を得て伊勢国の能煩野(のぼの)で没した。倭(大和)にいた妃と御子がその地を訪れ、墓を造って嘆き悲しんでいると、倭建命の霊魂が八尋の白鳥に化して浜のほうへ飛び去り、そのあとを妃たちが小竹の切り株で足を傷つけながらも泣いて追いかける描写は涙を誘う(『古事記』)。


飛び去った白鳥は、大和の琴弾原(ことびきはら)を経て河内の古市邑(ふるいちむら)に舞い降り、そこに白鳥陵が築かれた。霊魂はそこにもとどまらず、白鳥となって天に向かって飛び去って行った(『日本書紀』)。

この白鳥陵に近い津堂城山古墳の周濠には立派な水鳥(白鳥か)の埴輪が安置されていた。この考古学証拠は、5世紀には白鳥が死者の霊魂をあの世に送る信仰があったことを窺わせる。


また『山城国風土記』逸文には、秦公伊呂具(はたのきみいろぐ)が餅でつくった的に弓矢の稽古をしていると、その的が白鳥になって飛び去り、山の峰にとまってそこに稲を生じたという「稲荷社」の由来譚がある。これは、白鳥が稲の穀霊であることを物語る。

白鳥は聖なる鳥として古代人に特別視されたようだ。もちろん、食べるのはもってのほか。



同様な性格をもった鳥にニワトリ(鶏)がある。

ニワトリは黎明に鳴く習性から、時刻を告げる鳥として中国や日本で大切にされた。時計がなかった時代には、一番鶏(いちばんどり)の鳴き声が夜明けを告げる唯一の手段であった。

北部九州の初期古墳をはじめとするいくつかの古墳からニワトリの埴輪が出土しているが、日本にはニワトリはもともと棲息していなかったことから、大陸から移入されたことは確かだ。

これより少し前の倭(日本)の国情を伝えた『魏志』倭人伝には、「その地に牛、馬、虎、豹、羊、鵲は無し」と記す。鵲(じゃく、さく)という鳥が何を指すのか不明だが、ニワトリの記述はない。ここでは大陸に生息し日本にいない動物に注目しているので、鶏が挙げられていないことから倭の地にニワトリがいなかったとは断言できない。

ここからは食べ物の話だ。

日本人の肉食を考えるうえで重要な記事が天武天皇4年(675)の詔勅である(『日本書紀』)。ここには「牛、馬、犬、猿、鶏の宍(しし;肉)を食べることなかれ」とある。わざわざ天皇の命令でこれらの動物の食用を禁じた裏には、食べていた輩が横行していたからである。

禁食品に犬、猿が挙げられているのが面白い。犬はともかく、猿まで食べていたとは…。

この詔勅は、肉食を禁じる仏教信仰との関係から発されたと解釈する説、牛馬は農耕に欠かせないのでその殺傷を禁じたとする説もある。

兵庫県の梶原遺跡では、牛や馬に牽かせる木製犂(奈良時代)が出土している。

しかし、縄文人や弥生人が好んで食べていた猪や鹿は挙げられていないことからすると、わざと抜け道をつくったのであろう。過酷な労働を要する作業には動物性タンパク質が欠かせない。

禁制の動物に鳥類ではニワトリだけが入っているのが注目される。この頃には、霊鳥視する風がなくなったのか。



中世まで、野鳥は食用とされた獣鳥類のなかでも美物(びぶつ;美味な食物)だったとされる(鈴木晋一「日本人と鳥料理」『月刊百科』1982-8)。

応永27年(1420)の成立とされる『海人藻芥(あまのもくず)』には、天皇の食膳に供される鳥として、雉子(キジ)、白鳥、雁、鴨、鶉(ウズラ)、霍(ヒバリ?)、雀、鴫の8種が挙げられている。

室町将軍へ献上された美物にあっても、雉子に次いで白鳥、雁が珍重されたという。

霊魂の変化である聖なる白鳥が食用となっとる!!。

すでに倭建命の白鳥伝承は忘却されたのか。嘆かわしい。


キジは、庵主も幼少の頃食したことがある。死後数日、軒下に逆さに吊るして腐らせると肉が甘く美味だ。
いまやキジ鍋は高級料理だ。

室町時代には鷹狩で鷹が捉えたキジがとくに重宝され、将軍に献上された。狩り場では焼き鳥にして食べられたらしい。


室町末期になって、料理に鶴(ツル)が新たに加わり、鶴、雉子、雁は「三鳥」と称された(『庖丁聞書』)。これは江戸時代になっても変わらない。

江戸時代になると、武家の間でツル、庶民の間ではカモが人気食であったという。

カモ鍋の煮こごりは、町人学者を標榜するわが師匠の大好物であった。朝食に熱いご飯に煮こごりを掛けて食するのだ。ゴックン。冬の鴨鍋シーズンには、湖北の老舗の料理旅館に脚を運んだ話を耳にしたものだ。

庵主は一度もご相伴にあずかることはなかったが……。

ヨッシャ、同好の士、愛弟子たちを誘って湖北の「鴨鍋」と洒落込むか(アハ)。

ウウッ、待てよ????、鳥インフルが琵琶湖の野鳥まで侵すのは時間の問題か!!

環境庁、どぎゃんかせんとアカンでよ。相手が野鳥とあっては手も足も出んか…。



最後に鳥インフルで落命した野鳥、ニワトリの冥福を祈って合掌。

「円亭」常連の住職に「鳥塚」を立ててもらい、懇(ねんご)ろに供養してもらうか。

マスメディアに載ったら、宗派、塔頭の宣伝になるかも。


庵主

テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

初天神詣り

1月25日。今日は北野天満宮の初天神(天満宮へ年初めの参詣)。


この神社は、菅原道真(すがわらのみちざね、管公、管丞相とも)を祭神とする。学問の神様としても有名で、受験生には人気がある。

道真は土師氏(のち菅原と改姓)の出で、公卿にして学才に秀でた。『類聚国史』の編纂にあずかり、『菅家文草』などの著書がある。遣唐大使に任命されたが、建言して遣唐使を廃止する。唐の国力・文化が衰え、生命の危険を冒してまでも使節を派遣する意味はない、というのがその主な理由であった。その結果、王朝美に彩られた国風文化の興隆を見た。

延喜元年(901)、右大臣の地位にあったとき、藤原時平の中傷により大宰権帥(だざいごんのそつ。九州と壱岐・対馬2島を管轄する長官の大宰帥に次ぐ官職。)に左遷され、配所の大宰府で没した。

道真の死後、都で異変が頻発し、恨みをのこして世を去った道真の祟りとされ(御霊信仰)、10世紀中ごろ北野の地に祀られた。


配所で詠んだ次の和歌はあまりにも有名。

「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」

現代語訳すると、(春になって)東の風が吹いたなら、(遠い大宰府の地まで)香りを寄こしておくれ、(都の私の庭の)梅の花よ。主人(道真のこと)がいないからといって、春を忘れるなよ。

なんと優しくも哀しい歌だ。泣けてくるではないか(ホロホロ)。


道真の心を知って、その梅の木が都から大宰府へ飛んで来たという「飛梅伝説」まで生んだ。

ウウッ、このあたりの感性に日本人の心が顕現しとる。



現在、数千本の梅の木が境内に植えられているが、道真の心を汲んでか、いつしか誰かが植えはじめたのだろう。

心ある若者よ、ここへ脚を運び、道真いや日本人の心に触れよ。京都で歴史を学ぶものであれば、ましてや。



朝方、霙(みぞれ)交じりの天気が午後になって好転。雲の間から陽射しも。

午後から北野天満宮に参詣。大学から歩いて20分くらいの距離だ。


北野神社は、初天神の市も立って人、人、人……n。

今出川通りから楼門までの参道は両側に出店がびっしり軒を並べる。



楼門の下で、あでやかな着物姿で現われた愛弟子ふたりと合流。

着物姿が神社に見事にマッチ。まるで雑踏の境内に鶴が2羽舞い降りたようだ。

本殿で参拝ののち、おみくじを引くと「中吉」。正月4日に八坂神社で引いた「半吉」からワンランクアップ♪♪。



境内の梅は、まだ固い蕾。その中に早咲きの紅梅、白梅が2~3本だけ可憐な花を咲かせ始めていた。

今年は寒いので、開花が遅れている。

2年前の正月に参詣したときは、上旬には咲きはじめていた。今年は例年より寒いせいか。



上七軒界隈を散策しながら千本釈迦堂に立ち寄り、店の開店を待って「円亭」へ。

円亭名物の魚シャブで舌鼓。寒い季節には熱い鍋物がいい。



▼石の鳥居の前。

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(クリックすると、画像が拡大)



▼桧皮葺(ひわだぶき)の見事な黒と金箔を配した楼門。格式の高さを窺わせる。

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▼楼門に掲げられた卯年の開運大絵馬。紅梅の下に一対のかわいい兎が配されている。

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▼楼門脇の石獅子。顔面の彫りが巧みだ。江戸初期の作か。

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▼黒で梅花紋をあしらった神灯。なかなかシンプルなデザインだ。

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▼赤い眼をした石牛。楼門を入った正面に鎮座。この神社は牛像の宝庫だ。

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▼本殿への参道。

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▼本殿(国宝)前で列をなす参拝客。

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▼桧皮葺の権現造(ごんげんつくり)の屋根と欄間彫刻(左右に龍・虎の彫刻を配置)。黒漆に金箔と超豪華だ。国宝だけある。

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▼連れの二人が石牛さんをナデナデ。患部の平癒を祈る呪(まじな)い。

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▼三分咲きの白梅。

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▼白梅のアップ。蕾が膨らんできている。来月の梅花祭が楽しみだ。

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▼陽光を受け濃いピンク色に染まる紅梅。

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▼可憐な紅梅一輪。

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▼絵馬堂の三十六歌仙絵馬。

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▼魚シャブの具(ブリ、ホウボウ、グレ)。左端はハモ。いずれも舌がとろけそう。

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▼魚シャブの具(生ガキと生ワカメ)。

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▼後ろ姿もきまっとる。着付け直しをした円亭の女将が、「いまどき着物を着るとは感心」とポツリ。
娘たちよ、日本のよき伝統文化を絶やすな。

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▼お太鼓の絵柄。格調高い王朝風の絵柄。

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忙中閑。梅の花、着物姿、魚シャブに眼の保養と栄養補給をした一日だった。


アカン、草庵の裏庭に飢える梅の苗木を買って来るのを忘れとった。

昨夏の猛暑で、苗木や草花がだいぶ枯れよった(トホホ)。花鳥風月をこよなく愛する庵主には耐えられん。


2月の「梅花祭」の頃、再度訪れるとすっか。


寿命が延びた気がする庵主

テーマ : 今日の出来事。
ジャンル : 日記

天井を踏み破った猫(続編)

1月23日(日)、今週末寒くなるという予報がはずれてもた。そっでも最高気温7℃。


愛読者より、天井を踏み破ったデブ猫(1月9日記事)のその後の消息を問い合わせるメールが寄せられた。

さすがに懲りてか、その後わが草庵には姿を見せん。


先ごろ、車道を悠然と横断する姿を見かけたので、近所に寝ぐらをもっているのは確か。


愛読者の要望に応えるため、草庵のまわりで件のデブ猫をさがすことに。



路地から車が通る道路に出て本宅の南向きの屋根を見上げると、三毛猫が陽を浴びて気持ちよさそうに昼寝中。

天井から降ってきたのは、このニャンコに非ず。

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しばらくすっと、例のデブ猫が路地に面した屋根にひょっこり姿を見せた。

隣の家の塀の上をつたって、あたりをはばからず悠然とこっちへ近づいてきた。


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塀の端まで来てしゃがみこんで、カメラを構えた庵主を睥睨(へいげい)。野良ネコにしてはやけにひと馴れしとる。


なんともふてぶてしい面構え。背中の毛を逆立てとる。見るからに喧嘩は強そうだ。さては、この一帯を仕切るボス猫か?


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すると、塀から飛び降り、カメラを構える庵主の目の前に。

カメラをにらみつけながら、目の前を大股ですり抜けて行きよった。


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立派な〓玉ぶらさげとる(自己規制により伏字)。こりゃ、オス猫だわい。


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オイオイ、どこ行くんじゃい。逃がしてやった恩返しの「小判」、どないなっとんじゃ!!
お前のおかげで、こちとら天井の修理代ウン万円請求されんだぞ。

磔の刑(昔、中国ではイヌを磔にしたようだけど)にでもしたい心境。皮は三味線屋に売って修理代回収すっか。

そういえば、この頃、巷でネコ取り(業者)見んようになったな?

ノラ猫が増えすぎて値崩れし、商売にならんのやろか…(笑)。それとも三味線の需要が減ったか…。


ネコ占いは裏目に出たか。あ~あ。出るは溜息のみ。


落胆の庵主

テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 日記

糺の森散策

1月19日(水)。寒波も一息つき、ヤレヤレ。

家で2日間続けて炬燵にかぶりついて卒論読んでたら、目はショボショボ、立ち上がるとき腰に激痛が。

こりゃ、アカン。身体を動かさなくっちゃ!。それにしても、イタタタ…。


運動とブログのネタ探しを兼ね、一眼レフデジカメを吊り下げ、草庵から15分ほど歩いた糺(ただす)の森へ。


この緑地は賀茂川と高野川の合流地点に近く、総面積が12万4000平方メートル(東京ドーム3個分)もあり、樹齢数百年の大木が杜(もり)をつくっている。山城盆地にあった原生林の面影を今にとどめることから、国の史跡に指定された。

カシ、クスなどの常緑樹もあるが、落葉樹のケヤキの大木が結構多い。この木は関東平野によく見かける。冬に底冷えのする京都盆地の気候がケヤキの生育に適していたんだろう。

この森には、山城国一宮の賀茂御祖(みおや)神社(下鴨神社)が鎮座し、このことが聖域として保護され、現在に至っている大きな理由と考えられる。



京都には神社があまたあれど、この神社は筆頭格だ。

現存の東本殿(賀茂建角身命を祀る)・西本殿(玉依姫を祀る)は国宝。残余の建物の多くも重要文化財に指定されている。1994年に「世界文化遺産」に登録された。それにともない、整備が進んでいる。


平安京造営以降、多くの貴族の崇敬を集め、数々の歌を残した。皇居が火事に見舞われたときには、天皇の避難場所として使われた。

5月3日の流鏑馬(やぶさめ)神事、5月15日の葵祭、7月土用丑の日の御手洗祭はつとに有名。



この神社の歴史は古く、『山城国風土記』(逸文)に「可茂(かも)の社」として登場。風土記が撰進された8世紀の初めには存在していたことが知られる。なんと1300年の歴史を誇る。

もともとは上賀茂神社と一体で祭祀が行われ、この地の豪族である賀茂県主氏の氏神であった。


下鴨社の祭神は賀茂建角身命(カモノタケツノミノミコト)、玉依姫(タマヨリヒメ)で、賀茂建角身命は神武天皇東征の道案内をしたヤタガラスのことである。


『山城国風土記』によれば、この神ははじめ大倭(大和)の葛木山の峰に宿っていたのが、山代(城)国の岡田の賀茂に移り、さらに山代川(木津川の古称)を下って葛野川と賀茂川との合流点に至り、そこから賀茂川を遡って現在の地に鎮まった、という。


賀茂建角身命は丹波国神野の伊可古夜比売(イカコヤヒメ)を娶って、玉依日子(賀茂県主の祖)と玉依日女(タマヨリヒメ)をもうけた。玉依日女が石川の「瀬見の小川」で川遊びしていると上流から「丹塗り矢」が流れて来て、それを拾い上げ床の辺に挿しておいたところ、やがて孕んで男の子を生んだ。

『山城国風土記』逸文によれば、玉依日子は賀茂県主等の遠祖(とおつおや)と記す。


これは「丹塗り矢説話」として知られ、三輪山神話とも共通する。矢が神の依り代にとどまらず、神が変化した姿であるところに本説話の核心がある。

ウーム、発想が素晴らしい。こんな説話、中国、韓国にはなかろうて。


▼「朱塗りの矢」が流れてきた「瀬見の小川」。世界遺産となって整備され、清澄な水が音を立てて流れとる。

「石川や せみの小河の 清ければ 月もながれを 尋ねてぞすむ」(鴨長明、『新古今和歌集』)

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(クリックすると、画像が拡大)



賀茂建角身命が神々を集めて七日七夜の宴を催し、成長したその子に「汝が父とおもう人にこの酒を飲ませよ」と言って酒杯を渡したところ、その子は酒杯をささげ天に向かって祭をおこない、屋根を分け破って天に昇ったという。そこで、賀茂建角身命は可(賀)茂別雷命(カモノワケイカヅチノミコト)(上賀茂神社の祭神)と名付けたという。そして「丹塗り矢」は、乙訓郡(京都盆地西南部)の社に祭る火雷命(ホノイカヅチノミコト)であったことが判明する。

この説話が物語るところ、なかなかに意味深だ。

ヤタガラスをトーテムとする賀茂一族がこの地に入植したプロセスが知れる。

外来氏族の賀茂氏が山城盆地に入植した当時、この地にはすでに雷をトーテムとする一族が住んでいて、その一族との婚姻関係によって賀茂氏がこの地に安住の地を得た経緯が秘められているように思えてならない。


社地には湧水を見た御手洗池、瀬見の小川という清水があり、古くから聖なる湧水に対する信仰が背景にあったのだろう。湧水地に祠が建てられた例は枚挙にいとま非ず。

水に対する崇拝は農耕民に固有のもので、雷神(雨を降らす)との結合はそれを強化する。

下鴨社には出雲井於(いのへ)神社があり、正倉院に残る山城国愛宕郡出雲郷計帳に見る、葛野(かどの)という姓を名のる出雲郷の人たちが崇拝したのであろう。因みにその祭神はスサノオノミコト。井於は井の辺(へ)に由来するものだろう。

とすると、「丹塗り矢」の正体(賀茂別雷神)はもともとこの地に居住していた葛野氏族が斎き祀る氏神(雷神)であったのかもしれない。


『山城国風土記』逸文では、賀茂建角身命、伊可古夜比売、玉依比売の三柱の神は蓼倉里の三井(みい)の
社に鎮座する、と記す。

しかし、賀茂県主の祖とされる玉依日子は祭神から三井社から除かれ冷遇されている。これは謎だ。



▼糺の森と馬場。東京ドーム3個分の広さがあり、国史跡となっている。また世界遺産にも指定(1994年)された。この馬場で流鏑馬神事(5月3日)がおこなわれる。

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▼「瀬見の小川」にかかる石橋を渡った西にある河合社。朱の鳥居は石橋のほうを向き、河合社は南面する。社殿の屋根には17日に降った雪が残る。

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▼河合社の門前にひそやかに鎮座する三井社。『風土記』にも登場する由緒ある神社なのに、なにかしら哀れを誘う。

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▼下鴨神社社紋の葵をあしらった神燈。デザインが通常のものとは一風変わっとる。なかなか粋だ。

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▼河合社の舞殿と拝殿(奥)。祭神は玉依日女。ここは『方丈記』で有名な鴨長明ゆかりの神社。
舞殿の横に長明の庵が復元してあった。

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▼拝殿の「鏡絵馬」。美顔となる神さまで女性の人気は圧倒的とか。

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▼奉納された「鏡絵馬」のオンパレード。下書きされた目鼻立ちに筆やマジックで思い思いにアレンジ。よくよく眺めとると、顔立ちが誰かに似とる絵も。さては、こっそり訪れたか?。今度会ったら聞いたろ(笑)

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河合社をあとにし、下鴨神社の本殿へ。本来の参道へ戻る。


▼参道。遠くに朱塗りの二の鳥居。両側から常緑広葉樹がトンネルをつくる。

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▼参道脇の神木。枯れた大きな幹に注連縄をめぐらす。杜にはこうした古木が少なくない。

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▼二の鳥居。鳥居の右手前に巨大な御手洗石がある。

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▼御手洗の舟形盤座石。巨大な自然石を刳り抜いてある。こんな巨石どこから運んで来たものか。修羅にでも乗せて曳いてきたんやろうか。

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▼柿色をした朱塗りの楼門。本神社のシンボル的な建造物。左手前に縁結びの「相生社」。若い女の子たちには人気スポット。この朱塗りの楼門の前に立つ着物姿は、さぞかし絵になるだろうて。

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▼楼門前の「相生(あいおい)社」(縁結びの神)。おみくじ掛けにわんさか願文が括りつけてあった。

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▼楼門前に立つ左右一対の神鉾。邪気を払う武器だ。錦の幡と揺絡をつけ豪華だ。

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▼朱塗りの楼門をくぐった広場中央に舞殿。左手奥が本殿。参拝客はまばら。手前に残雪。

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▼残雪を載せる楼門の北向き屋根。白い雪と朱の取り合わせが素晴らしい。冬の季節限定の風物だ。

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▼橋殿と大絵馬。

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▼卯年にちなむ大絵馬。月に兎は、唐代に好まれたモチーフだ。月輪の中で仙薬を臼でつく図案にしたら、余りにも世俗的かな。絵師はそれを避けたのだろう。

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▼光琳梅と輪橋(そりはし)。光琳梅は尾形光琳の「紅白梅図屏風」(国宝)のモデルになった梅とされる。花をつけたら壮観だろう。

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▼こじんまりした御手洗社(井上社、唐崎社とも)。輪橋の奥に鎮座、社前の御手洗(みたらし)池では、斎王代(葵祭りのヒロイン)の禊ぎ、土用丑の日の足つけ神事がおこなわれる。

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▼本殿前の中国人若者3人組。言葉で判明。日本文化の核心たる聖域まで来よったか…。

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▼近年、境内で発掘された祭祀遺構。

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▼祭祀土坑。小河に面した小さな皿状の穴から江戸時代の寛永通宝や土師器皿が出土。

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▼祭祀遺構の説明板。河原石を敷きつめた遺構は平安時代後期(12世紀後半)の祭祀にかかわる施設。

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タイガーさん、この神社見どころ仰山ですぞ。じっくり散策したら時間を忘れるかも。水が温む頃、脚を運んでは…。

5月には、勇壮な流鏑馬でも物見遊山すっか。


洛倭亭庵主

テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 日記

雪、雪また雪

1月17日(月)。2日続きの寒波も一段落と思いきや、なんのその。京都は3日続きの雪だ。

朝、目が覚めると戸外は積雪5cm。なんとも雪の多い年だ。

空気そのものが、凍てついた感じ。

雪質は湿度が高く重い綿雪だ。

背丈3メートルはあるナンテンの木が雪の重みでたわんで、悲鳴をあげてる。

隣のグミの木は、まるで細い枝の上に綿を載せたようだ。


▼雪の重みでたわむナンテンの木。

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(クリックすると、画像が拡大)


▼草庵のグミの枝に降り積もった綿雪。

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今日は片道1時間かかる京田辺校地に出講の日だ。よりにもよって、こんな深雪の日に…。

通りに出ると、以外にも路上の積雪は車の通行でおおかた融け、アスファルトの地肌がむき出しになっているところも。

これならスリップして、転倒の危険はない。ヤレ、ヤレだ。


▼叡電元田中駅から比叡山ホテルの方向を見やると、灰色の雪雲が立ち込め、白銀の東山連峰が覗く。

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10時過ぎ電車が出町駅に着くと、雪が残った賀茂川・高野川の合流地点を少時散策。

道行く人が出町橋の上で携帯を手に思い思いに雪景色を撮っている。

糺(ただす)の河原も雪に覆われ、普段とはまた違った表情を見せる。

カバンからコンパクトデジカメを取り出し、被写体と構図を物色。



▼糺の河原と大文字山を広角で撮影。東山の上空に雪雲の間から青空が顔をのぞかせる。こんな情景を見れるのも年に2~3度か。

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▼雪の大文字のズームアップ。「大」の字が白い筆で書かれたよう。手前の丘は吉田山。

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▼高野川上流をズームアップ。陽光を受け雪山が銀色に輝く。送り火で知られる松ケ崎山の「妙法」の「法」の字も判別しずらい。右後方に雪雲がかかる比叡山。御蔭橋の手前の水面には氷が張っている。

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▼写真撮ってると、雪が消えた足元の土手に小鳥が一羽、餌をさがしながら近寄ってきた。この鳥、なんの鳥??

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▼電線に止まったハトの群れ。下の電線の右端にユリカモメが1羽仲間入り。ハトに遠慮したものか。

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▼出町橋のたもとに残った残雪にわが足跡を。これぞ雪の「仏足石」だ(遊び)。

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▼京都盆地の南端では積雪を見ず。京田辺まで来ると雪のかけらさえない(近鉄の車窓から)。

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京田辺キャンパスの雪景色を愉しみにして来たものの、見事に肩すかし。

テーマ : 今日の出来事。
ジャンル : 日記

冬の今出川キャンパス

1月15日(土)。センター入試の初日。冬将軍の南下で冷え込みが一段と厳しい。

午後から校務のため出勤。

家を出て百万辺あたりに差しかかると、やけに人通りが多い。

今日15日は知恩寺の境内で「手作り市」が開かれる日だ。スタートしたころは人もまばらだったが、マスメディアで紹介されてからというもの、各地から人が大勢集まるようになって大賑わいだ。

どんな品物が並んでるのか気になるが、あいにく覗く時間もない。

今日は五・十日(ごとび)にあたり、商工業者の決済などで今出川通りも普段より車が多い。




空を見上げると、濃い灰色のどんより曇った冬空で、思わずコートの襟を立てる。

土曜日で正規の授業がほとんどなく、今出川キャンパスは閑散としている。

歩く人もまばら。平日の華やかなキャンパスとは大違いだ。

イチョウやケヤキもすっかり葉を落とし、そのぶん陽光が差し込み、キャンパスが明るい感じも。




雪のない冬のキャンパスを撮影するには格好の日だ。

バッグの中からコンパクトデジカメをやおら取り出し、目につくものをショット。

顔見知りの学生や教職員と顔を合わせることもないので、気にせずに被写体やフレーミングを選べるのがいい。




▼どんより曇った冬空の今出川キャンパス。すっかり葉を落としたイチョウの木が寒さを誘う。

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(クリックすると、画像が拡大)



▼明徳館のシンボル・タワー。40年前の学園闘争時には赤い旗が翻っていた。あの熱気はどこにいったものやら…。

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▼クリスマスにイルミネーションで飾られるモミの木。いまはお役御免。

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▼図書館前の茂みに隠れるように立つ高さ1mほどの「一粒の麦」碑。ひとりの犠牲によって、多くの人々が救われるというキリストの教え(『新約聖書』ヨハネ伝12章)に因む。誰がいつ建てたものか?。

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▼三つに割れた巨大な礎石。中京区姥柳町の南蛮寺址から出土したものを移築。礎石にしては大きすぎ、庭石として使われたものか。数年前に大河ドラマでも紹介された。

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▼図書館脇の植え込みに植えられた一株の椿。花の少ない冬季に鮮やかな赤い花がひときわ光彩を放つ。

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▼赤く咲くのはツバキの花。

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▼白く咲くのはヤツデの花。ツバキの花とはまた対照的。

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▼西門の塀の前にひそやかに立つ「薩摩藩邸跡」の石碑。今出川キャンパスは幕末の政局に大きな役割を果たした薩摩藩の青き志士たちが日本の夜明けを夢見た故地。往時を偲ばせるのはこの石碑のみ。

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▼烏丸通。明日の都道府県対抗女子駅伝(「全国女子駅伝」)を控えたチームが仕上げの試走。カメラの横をあっという間に走り過ぎて行った。奥の建物は寒梅館。遠方に雪を抱く北山の峰が垣間見える。

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古きまた新しき卒業生たちよ、疲れたとき、青春のひとときを過ごしたこのキャンパスを思い出しておくれ。

テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 日記

円亭での飲み初め

1月11日、快晴。3連休中の寒波の余韻がのこり、朝方の冷え込みが厳しい。

愛宕山、北山の峰々には残雪が陽光に輝いている。

賀茂川にはユリカモメが散見される。京都の冬の風物詩の一コマだ。


午後、4日ぶりに登室。

早速、溜まったメールをチェックし、緊急の用件にはリプライを送る。



18時過ぎ、今年初めて「円亭」に寄り、円亭の大将・女将と年始の挨拶を交わす。

ほどなく愛弟子、常連のK氏も現われ、庵主が携えてきた清酒「松竹梅」(正月スペシャル版)を杯に注ぎ、店の繁盛と互いの健康を願って5人で乾杯。

大将心づくしの魚料理を前に21時過ぎまで話しに花が咲く。

かくして円亭での「飲み初め」はお開き。




▼黒、白、赤、緑の色彩鮮やかな付けだし。正月とあっていつもとは一風変わっとる。箸置きは今年の干支のウサギの白磁。女将の気配りが伝わってくる。

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(クリックすると、画像が拡大)




▼イワシの身を大根で巻いて餅をイメージ。縁起物の黒豆、千代呂木(長老木)が彩りを添える。

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▼香ばしいイシダイの塩焼き。正月に欠かせないタイのバリエ-ション。ほどよい塩味で焼きあがりが最高。柚子の汁をしぼって身にかける。

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▼愛弟子が持参した「マールブランシェ」北山本店オリジナルの「抹茶ロールケーキ」。舌がとろける美味しさ。

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テーマ : 今日の出来事。
ジャンル : 日記

ネコ、天から降る!?

世にも不思議なことが……。


昨夜、読書に精を出しとると、突然、夜のしじまを破って、台所のほうで「ドドーン」という雷鳴にも似た轟音が草庵を揺する。

「すわ、直下型地震か!!」。

と思いきや、蛍光灯は揺れとらん??。


轟音のしたあたりへ様子を見に行くと、台所と廊下が濛々たる土埃の「灰神楽」。

ことにガスコンロの一帯は、板切れや土が散乱(ウ、ウッ)。

天井を見やると、ガスコンロの上の天井ベニヤが垂れ下がっとる。


灰神楽の中を透かしてみると、丸々と太った茶斑の白ネコ(初めて目にするネコ)が一匹、台所のコンロ脇で肝を潰しフリーズしとる。


天井裏を徘徊しとった超肥満ネコ(5kgはあろうか)の体重を支えきれずに天井の薄いベニヤ板の留め釘がはずれたものか。

正気を取り戻したネコは、庵主を見てパニック状態になって必死に逃げ場を探し、部屋の中を右往左往。

天井を踏み破った、にっくきニャンコなれど、入口の戸を少し開けて逃がしてやった。



「ネコ、天から降る」、これ「吉兆」か、はたまた「凶兆」か??(ムムッ)。

ウーム、この占い、なかなか難問だわい。


「天孫降臨」という話しは聞いたことあるけど、「天からデブ猫降臨」とは初耳。

天から「物」が降ってくるちゅうのは、(雨、雹、雪は別にして)奇怪、珍妙きわまりない現象だ。

昨秋中国で見た隕石は、「幸運石」「長寿石」として庶民に崇拝されとった。

世直しにつながった幕末の御蔭参り(おかげまいり)の「神符」も天から降ってきた(「神符降下」)もんだ。


隕石や札との違いはあるが、空からネコが降ってくんのは滅多にないことだから「吉瑞」と判定。

ちと、わが身に引き付け過ぎたかな(アハ)。


庵主


テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

「七草粥」

今日は正月7日の「七草粥」。

昨夜の「カラオケ歌い初め」でいささかアルコールの度が過ぎ、午前中いっぱい末梢神経が気だるい。

水分を盛んにとり、アルコール分を飛ばすのに苦心惨憺(フーッ)。



午後は、気を取り直して草庵で卒論や博論読みに専念。

研究室にいると、雑用や電話、訪問者などで集中できん。その点、自宅はいい。目が疲れたら、横になって休めるし…♪♪。


夕食に娘が「七草粥」を運んできた。今日が「七草粥」とは完璧に忘れとった。

とんと想定になかったんで、嬉しい。

わが家にも日本文化の伝統が息づいていた(ホーッ)。まだまだ捨てたもんじゃない。



いうまでもなく「七草粥」は陰暦(旧暦)正月七日の節句に七種類の菜を粥に和え、無病息災を願い、邪気を払う意味で、古来から日本に伝わる伝統的風習。

平安時代の初めに編纂された『延喜式』(927)巻40に「七種御粥」という記事がある。


「春の七草」には、普通、セリ(芹)、ナズナ(薺)、ゴギョウ(御形)、ハコベラ(繁縷)、ホトケノザ(仏の座)、スズナ(菘=かぶ)、スズシロ(清白=大根)があげられる。

雪が深い地方では、異なる菜を入れるところもあるらしい。

いずれも胃腸に薬効があり、ビタミンの補充にもってこいだ。


昨夜のアルコールで荒れた胃腸をいたわるにはお粥が一番だ。



▼今夜の夕食献立。椀にお餅が入った粥。中央に4種の菜。上はサケの粕汁だ。

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▼かわいいスズナ(かぶ)、スズシロ(大根)。

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テーマ : 今日の出来事。
ジャンル : 日記

田中社へ再詣

2日に最寄りの鎮守社へ初詣に出かけながら、財布忘れてもた(アホ、間抜け!!)。

そこで、翌日、わが守護神(大国主命)のために再度参詣する羽目に。



▼参拝者がいない合間を縫って、神主がバイトの巫女の記念写真を撮っとる。

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(クリックすっと、画像が拡大)


舞殿に近づくと、注連縄を飾った巨大絵馬の前に赤い毛氈が敷かれとる(2日には見なかった)。

脇に太鼓まで。「獅子舞」の道具か。

舞殿の前に床几が並べられ、案の上に神酒の「振る舞い酒」が用意されているではないか!!

酒瓶の横には賽銭が載った白木の折敷がしつらえられ、百円玉のほかに千円札もチラホラ。


脇には丸ポチャの巫女姿のお姉ちゃん(バイトか)が、つつましく控えとる。



そこで、千円札を賽銭に上げ、柏手2回打って拝礼。

終わると、巫女さんが振る舞い酒を一献と、恭しく酒杯に注いでくれた。


辞そうとすっと、赤い毛氈の上にどうぞと。

すると、獅子頭をかぶった神主が、獅子の口をぱっくり開けて頭を齧るしぐさ、ついでに肩も(こっちは、ちゃっかり庵主のリクエスト)。

最近、執筆やブログ書きやらでよう肩が凝るんで、その凝りを獅子に食べてもらった。

これで、今年のブログも安泰か(笑)。

目もよく疲れるんで、ついでに目の凝りも噛んでもらったらよかったかな(アハ)。


かくして、再参詣も無事終了。今年も引き続き大国主神のご加護がありますように。


獅子舞は、伎楽・舞楽などとともに唐から伝来したもので、五穀豊穣の祈願や邪鬼払い、新年の祝いや祭礼に舞われたが、最近、あまり見かけなくなった。

古き良き日本文化も廃れていく運命に…。




▼獅子の頭をかぶる年嵩の行った巫女さん(呼び方が違うんだが、ウウッ、思い出せん)。

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▼これぞ獅子の顔。口がパクパク開くように造られとる。

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テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

八坂神社へ初詣

今日(4日)は、教え子二人と連れだって「八坂神社」へ初詣♪♪。

正月三が日を過ぎても参詣客で大賑わい。不景気もなんのその。


本殿前で賽銭を上げ、今年一年の家内安全、無病息災etcを神妙に祈願。


おみくじを引いたら、なんと三人とも「半吉」。ウ、ウ、ウ、揃いも揃って…。

なんとも、お付き合いのいい娘たちだ!。 さすが、わが愛弟子というべきか…。


去年の「十日戎」に引いたおみくじは「末吉」だったんで、今年はワンランク・アップ♪。

来年はワンステップ・アップした「吉」にひそかに期待しようっと。 

大判振る舞いの「大吉」でもいいっけど(笑)。




本殿に参詣後、その裏手(山側)に鎮座する「美御前社」に。

この摂社は、あまり知られていない。愛弟子たちも知らなかったそうな。

八坂神社の本殿はスサノオノ命を主祭神とするが、この摂社はスサノオとアマテラスの誓約(ウケヒ)で生まれたイチキシマヒメ(市杵島比売)神、タギリヒメ(多岐理比売)神、タギツヒメ(多岐津比売)神の三柱を祀る。

スサノオの血縁につながるんで祀られたのだろう。

これら三女神は「宗像三女神」と呼ばれ、玄界灘に浮かぶ沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、福岡県宗像市の海岸近くにある辺津(へつ)宮に祀られる。

瀬戸内海に浮かぶ世界遺産「厳島神社」(広島県廿日市市)の祭神も、この「宗像三女神」である。

とりわけイチキシマヒメ神は航海の守護神として知られる。

沖ノ島の祭祀遺跡はつとに有名で、古墳時代から巨岩の磐座(いわくら)に拠ってたびたび祭祀をおこなっていたことが考古学的調査で明らかにされた。

この島は禁足地で、神職以外の上陸を禁じられていた。島全体が信仰の対象とされていたのである。

現在も、沖ノ島の近くを船舶が通過するとき、船員が航海の安全を祈り黙礼する習わしがあるという。


九州の一角で崇拝されていた地方神が、中央政府の祭祀に取りこまれていくプロセスは十分に解明されていない。

日本神話は実に奥深い。




「美御前社」にお参りすると美人になるといわれ、祇園の舞妓、芸妓に人気があるという。

ただし、「宗像三女神」が美人だったということは、記紀には記されていないのだが…。

アチャ、話の腰を折ったかな。




▼八坂神社境内の人出。おみくじ売場がとくに混雑。

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▼こじんまりした「美御前社」。

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▼「美御前社」前でのスナップ。

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▼揃いもそろって「半吉」おみくじ。

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テーマ : 今日の出来事。
ジャンル : 日記

新年、明けましておめでとうざ~ます(Ver.2)

雪もほとんど消えた正月2日の午後、近くの鎮守社「田中神社」へぶらりと初詣。


年始にだけ飾られる「干支大絵馬」のショットを兼ねて。



▼田中神社正面。手前は御蔭通り。クスノキの大木が参道の両脇に。左手に由緒書きの立て札。

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(クリックすっと、画像が拡大)



▼小さな石橋を渡った先に二の鳥居が。

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ここで、田中社の縁起を案内板から紹介する。


この神社は、山城国愛宕(おたぎ)郡に属し、東山通りを少し東に行った御蔭通りに南面する奥行き約70m、幅約30mの社地を有する(鎮守社の敷地にしては広い)。

地名からして、もともと比叡山の西南麓に広がった田圃の中に集落があって、その一角に神社が建てられたのだろう。

創建は不明なれど、『日本三代実録』の貞観五年(862)五月二十二日条に登場する「田中神」は本神社を指すとされる。だとすれば、平安時代前期には存在していたことに。

応仁の乱のころには、本神社を中心に「田中構(たなかがまえ)」が築かれ、文明六年(1474)には西軍の攻撃で社殿が炎上。このころまでには集落は「構え」(集落を囲む防御施設)をもつ惣村にまで成長していたことが窺える。

また天文法華の乱(1532~36)でも法華宗の攻撃で被災したという。延暦寺の傘下に属していたのだろう。

本殿、拝殿は賀茂御祖(カモミオヤ)神社(下賀茂神社)の式年遷宮の折々に譲り受けたものらしい。社紋の「三つ葉葵」は、この神社との深い繋がりを物語る。

寛永五年(1628)、比良木社の旧殿を賜った際には銅銭を賀茂社に奉納したという。


▼銅板葺き屋根の舞殿。正面に今年の干支の大絵馬が。

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▼卯年の大絵馬。これまたカワユーイ兎さんだ。

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▼拝殿と本殿。参拝者もほとんど見当たらず。

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▼「三つ葉葵」の社紋(弘安殿)。賀茂御祖神社(下賀茂神社)とのつながりを物語る。

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大国主神(オオクニヌシノカミ)を主祭神とし、稲田姫(イナタヒメ)、事代主神(コトシロヌシノカミ;大国主神の子)、倉稲魂神(クライナタマノカミ)、猿田彦神(サルタヒコノカミ)を摂社に祀る。

また明治12年(1789)になって、「談合(だんこ)の森」(叡電茶山駅付近か)にあった玉柳稲荷神社を境内に移す。


記紀によれば、主祭神の大国主神、稲田姫、事代主神はいずれも出雲の神様だ。

なぜ故地を遠く離れたこの地に出雲の神様が???…。

正倉院文書(『山城国愛宕郡出雲郷計帳』)にある「出雲郷」は、賀茂川の西にあり、ちと離れている。

しかし、出雲郷が賀茂川・高野川を挟んだ東山の麓に延びていた可能性も考えられるが、定かでない。

なお、田中社から東へ数百メートル行ったところに北白川廃寺(白鳳期創建か)がある。



▼カワユーイ大国主命をあしらった絵馬。

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待てよ、一昨年来、出雲の地に庵主をいざない、幸運と強運を授け続ける守護神の正体は、この鎮守社の主祭神だったんでは!!!。

ワナ、ワナ。一瞬、全身を雷電に打たれたような衝撃が駆け巡る。

大国主神は名にし負う「縁結び」の神(「厄除け」の神でも)。

「出雲」の地に密かに招(ま)ぎ寄せ、出雲と縁を結ばせた霊験あらたかな神さんにちがいない。

ウ、ウ、ウッ、気づかなんだ。なんという迂闊。

「灯台もと暗し」とは、このことを言うか(冷汗ドドッ)。


こりゃ、草庵に大国主神を勧請し(ちと大袈裟かな)、朝な夕な篤く崇拝すっとともに「田中神社」にお賽銭をたんと弾まなきゃ!!!。


今年の干支(えと)は、大国主神とは切っても切れないウサギ年(「卯年」)。

大国主は因幡の白兎を救った心優しい神でもある。

わが守護神の正体も判明し、今年は正月早々、縁起がいいわぃ。

しまった。賽銭上げる財布忘れて来よった(ガーン、ドジ)。




境内の一角に孔雀2羽が飼われた小屋がある。

孔雀がなんでこの神社に???

宮司に訊ねると、4~5年前、サーカスで使われていたのが奉納されたものという。サーカス団からリストラされたか…。


▼境内の一角に飼われている孔雀。意外と精悍な目つきをしとる。

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▼珍しい白孔雀。

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孔雀は、毒草や毒虫(キングコプラまでも)を食べ、仏教(密教)では人間のもつ三毒(貪・瞋・痴)を食し、業障・罪悪・病痛を除くものとして古代インドで崇拝された。


孔雀明王は孔雀に乗った四臂の菩薩形として表現され、「孔雀経」は孔雀明王の神呪・修法を説いたものだ。


もともと熱帯に生息する鳥にしては、日本の冬の寒さにも耐え順応度が高い。鳥の王様として神格化されるだけのことはある。


どうも大国主を主祭神にする神社には似つかわしくない動物だ。まだしも兎を飼ったほうが……。

でも、「三毒」を生じたときは、ここの孔雀の厄介になるか(笑)。



▼冬の境内に咲く寒椿(弘安殿脇)。ピンクの花弁が風景に彩りを添える。

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