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中国国家博物館

8月27日、招待券が手に入り、中国人大学院生の案内で、数年かけてリニューアルした天安門前広場の東隣にある国家博物館(前歴史博物館)を見学。

「国家博物館」ちゅう名称が、また中国らしい。


空港並みの厳重なセキュリティ・チェックを受け、展示会場へ。国宝級の品々が展示されているので警戒厳重だ。

炎天下、一般入場口で長蛇の列に並んでいると、係員が声をかけ別の入口から入るように指示。どうも年長者用の特別ゲートらしい。


館内は実に広大で、全ての展示を見るには丸一日を要する。体調も考慮し、今回は「古代中国展示」コーナーだけに絞る。それでも日本の国立博物館の展示スペースに匹敵する。

地下1階にエスカレータで降り、旧石器時代から清代まで時代ごとに仕切られ、いずれもコレクションの中から厳選された展示品をゆったりと配置している。煩わしいパネル展示はなく、照明も暗過ぎず、上々だ。

撮影は自由だが、さすがフラッシュ撮影は遠慮する。ISO感度を上げれば手持ちでも大丈夫だ。

原則として真物(ほんもの)を展示するが、レプリカ(複製)もある。解説(中国語と英語を併記)は必要最小限に抑えてある。

南朝の展示品は南京市博物館、隋唐代のそれは陝西歴史博物館(西安)にくらべて見劣りする。

駆け脚ながら休憩を交じえ2時間ほどで、見学を終える。

以下、撮影した展示品の一部を紹介。



▼国立博物館の正面。荘重な外観の建物だ。旧ソ連の技術者の作か?。階段の左側に入場用の通路がある。

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▼北京原人の周口店洞窟(?)を模したジオラマ。

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▼人物を装飾した彩陶(新石器時代)。

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▼豪華な玉製装身具(新石器時代)。かなりの身分の人物の胸部を飾ったものか。

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▼青銅製アヒル(殷周時代)。酒を温める容器か。この頃から北京ダック食っとったかな…。

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▼邸宅のミニチュア(漢代)。墓の副葬品。入口の上に門楼を配し、四隅に櫓を構える。[四合院]
の原型はここにありや!?。

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▼楽人。太鼓をたたく情景で、人物の表情・動作の描写が抜群にうまい。

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▼死者の魂を容れる越州窯の壷(南朝)。4階建ての構成で、1~3層の人物群像がなんとも賑々しい。3層目の女性はオッパイ丸出しだ(アハ)。

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▼越州窯製羊形瓶(南朝)。取っ手のトラの表情がユーモラスだ。

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▼越州窯製羊形燭台(南朝)。ヒツジを模したものは南京周辺の六朝墓から類品が知られている。

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▼素朴な造りの騎馬人物像。従者が取りまく。不細工な造りだが、なんとなく愛嬌がある。これを展示した学芸員の感性が伝わってくる。

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▼山東半島の青州市龍興寺の穴倉から発見された石仏像(北朝代)。衣の彩色がよく遺存。

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▼青州市龍興寺の穴倉から発見された釈迦三尊像(北朝代)。慈愛に満ちた表情をしとる。

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▼琵琶を奏でる侍女(唐代)。ポッチャリ顔の唐美人。

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▼褐釉人物文提瓶(唐代)。ソグド人らしい人物が笛・琵琶・銅鑼に合わせ踊る。胡旋舞か。

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厳選された展示で、骨董屋の店先まがいの某国の博物館に比べたら…。

見学後、心地よい余韻がのこる。
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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

天安門広場

天安門広場に隣接した国家博物館を見学するため、広場を横切る。

ここは中国いや世界でもっとも有名な広場だ。

1949年6月30日、毛沢東らが天安門上から広場に集まった人民に向け、高らかに中華人民共和国の樹立を宣言したところだ。

広場は100万人を収容できるとされ、紅衛兵100万人大集会、第1次・第2次天安門事件など中国近代史の舞台ともなった。とりわけ学生たちの民主化運動を解放軍の武力で鎮圧した第2次天安門事件(1989年6月4日)は、中国近代史の汚点とされる。

武力鎮圧で命を落とした学生・市民の数は数百人ともいわれるが、厚いベールに包まれ、実数は不明だ。

人民英雄記念碑の石段に戦車が乗りあげたときの傷跡は修復されて見えない。この事件を歴史から末梢してしまおうとする意図が感じられる。



10年ほど前に訪れたときは、早朝からおのぼりさんが列をなして毛沢東記念館の入場を待っている姿があったが、いまや市民たちの憩いの場に。

この国の歴史とともに、天安門広場の役割も大きく変化した。いまにしてみれば、あの民主化運動とは何だったのか…。

第2次天安門事件を機に、この国での学生による組織的な民主化運動は消滅した。それは日本の安保闘争後の学生運動の衰微とよく似ていはしないか。

この事件を知らない世代が反日暴動の先鋒となっているのは皮肉だ。

もはや学生がこの国の未来を決める日は永遠に来ないのだろうか。彼らの歴史的役割は終わったか。




▼天安門広場に立つ「人民英雄記念碑」。奥は毎年3月に全国人民代議員大会(国会)が開催される人民大会堂。

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▼広場を散策する市民。中央右に国旗。日の出、日没に合わせて解放軍兵士が国旗掲揚・降納する。

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▼天安門に掲げられた毛沢東肖像。

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▼人民英雄記念碑。解放戦争で倒れた無名戦士を慰霊するメモリアル。1989年春、学生たちはこの碑の周囲にテント村を建て、ハンガーストライキで民主化を訴えた。

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▼左右に分かれ、旗手をつとめる少年たち。首に赤いスカーフを巻くのは旧ソ連のピオニールを踏襲。

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▼待機する旗手の交代要員。緊張感がなく、だらけとる。

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▼毛沢東記念館。中華人民共和国建国の父毛沢東の遺体を収める。

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▼長安大街。10年に一度、国慶節の日(10月10日)に共産党のナンバー1がオープンカーに乗って解放軍を閲兵する。党幹部が居並ぶ雛段もみえる。

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▼天安門東方の長安東大街に面した北京飯店。蒋介石が北京で定宿としたホテル。手前が旧館、奥が新館。第2地天安門の際、ひとりの若者が戦車列の前に立ちはだかった有名な写真は、この北京飯店から撮影され、世界中に配信された。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

北京北海公園界隈

北京の庶民が涼を求めて集まる市中心部の北海公園へ。

ここは北京に来たら、独りでたびたび訪れる場所だ。周りの風景も前回来たときとあまり変わっていない。

人造湖があって、水辺は微風があって涼をとるには最高の場所だ。入場料を取られることもなく、市民の憩いの場所の一つだ。

30分ほど、湖面を見つめながら沈思瞑想。



▼地安門界隈の交差点。信号が赤でも平気で横断する市民たち。「皆で渡れば怖くない」。これって、中国起源かいな?

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▼地安門交差点の近くで見つけた小さな猫キャラ店。店頭の招き猫に吸い寄せられ店内に。興味半分覗くと、右も左もネコのグッズがひしめいとる。とりわけ「招き猫」が人気らしい。アレッ、これって日本のパクリじゃない? それとも輸入品??

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▼北海公園入り口。ヤナギの巨木が木陰をつくる。なにやら人だかりが…。

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▼書の大道商売。ひとりの身体不自由な青年が自分で書いた書を売っとる。見ると達筆だ。芸は身をたすける。

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▼ピンク色鮮やかなサルスベリの花。日本でも馴染みの花だ。

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▼北海公園。貸しボートがズラリ。手前に浮草。

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▼北海公園。大きなヤナギと水の組み合わせが江南の風情を思い出させる。

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▼浮草の花。薄紫の花が涼を添える。

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犬も歩けば棒に当たる。外国人が歩けば、北京の庶民生活が見えてくる。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

北京西苑飯店界隈

8月22日に泥河湾で食べたシャブシャブの冷凍餃子の火通しが不十分で食あたり(トホホ)。

1日置いた24日から酷い下痢症状に(涙)。食欲も減衰し、午前中はホテルの部屋に逼塞。

さいわいにも腹痛は生じていない。

2006年夏に韓国でも経験したが、中国では初めてのこと。さいわい「下痢止め薬」を持参していたのでトイレに駆け込む回数は急速に改善される。



暇をもてあまし、ネットサーフィンで暇つぶしを試みるも、ホームページや自分のブログのページに入れない!!。当局による情報統制が敷かれているのを体感。これを裏付けるように、動作がやたらとろい。

メールだけはなんとか使用できる。


それにも飽き、部屋の窓からホテル中庭や街路のひとの動きをウオッチング。

暫く眺めていると、中国人のさまざまな生態が見えてきた。



午後になって体調もややましになり、散歩を兼ねロビー、中庭を徘徊。

1Fロビーは「北京映画祭」の立て看の洪水だ。時代物、アクション、社会派の作品がほとんど。

抗日戦争をテーマにした作品も少なくない。テレビドラマもそうだが、日本軍は決まって悪者扱いだ。

第二次世界大戦後、アメリカの戦争映画でドイツ軍が敵役・悪者役を果たしていたのと同じ構図だ。

こうした「救国」「愛国」の単純明快なプロパガンダが中国人の脳裏に刻まれ、反日愛国・反日暴動の強固な基盤になっていく。共産党政権の政治的な正統性を主張するうえでも、抗日戦争をテーマにした作品がつくり続けられねばならないのだろう。

これも歪んだ歴史認識だが、その原因をつくったのは日本軍の中国侵略だ。



▼雨上がりの北京の街並。もやっている状態は雨が降る前とあまり変わらん。大気汚染は深刻だ。

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▼ホテルのゲート付近。はためく五星紅旗。入口に遮断機があり、車の自由な出入りはできない。ホテルの敷地内に駐車場があるので、ここで料金を徴収。

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▼横断歩道に堂々と駐車するのは報道(新聞)関係のワゴン車。ホテルで開催中の映画祭の取材にでも来たんだろう。歩道には大胆なワンピース姿の女優と思われるロングヘア―の若い女性も…。

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▼ゲート前の路上で三すくみの乗用車。焦げ茶色のタクシーが頭を押さえた格好で、暫しにらみあい。

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▼ホテルを出て、タクシーを拾おうとする女性たち。どうも原色系の服が好きらしい。珍しく茶髪の子が二人いる。

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▼50m先に信号があるのに、女性二人が臆せず車道を悠々と横断。片方は携帯を見ながら悠然と歩いとる。目の前を車がスピードを落とさず通り過ぎる。日本人だったら足がすくんでしまう。

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▼西苑飯店のロビー。北京映画祭の会場の一つで立て看板がずらり。

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▼フロントの上までポスターが。以前とは違い、フロント嬢は2~3人だけ。チェックインの手続きもずいぶん早くなった。

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▼仲秋につきものの「月餅」の特設売り場。

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▼月餅売り場のマスコット。

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▼チーパオ姿のコンパニオン。映画祭会場のガイドか。

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▼ホテルの車寄せに付き人を伴いロングヘアーの女優が肩で風を切って登場。長身でスタイル抜群。なんとも奇抜なコスチューム。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

泥河湾の植物

泥河湾盆地では夏の7・8月になると、一斉に野花が開花する。高山植物と同じだ。

今回目にした野花を折にふれてショット。

ヒマワリをのぞき、いずれも1センチ前後の小さく可憐な花だ。

日本では見かけない種が多い。そういえば、ここはれっきとした大陸だ。

一方、高木はきわめて少なく。乾燥地に強い楊樹、寒冷気候に強いポプラくらいのものだ。



▼紫色の変わった形の花だ。昆虫が蜜を吸いに。

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▼白い五角形の花。

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▼オグルマ(キク科)の仲間か?

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▼ピンク色をした小柄な花が。

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▼指先大の小さな実が熟しかかっている。高さ1mほどの灌木。

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▼アザミの一種か?

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▼タンポポの仲間か?

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▼淡い紫色の花弁が…。

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▼ヒルガオの仲間?

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▼白い毛のような花弁をもつ変わった花だ。

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▼ヒマワリ。

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▼ソバ畑。ソバは東北アジア原産で縄文時代の北海道の遺跡からも花粉が検出されている。

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▼ソバの花。

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▼アワ(粟)の実。華北の穀物としては最も歴史が古い。

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テーマ : 雑記
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農家の手料理での歓待

泥河湾入りして2日目の昼食は、遺跡の対岸にある侯家窰村の村長(共産党の書記)さんの家で。

なかなか気配りの効いた面白い趣向だ。

腕によりをこらした手作り料理ながら、肉たっぷりの豪華な昼食だ。

屋敷は、門をくぐると左手に番犬がつながれ、その横に農作業小屋が。奥まったところに母屋があり,母屋の前には小さな家庭菜園(ナス,ニラ、キャベツなどを栽培)がある。

隣家とは高い土塀で仕切られている。土塀の割れ目を縫って一匹のネコが隣家へ姿を消した。



狭い厨房の窓際に高さ1mほどのオンドルがあって、その上で日本勢だけちゃぶ台を囲んでの食事となった。奥には冷蔵庫とテレビも。

竈に石炭がくべられると、その煙がオンドルの床下を暖め、煙突から外に排出される。この排煙仕組みは、夏も冬も変わらない。


竈から立ち上る湯気とオンドルのぬくもりで、部屋は暖房効果抜群(ウ、ウ、ウ、汗が噴き出してくる)。

おまけに蝿が入ってくるため、空いてた窓も閉め切られる。

最初に口にしたスイカがよく冷えていて甘かったこと。その切り方がダイナミックでいい。ここはスイカの隠れた名産地だ。



▼遺跡のすぐ近くの村にある農家の入口。ここで昼食を。

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▼厨房。天井がカマボコ型になっとる。ヤオドン(窰洞)の天井の造りと同じだ。さては先祖はヤオドン住まいだったか?。このヤオドン、夏は涼しく,冬は暖かい。

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▼厨房の窓。換気扇が一つ。窓を開けとったら蝿が。閉め切ったら、餃子鍋の湯気とオンドルが効いてきて
サウナ状態に。汗、汗また汗。

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▼竈。右下の小さな穴から石炭をくべる。炊飯器で米を炊く。水道はなく、大きな水カメが一つ。

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▼巨大な鉄鍋に水餃子が!。時間をかけてかき混ぜながら内部まで火を通す。でないと、お腹を壊す。

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▼できたてホヤホヤの水餃子。肉、野菜の具が詰まっていて味は最高! これぞ本場の水餃子だ。餃子の「王将」も真っ青な味だ。

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▼ちゃぶ台に次々と料理が運ばれてくる。手前のスイカがなんとも甘いこと。こんなの日本では食えん。

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▼なんじゃこれ? ギクッ!アヒルの頭じゃわい。脳天から真っ二つ。横には厚いゼラチンの骨付きが。齧りついたら固いこと。まるでゴムのようじゃった(トホホ)。

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▼ロバ肉、アヒル肉、豚肉、キュウリ、トマト、スイカが並び、もう待ちきれんぞな。

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▼ご馳走になった農家の前で記念写真。後列の右から3番目のご仁が村長はん。ご馳走さん。

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一同、予想もしない家庭料理での熱烈歓迎に多々謝々!!!

遺憾ながら、他の遺跡に特別任務で派遣された日本人院生二人がご相伴に預からず。

来年は特別任務解除したっから! 鬼が笑うか(アハハ)

カウンターパートの奇抜な心遣いが身にしみる。

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泥河湾の空と大地

雄大な大陸的景観の泥河湾盆地。

黄色の台地、緑の草原、抜けるような青い空。北京から180kmしか離れていないのに、ここは別世界だ。

とにかく、空が高く、どこまでも広い。気宇壮大な人物を輩出する自然環境があるならこんな場所だろう。

日本のようなせせこましい土地に住んどると、自ずから島国根性になるのもうなづける。

庵主を引きつけてやまないのも、このスケールの大きさだ。

退職したら、夏のシーズンだけ避暑に来るのも…。だが、冬場は氷点下20℃まで下がり、荒涼とした灰色一色の世界に化す。南国育ちの庵主には耐えられん。なによりも心臓に悪い。


▼調査地から見上げた抜けるような紺碧の空と白い雲。こんな空、数年前に内蒙古でも見たな。そういえば、遠くの山の向こうは内蒙古だ。

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▼空、山、草原。秋の訪れを思わせる筋雲だ。

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▼この空の広さ。

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▼手前は広大な桑干河の河川敷。上流にダムができてから、水流が尽きとる。

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▼台地端に立つ烽火(のろし)台跡。たぶん明代のものか。ここら辺は遊牧民族と漢民族の前線地帯に近い。手前は楊樹の森がひろがる。

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▼草をはむ牛。のどかな牧歌的風景。中央に高い土壁で囲まれた旧地主の屋敷跡が見える。その手前は一面のトウモロコシ畑だ。

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▼盆地を取りまく山地。地肌剥き出しの荒涼とした山体。稜線がとげとげしい。山麓に断層が走る。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

泥河湾の動物

調査中に出会った泥河湾の動物。

家畜では、ロバ、ウマ、ウシ、ヒツジを見たが、ロバが圧倒的に多い。

ロバはヒトに従順で、しかも山地でも重い荷を背負って物を運ぶので農民には重宝された。

しかし、近年に至って農業の機械化が進むのと反比例し、家畜の頭数は減少している。農村でロバがいなくなると世界の石油消費量はウナギ登りになる。石油は中国によっておおかた独占されるにちがいない。

海底資源がらみで中国が東シナ海、南シナ海の無人島の領有権に固執するのは、将来の石油需要を見越してのことだ。

トラクターは石油がなくなると、ただの鉄の塊に化してしまうが、ロバは草さえあれば生きながらえられる。しかも、環境に優しく、排泄物は有機肥料や燃料としても役立つ。肉は美味で、いざとなりゃ世界食糧危機にも対処できる。

ここ泥河湾は、ロバ肉料理で有名だ。連れて行った学生たちには意外と好評だった。

燻製はビールのつまみとして最適だ。



▼近寄ってきた両耳と片目が黒い仔犬。ウロチョロ動きまわるので焦点がずれてしまった。

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▼ロバの親子。ロバの子は母親のもとを離れない習性をもち、ロープで繋いでおかなくても遠くへ行かない。

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▼農夫の飼い犬(チン)。

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▼ロバの顔。目がかわいい。

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▼ロバの子に魅入られたスタッフ。振り切ろうとしてもあとを追ってくる。目が笑っとる。

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▼スタッフがイヌをあやしてると、嫉妬したのかロバの子がほおずりしてきた。

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▼ヒツジの群れと牧童。一群れが約50頭ばかり。群れから離れ過ぎると呼び戻したり、礫をかます。

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▼満腹して寝そべるヒツジ。この動物、目が覚めてるときは始終草を食べとる。

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▼カチガラス。昨秋、湖南省でも見た鳥。

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▼1頭だけつながれたホルスタイン。目の周りが黒くパンダ風だ。この国ではウシまでパンダに似てくるか。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

河北省陽原県

8月19日、猛暑の京都を脱出し、日中共同学術調査のため河北省張家口市陽原県へ到着。

1992年以来、ここを訪れるのは5回目だ。

標高が1000m弱あって、北京より6度は低い。陽射しはきついが、空気も乾燥していて木陰に入ると爽やかだ。

陽原県は、ゴビ砂漠への出入り口として重要な役割を果たしてきた張家口市に属する。市の下に県という行政単位があり、日本とは異なる。人口約20万、東西に長い盆地(泥河湾盆地)で農業・牧畜で成り立っている。観光名所に乏しく、訪れる外国人はまれだ。

緯度が高く(北緯40°)、水稲耕作には不向きで、古くから粟、高粱、小麦が栽培され、いつ頃からかトウモロコシ、ヒマワリも栽培されるようになった。

ここではコメのお粥でなく、粟のお粥が出る。トウモロコシは家畜の飼料、高粱は度数の高い白酒の原料となる。



経済発展の波に乗って、郊外には広大な新市街地が造られ、アパート群の建設が進む。これは中国のどこの町でも昨今見られる風景だ。あり余った外資が不動産投資に向けられるのは、1980年代の日本と同じだ。バブルというのはいつかは弾けるもんだ…。

皆それがわかっていて、弾ける前にしこたま儲けておこう、ということらしい。

なかなかしたたかだが、弾けたら奈落の底がポッカリ口を開けて…。



▼陽原のストリート(早朝)。

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▼1950年代の日本でも見かけた、昔懐かしい3輪トラック。

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▼投宿した陽原賓館の正面。なんかイスラム風の建築をにおわせる。ここで開催中の国際会議の横断幕が見える。

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▼部屋の内部。室内は明るくて広いが、浴槽はなくシャワーのコックを捻ると、暫く経ってぬるいお湯がチョロチョロ。壁のコンセントで充電しようとすると、電気が通ってない!

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▼広大な道路を挟んで建設が進む郊外のアパート群。

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▼雲崗石窟がある大同市へ通じる国道。大同(石炭の産地)から石炭を満載した大型トラックが行き交う。

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▼国道脇の木陰で休憩をとる道路パトロールの警官たち。

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▼国道を離れた村の中を砂塵を巻き上げ疾駆。土塀に煉瓦造りの門構えが連なる。

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▼ヒツジの群れが車を止める。

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▼調査地近くの村のたたずまい。土壁で囲まれた農家が密集する。ところどころ赤い屋根瓦が見える。10年前に来た時と比べて瓦を載せた家が増えている。農家の収入が増えている証しか。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

百万遍知恩寺の花と釣鐘

今日は、お湿り程度の雨が降り、薄曇りのためか気温はさほど上がらず。

百万遍へ用事で出かけたついでに、知恩寺境内で夏花を物色。

このシーズン、花といったら庭木に見るサルスベリ(百日紅、猿滑)かキョウチクトウ(夾竹桃)くらいのもの。


この寺、広大な境内を秋の古本市や手作り市(毎月15日)の会場に開放し、なかなか商売が上手。

お盆も過ぎ、境内は閑散。参詣者、お堂の蔭で読書するひともチラホラ。風があって木陰は涼しい。


日ごろ気にも留めない鐘楼の大きな鐘に目がとまり、近寄って表面に鋳出された図案をじっくり観察。

「元禄十六年(1703)六月十五日 小弟子珂然謹んで記す」の刻銘がある。鋳造したのは奈良県香芝市の鋳物師(いもじ)だ。

すでに300年を経ているが、これくらいの鐘は京都の寺院には珍しくない。やはり京都というのはスゴイ。



庵主は、香芝とは浅からぬかかわりがある。草庵に最も近い寺にこの鐘があるのも何かの縁だ。

表面に鋳出されたレリーフを見ていると、阿弥陀仏に飛天、琴、笛、鼓が雲気文の間に配され、まさに浄土界を表現したもので、気分がワクワクする。

盂蘭盆を挟んで、なにやら冥界付いてきたような…(冷汗)。



▼知恩寺塔頭の寿仙院。いつも庭の植え込みがよく手入れされとる。昔、エライ民俗学者がここの住職を勤めていて、留守番に呼ばれたことがある。退屈しのぎに般若湯を物色した記憶が…。

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(クリックすっと、画像が拡大)




▼寿仙院の築地の外にはみ出したサルスベリ(百日紅)の花。桃色鮮やかで大きな花の団塊にしばし見とれてしまった。

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▼閑散とした知恩寺境内。左手前に鐘楼がある。

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▼本堂の裏で見かけたキョウチクトウの花。

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▼キョウチクトウの花のアップ。こんな近くでしげしげと見るのは初めて。

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▼堂々とした風格の本堂。新調されたものか青銅の灯篭が青々としてる。

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▼元禄十六年銘の釣鐘。大和国葛下郡五位堂の鋳物師藤原某作。

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▼密教の輪宝文をあしらった撞き座。だいぶすり減っとる。

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▼天蓋の下に座す阿弥陀仏と笛。

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▼飛天の右下に琴。

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▼飛天と鼓。

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▼小さな白と薄紫の花をつけた植物。調べても花の名が…。

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【本ブログ愛読者の皆様へ】

明日から、一身上の都合で暫く日本を離脱いたしまっす。

けして放射能を恐れてのことではありまっしぇ~ん!。

無事帰国した暁には、海外で仕入れたホットなネタ満載で再開の所存でっす。

乞うご期待!

ただし、異国の地で天命尽き涅槃に入りましたら、この限りに非ず(涙)。


洛倭亭庵主 謹言



京都五山送り火

夏の風物詩「京都五山送り火」が16日の夜、約1時間にわたって挙行された。

陸前高田市の被災マツは薪に使用されなかったが、同市民の願文は護摩木に書き写され左大文字で燃やされた。

いろいろと物議をかもしながらも、さまざまな思いを込め注目された今年の「五山送り火」。



京都の送り火としては如意ヶ岳(東山連峰のひとつ)の左大文字があまりに有名だ。そのため、他の四山の送り火は影が薄い存在となっとる。

昔は、京都御苑から五山の送り火が見えたのだろうが、いま見えんのは左大文字くらいだ。

ときどき昼飯を食べに行く中華のオカアちゃんの話では、小さい頃、五条にあった屋根の上から五山の送り火が全部見えたそうな!。

ビルが立ち並ぶ前だったら、ホンマに見えたんかもしれん。このオカアちゃん、いったい齢なんぼや…?。

また、仙洞御所の中庭の池に映った大文字の送り火がキレイじゃったと。仙洞御所に出入りすっとは、いったい何者??。

庵主にはことのかヤサしいんで、深く詮索せんとこ(笑)。



夕刻には暗雲が立ち込め夕立も懸念されたが、点火時刻が近づくにつれ晴れ間が徐々に広がる。

「鳥居形」をのぞく四山の送り火が見える西陣近くのビルの屋上に昇らせてもらう。三脚を据えカメラの撮影準備に万全を期しつつ、点火を待つこと30分。



ちょうど十六夜の月の出とも重なり、左大文字の点火時刻の直前、雲間を縫って東山連峰の稜線上に不気味なほどに赤い円月が頭を出した。赤い月を凶兆とする迷信も…。再び天変地異が来なければいいが…。


月と左大文字の送り火の2点セットとは、願ってもないシャッターチャンスだ。大文字の火に見とれて脇役を見逃す手はない。


点火時刻(20:00)が迫ると、街中の高いビルの灯が次々に消される。節電効果抜群。関電さん、たまらんやろうて(笑)。節電よびかける前に、全国の都市の周りの山で、ときどき送り火主催したら…(アハ)。



「左大文字」から始まり、左回りに「妙法」(松ヶ崎)、「船形」(西賀茂)、「右大文字」(紫野)と次々に点火されていく。

惜しくも洛西の「鳥居形」だけが撮影場所からは見えん。来年の愉しみにしとこ。



▼東山連峰の上に浮かぶ赤い円月と左大文字の送り火。山際を写し出すためにISO感度を6400までアップ。そのため画面がザラついたがいたしかたない(涙)。

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▼月と大文字送り火の2点セット。月のアバタまでくっきり。惜しむらくは右上が少し欠けとる。

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▼高く煙を上げて燃え盛る「左大文字」。山稜もうっすら。麓のこんもりとした影は吉田山。
200mmズーム、ISO6400、絞り14、30秒露光。

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▼真暗闇に浮かぶ「左大文字」。なにか幻想的な火列だ。ISOを200に下げ、絞り11にして10秒露光。

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▼松ヶ崎山に「妙法」点火。「南無妙法蓮華経」に因む。山裾に「題目踊り」で有名な涌泉寺(日蓮宗)がある。

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▼「妙」のアップ。ウーム、なかなかの達筆だ。旁(つくり)の右上の3つの点は何だ?。惜しくも下端が上御霊神社の巨木の陰に隠れる。

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▼「法」のアップ。

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▼「船形」。精霊を浄土に送る精霊船に因むか。帆柱の先端の火焔がひときわ高い。惜しむらくは胴体の一部が山陰に。

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▼燃え盛る「右大文字」。左端がビルの陰に隠れてもた。

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京都の夏を飾る最後の壮大なページェントも、1時間ほどで幕が下りた。

お盆を境に秋の気配を深めてほしい近頃だ。

ご精霊さまは無事冥府に帰られたであろうか…。

二転三転、世間様をお騒がせした今年の送り火も歴史に刻みこまれることだろう。ヤレヤレ。


テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

千本閻魔堂と下鴨納涼古本市

盂蘭盆中日の8月15日。今日の京都の最高気温は34.8℃。

午前中の強い夕立ちで埃が落とされ、緑の葉が鮮やかさを増す。


今日は、一昨夜の夢枕に現れた閻魔大王のご機嫌を取り結ぶため、半年ぶりに訪ねてきた教え子を連れ千本閻魔堂へ。

境内には緑陰がほとんどなく、炎天下にガードマンがしきりに汗を拭っていた。夕立もここには降らなかったという。まさに夏の夕立ちは馬の背を分ける。

堂内に入ると大きな香炉が据えられ、香の煙がゆらゆら。年配の参詣客がチラホラ。



ここで千本閻魔堂の由緒をひとくさり。


千本閻魔堂は、山号を光明山、次号を引接寺(いんじょうじ)と呼ばれる。開基は定覚(恵心僧都源信の弟弟子)とも小野篁(おののたかむら;802~852)とも伝えられる。

閻魔とは死者の生前の善悪所業を審判し、懲罰を加える冥界の主神だ。善業をおこなった者は浄土へ、悪業をおこなった者は地獄へ振り分けられる。

ここの閻魔王坐像は、高さ2.4m、司命(星の名で、北極星の傍らにあって人間の寿命をつかさどるとされる。閻魔大王のもとで検事役をつとめる)と司録(冥界の書記官)を左右にしたがえる。

この配置は、冥府での審判の場面を想起させる。参拝者は被告席に立たされる。

公家の小野篁は、夜になると井戸を通って冥界へ自在に出入りしたといわれ、閻魔王の秘書的な役割を果たした不思議な伝承をもつ人物だ。

遣唐副使を拝命しながらも、乗船する船をめぐって大使の藤原常嗣と争い、病と称し乗船を拒否し、死罪を一等まぬがれ隠岐島に流罪となった。その博識・文才を惜しまれ、召喚されて陸奥守などを歴任し参議にまで昇った。

閻魔堂がこの地に建てられたのは、蓮台野とともにこの地が平安京の北の京域外にあって、葬送の地であったことと深く関係するのであろう。


賽銭をたんとはずみ、当分お召しにならないよう「般若心経」を一心不乱に唱える。


境内で子供たちが蝉取りに興じている千本釈迦堂にお参りし、北野天満宮脇の古風な茶店で昼食を摂る。



▼千本閻魔堂の本堂。西陣の中にあり、東側は千本通りに面し、三方を民家に囲まれた街中の寺。 

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▼閻魔大王坐像とその眷族。内陣の中央に閻魔様、左右に司命、司録をしたがえる。 

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▼閻魔大王のドアップ。迫力満点。口から舌をのぞかせ、眉を吊り上げ、目(琥珀製)をカーッと見開いた形相。まるで参詣者を裁判にかけているような姿だ。あな恐ろしや。こんな方の前では嘘もつけん。 

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▼格子天井の円窓の中にとりどりの花の絵が。三途の川の彼岸にある花畑を描いたものか。 

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▼精霊の迎え鐘を吊るした鐘楼。 

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▼鐘楼に祀る小不動明王像。 

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▼620年前に製造されたという鐘。天井の格子には梵字が。この鐘は自由に撞ける。 

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▼入口の脇にある巨大な鉄製擬宝珠。直径が電信柱ほどある。もともとどこの橋の欄干に使われたものやら。 

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▼鉄製擬宝珠に陽鋳された文禄二年の銘。 

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▼千本釈迦堂南門。 

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▼堂々とした本堂の造り。 

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▼民家の庭に咲くサルスベリ(百日紅)。白い花を付けたのは珍しい。 

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▼北野天満宮脇の古風な造りの茶店(レストラン)。 

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▼出町橋西詰から見た大文字山遠望。明日の送り火どきは人波であふれる。 

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▼明日の送り火の準備か白いテントが2つ。 

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連れを今出川烏丸で降ろし、出町橋まで。大文字山の送り火を明日に控え、山上を遠望すると薪の準備に余念がない。

下鴨神社境内の糺の森で開催されている恒例の納涼古本市を覗く。

京都古書研究会が主催し、今年で24回目を迎える。

神社参道西側の流鏑馬神事(5月)がおこなわれる広場が会場だ。樹齢数百年の巨木がつくりだす木陰の下、数十張りのテントの下に古書が並ぶのは壮観だ。

古本好きのひとには、納涼を兼ねた催しだ。木陰で休息してると、知り合いの店主とバッタリ顔を合わせ、今年の客の入りを話題に。

小一時間ほど糺の森で涼をとり、15分ほど炎天下を歩き草庵に戻る。


▼下鴨神社の長い参道。緑のトンネルだ。 

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▼下鴨社参詣帰りの浴衣姿の娘たち。ちと着崩れしとらんかいな。 

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▼緑陰下の納涼古本市会場。数百人の本の虫が掘り出し物を物色。一角では、古書研究会メンバーが「カキ氷」の店も営業。

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▼深い緑の木立の間にテントが立ち並ぶ。手前は「瀬見の小川」。 

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▼河合神社前の浴衣姿の娘さんの後ろ姿。おそろいの藤色地に花柄が涼感を誘う。 

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テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 日記

悪夢と路地裏の夏花

ここ数日の「五山送り火」にまつわるドタバタ騒動で、胸糞(むなくそ)悪くなった庵主。


昨夜は夢枕に強面の閻魔大王さんが現われ(冷や汗)、「京都人って、なんばしちょるんか」と一喝されてもた。

まだまだ今生に未練があるんで、「わたしは生粋の京都人でないんで…」と申し開きし、ご前にお召しにならないよう、平身低頭、ひたすら弁解に相いつとめる羽目に(トホホ)。

目が覚めて考えたら、なんでワシが弁解せにゃならん???(ムカッ)

昨夜は、寝汗はたまた冷や汗が一升ほど…。

ご機嫌直しに、お盆の間に千本閻魔堂にお詣りに行かんと!。「般若心経」のひとつでもあげて来なくっちゃ。

心当たりのひとも、あまり目立たないようにお参りしたほうが…。

でないと、閻魔さんからお召しがかかっても知らんぞォ(笑)。



ここんとこ花火の花には食傷気味で、天然の花が見たくなった。

草庵の路地の片隅で夏草に埋もれて、可憐な薄紫の花をつけた「ヤブラン」が目にとまった。

薄紫の小さな花が数珠状に連なり、なんとも言えん。

そのつつましさが、またいい。これって、大和ナデシコにも通じるな。

最近、目立ちたがり屋のギャルが増えてきて…。


だれが路地に植えたんか知らんけど、花を愛でるご仁が手植えしたんじゃろうて。


ランという名がつくが、これはれっきとしたユリ科の草本だ。


早速、マクロレンズに交換した一眼レフカメラを持ち出し、接写。

接写してる間に藪蚊に脚を3ヵ所も刺されてもた。写真撮るのも楽じゃない。



▼ヤブラン。薄紫の花弁に黄色いしべが可憐だ。それを涼しげな濃い緑の葉が引き立てる。

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▼ヤブランとミツバチ。このミツバチ、写真撮られんのが恥ずかしいんか顔を隠し、お尻だけのショットに(アハ)。虫にも恥じらいが…。

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傷心を癒すのは和花に限る。

そう言えば、「円亭」の生け花、最近やたら洋花が目立つようになってきた。

さては宗旨替えしたんかいな…。


心静かにお盆を迎えようとする庵主

テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

送り火被災薪騒動の顛末

アレッ、レ、レ!! ズッコケてしまいそう。開いた口が塞がらん。

ここ数日世間を騒がせた「京都五山送り火被災薪騒動」が、意外な顛末に。

11日に陸前高田市から取り寄せられた被災マツの薪にセシウムが検出され、オジャンに。



取り寄せられた被災マツ500本の表皮と芯を取り出し測定したところ、表皮だけから1キログラム当たり1130ベクレルの放射性セシウムが検出された。

これを受け、市長が被災マツ薪の「五山送り火」への使用を断念、謝罪!!。


▼「京都新聞」8月13日付け朝刊第1面。深々と頭を垂れる市長はん。

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ウ、ウーッ、ここ数日間の騒ぎは、いったい何だったんだ!。

どうも言い出しっぺ市長の独り相撲ではなかったんかいな……。


専門家に言わせれば、「これくらいの量を燃やしても人体に影響があるとは考えられない」とのコメント。

だったら、表皮を削ぎ落とした芯材を使えばいいじゃん!!

結局は、市長の「放射能が検出されたら、送り火の薪に使用しない」という当初の発言が言質となった。市長みずから自分の首を絞める結果に(アハ)。


福島第1原発から放出されたセシウムなんぞ、いまや程度の差はあれ世界中どこにでも拡散しとる。問題は人体に影響を与える線量かどうかだわい!!。

当初から、市長や市側の認識が甘かった点は隠せん。この発言の裏には放射能被害に対する過剰反応が読み取れる。

この論理を敷衍すっと、放射能の量のいかんにかかわらず、東北の物産は拒否されることにならんかいな!?。



庵主に言わせれば、表皮を削ぎ落とした芯材を使ってでも強行すべきだった。それは500本全部でなくともよい。

その中から5本を選んで五山送り火に1本ずつ配布し、象徴的な意味をもたせりゃ、それで十分。

”All or Nothing”の短絡的思考がアカン。

そうすれば、八方丸く収まり、被災地の苦しみを共にし、五山送り火保存会の気持ちも汲み取れたはずだ。

ここんとこが政治家としての熟慮と勇断を求められるツボだ。


この一連の騒動、善意から出たものの、陸前高田市ひいては岩手県に対する風評被害を拡大することに手を貸した結果となったのは皮肉だ。

陸前高田市の住民の気持ちを傷つけることになった。京都市長は、陸前高田市を訪れ市長に謝罪する意向という。

大文字送り火保存会長の謝罪訪問につづいて、今度は京都市長が謝罪訪問だと…。

陸前高田の市民にしたら、「京都のひとって、いったい何やってんの!?」。

これって、傍から見たら「お笑い種(ぐさ)」じゃない??。

京都の一市民として恥ずかしい、嘆かわしい。

市長!、陸前高田行くんなら、せめて自分のポケットマネーで行ってくれぃ!。



一連の騒動のあっけない幕切れに、開いた口がふさがらなくなったのは庵主ひとりだけか…。

今年の五山送り火は、完全に色褪せてしまった。

今年の盂蘭盆に限って、先祖の精霊さまは京都だけには還って来たくないかも…。


かなり凹んだ庵主

テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 日記

続「大文字送り火薪騒動」

昨日アップした「大文字送り火薪騒動」の詳しい顛末が、今日の「読売新聞」朝刊の社会面に6段ぶち抜きで掲載された。「京都新聞」も同じ扱いだ。

大文字保存会の理事長が記者会見を開き謝罪する写真まで。


この記事を読んでもよくわからない点がある。大文字保存会の「放射能汚染」を言いだしたのがどういう人たちだったのかが、見えずらい。

この保存会は、4日に「伝統継承のためにも全員の意見一致がなければ踏み出せない」という理由で、陸前高田市の被災マツの送り火の薪使用を断念した、と説明した。その理事長がわざわざ陸前高田市まで出向いて陳謝している。

それをうけ、陸前高田市は京都に送る薪を同市で「迎え火」としてすでに使用してしまった。


4日、京都市は陸前高田市の薪用マツに対して放射能検査を実施し、放射性物質は検出されなかった、という。

保存会側は、反対理由がなくなった時点でも陸前高田市のマツを使用することに踏み切らなかった。

ということは、真の理由は別のところにあったとしか考えられない。

今日の記事を深読みすると、保存会の実情が見えてくる。そのメンバーは薪に使う山林の地権者たちだ。冬の間に大文字山(持ち山)のマツを伐り出し薪をつくり、送り火の前になるとそれを大文字山にリフトで運び上げ、さらに護摩木の受付・輸送、送り火の点火を担う人たちだ。

この人たちがボランティアで一連の作業をやっているとは到底思えないのだが…。


京都市は、送り火自体が「無形民俗文化財」に指定されている理由から、五山の保存会に対し年間1600万円を補助している。この金は、言うまでもなく市民の血税だ。

この補助金、どういう使い方をされてるのか、記事では実態が見えてこない。

庵主は毎年高い市民税を払い続けとるんで、税金の使途に対しては発言する権利があるのは当然だ。


さらに記事は、保存会(送り火の担い手)が後継者難に見舞われ、苦しい内情を伝える。

どうもこの騒動、財政的支援(補助金)をめぐって市と保存会側との綱引きが背景にあるように思えてならないのだが。

これって、下司の勘ぐりというもんかいな…。



▼8月12日付け「読売新聞」朝刊記事。

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(クリックすっと、画像が拡大)



▼被災マツをめぐる経緯(「読売新聞」8月12日付け朝刊)。

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大文字保存会は、11日の未明になって世論の猛反発に抗しきれず、陸前高田市の震災マツを新たに受け入れることを表明した。

市の財政がひっ迫しているのであれば、京都を訪れる年間5000万人(2009年度)にのぼる観光客の最大の受益者である寺院(無課税)から五山送り火賛助金もしくは観光協力税を徴収するしかないのではなかろうか。

そうなったら、京都仏教界が一丸となって市長更迭に動くかもね(ガーン)。ここは紛れもない隠し埋蔵金の宝庫と見たが…(アハ)。
 

この薪騒動、第1ラウンドは世論の強烈な批判を浴びた大文字保存会の全面的敗北(理事長が謝罪会見)。しかし、問題の所在を世間の明るみに出した点では、保存会側もそれなりの意義があったはず。

その一方、補助金を出している京都市の指導力も問われる。

最大の損失は「京都」のイメージダウン。 これだけは金では購(あがな)えん。

さて第2ラウンドはどうなることやら…。


税金の無駄遣いを監視しつつ、高みの見物を決め込む庵主

テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 日記

京都五山送り火の薪騒動

盂蘭盆の京都五山送り火が近づいてきた。

これに関連し、今日(11日)の「読売新聞夕刊」の社会面に小さな記事を見つけた。

うっかり読み逃しそうな記事だ。内容に不明瞭な部分があるが、記者が意図的にそうしたのであろう。



騒動の顛末はこうだ。

京都市長が「震災犠牲者の冥福と被災地復興を祈るため、五山すべてで被災地の薪を燃やすよう要請」し、他の四山の保存会は受容したのに対し、大文字保存会だけが被災マツを薪として使うのを拒否していたのが、11日になって被害マツ薪の受け入れを京都市長に伝えたという記事だ。

当初、大文字保存会は、陸前高田市の被災者に願いを書いてもらったマツの薪333本を送り火で燃やす予定にしていたが、放射能汚染を懸念する声があがったため、それを断念し、寄せられた願いを護摩木に書き写して送り火で燃やす方針に切り替えた。

それを批判する電話やメールが京都市に殺到し、五山の各保存会でつくる「京都五山送り火連合会」が仲介し新たな薪(当初予定の薪は迎え火に使用済み)の受け入れを決めたというもの。

陸前高田市のマツというのは、津波で壊滅状態にありながら1本だけ残ったことで有名になった「高田松原」の被災マツのことである。


福島第1号原発から200kmも遠く離れた岩手県三陸海岸のマツにだれが放射能の汚染を言いだしたのか知らんが、それをまともに取り上げた大文字保存会の見識が問われる。



庵主が邪推するに、放射能汚染は口実で、震災地のマツが流入することで影響を受ける薪の納入業者あたりが言いだしたことではなかろうか。

それはさておき、この騒動の背後に被災地に対する差別意識が透けて見える。地域エゴ丸出しではないか。

なんとも嘆かわしい話しだ。

陸前高田市市民からの厳しい抗議、批判が京都市文化財保護課等に寄せられたのは至極当然だ。

送り火の原点というのは、死者に対して差別なく、盆の間にこの世にもどってきた死者の精霊をあの世に還す聖なる仏教儀礼ではなかったのか。

被災地の住民たちが受けた大地震・大津波・放射能汚染という三重苦を考えれば、嘆かわしい話だ。

ひとの傷みを分かつ心が欠けとる。 一介の京都市民としても恥ずかしい。

別の紙面(1面)に、「震災の死者1万5689人、行方不明者4774人」(8月10日現在)とある。

大文字送り火の主宰者たるもの、「放射能汚染」を心配する前に、これら犠牲者たちの無念の声に思いを馳せるべきではなかったか。


やるせない思いの庵主


テーマ : 今日のつぶやき。
ジャンル : 日記

宇治川花火大会

打ち上げ花火シリーズ第2弾。

前回のブログ記事があだとなり(リクエストを求める声が寄せられる)、脚を運ばざるを得ない羽目に…(トホホ)。これも身から出た錆(グシュン)。



8月10日に挙行された宇治川花火大会は今年で51回目とやら。

どこの自治体も財政難の中、人口19万の宇治市で半世紀も続いたのは立派(エライ!!!)。昨年は50回の節目で1万発を打ち上げ、今年は約5000発を用意したとか。

宇治橋下流の右岸と塔の島(中央部のみ)には有料の観覧席も。全て完売。売り上げ金は大会運営費に使われるそうな。

あらかじめネット上で関連情報を収集し、地図上で打ち上げ場所、撮影ポイント、風向きを検討。どこの打ち上げ花火大会か分かるように宇治橋、宇治川が写り込むポイントを慎重に探す。



最良の撮影ポイントは塔の島(中洲)の北端だが、行ってみると既にカメラマニアたちが先駆け占拠。やむなく、その対岸に移動し堤防下の水際の足場の悪いところに三脚を設置(下の写真)。



▼撮影ポイントは宇治橋上流約200mの宇治川左岸。河岸に見物人があふれる。危険防止のためか、橋上での見物は禁止だ。ご丁寧にも橋の上には高いシート(目隠し)が。

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▼上空に青空が広がり、夕陽が白い雲に映える。地上には次第に夕闇の帳(とばり)が降りてくる。

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ここなら打ち上げ場所から400mほど離れており、宇治橋の上空で炸裂する花火を70mmレンズで捉えられるはずだ。

カメラをセッティングし、待機すること2時間。目の前で名にし負う宇治川の急流が漣立つ。川面を渡る風もなく、汗がしきりに噴き出す。打ち上げ花火撮影も忍耐との勝負だ。

待つこと2時間(ヘナヘナ)。

19:45の開始時刻になるやスピーカーでカウントダウンが始まり、雷鳴のような轟音とともに1発目が上がる。

第1弾は高度が低く、つつましく口火を切る。ファインダーを覗きながら構図、ピントを修正。

あとは休憩をはさみながら、宇治橋の上空に1時間にわたって繰り広げられた五色の光のショー。

浴衣姿のカップルも周囲にチラホラ。背後で、感嘆する中国語が聞こえてきた。観光客だろうか…。


それでは、心ゆくまでたんとご覧じよ。見に行けなかった人たちに写真の大盤振る舞いじゃ。



▼スタートを告げる第一弾。宇治川に宇治橋の灯りが映じる。

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▼昇る光跡を捉えた。下のオレンジの光点列は宇治橋。

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▼三発連写された光の花。

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▼光の筋が美しい。

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▼橋脚の間に打ち上げ場所がくっきり。

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▼これはデカイ。ファインダーの枠をはみ出してもた(汗)。5連発の花火が時間差をもって炸裂。カメラだけが捉えられる世界だ。

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▼次々と開く赤い光の花。

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▼ヤシの木に似とる。

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▼夜空にポッカリ咲いた一輪の花。開花した刹那をショット。よく見る花火の写真だ。

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▼ガーベラを連想。光跡が茎と葉を表現。これは奇跡だ。カメラでないと表現できん。最高傑作写真だ。

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▼これって、タンポポの綿毛に似とらん?。

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▼寄りそうように咲く可憐な五輪の花。開く高さを微妙に調整しとる。花火師or打ち上げ師はスゴ腕だ。

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▼ウワーッ、淡い光で描くまるで墨絵の世界だ。

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▼ピンクと薄紫のヤナギ。

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▼もっと絞り込まんと、露出オーバーになってもた(汗)。でも橋上の目隠しシートがバッチリ。

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▼これは神秘的なブルーだ。暖音色の花火だけが花火じゃないぞ。

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▼漣(さざなみ)に似た打ち上げの光跡。

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▼漆黒の空に青紫、緑、赤の花が見事に調和。

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▼オオッー、これは光の抽象画。シャッターが下りる前にカメラをブラしてもた(汗)。これぞ怪我の功名。こんなん、意図的にはできんぞ(笑)。

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▼宇治銀座の夜店。花火が終わったあとも余韻醒めやらず。浴衣姿の若い女性が目立つ。

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打ち上げ終了後、帰途に就く群衆でごったがえす京阪宇治駅前の緩和を待って帰宅。

今年の打ち上げ花火も今日で見納めだ。

琵琶湖、宇治川と今年は2回も真夏の夜の華麗なショーをたんと愉しませてもらった。


最後に宇治市さん、ありがとう。また混乱防止にあたった多くの警察官、消防団の皆さん、ご苦労様。


冥土の土産話ができた庵主

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2011びわ湖大花火大会

今日8月8日は恒例の琵琶湖大津港沖の花火大会。

「がんばろう!日本」と銘打って、約1万発の花火が打ち上げられる。

下から見上げる打ち上げ花火は、子供のころからよく目にした。

打ち上げ花火を上から一度見てみたく、ちと趣向を凝らし、比叡山ドライブウェイ入口に近い山腹から高みの見物を決め込む。

織田信長も通った「山中越」を登り、大津側に少し下った展望台を目指す。

カメラバッグ、三脚を担いで草庵を出で立ち、目指すポイントに着いたのは19時前。

「展望台前」というバス停の前に休業中のレストランがある。その庭先にプラスティックの椅子が並べられ、500円の席代を払う。私有地だからいたしかたない。すでにいい場所を占めた先客がカメラを三脚に取り付け、スタンバイ中。



ここは大津市街地・琵琶湖の南湖が眼下に広がる絶好のポイントだ。玉に瑕なのは高圧電線が視野の上部に写り込むことだ。

丹念にデジタル一眼レフカメラ(NikonD7000)を三脚にセッティングして打ち上げを待つ。

レンズは広角ズーム18-200mmを使用(300mmズームでは視野が狭くなり満開の花火を捉えきれん)。

露出を14まで絞り、シャッタースピードはbulbにし3~10秒、ミラーアップ撮影設定で専用リモコン・スウィッチを使用(手の内バラしてもた)。



中天にかかった半月の月明かりのもとで待つこと30分。予告された19:30に1発目が打ち上げられる。

ヒュー、ヒュールル、ドドーン! 数秒経て炸裂音が腸(はらわた)にズシーン。

虚空にカラフルな大輪が開くたびに、期せずして、周囲の見物者から歓声があがる。

あとは20:30まで色とりどりの打ち上げ花火の一大ショーだ。 激写、激写また激写。


あとは真夏の夜のページェントを写真で堪能しておくれやす。本ブログ訪問者に大サービスだ。

これでもか!、これでもか!(笑)。

感動のあまりゲップが出た人に限り、内緒のポイント(バラしてもた)で来年の同伴を許可してもよかばってん…(アハ)。



▼薄暮の琵琶湖と大津市街。遠山は湖南アルプス。湖面に打ち上げ用の艀(はしけ)が2艘見える。

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▼日没後の浜大津付近。右下に外輪船ミシガンが停泊。

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▼口火を切る第一弾。

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▼三輪の花。高さが足りん。下寄りの構図になってもた。

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▼ド迫力の巨大花火。アカン、花火の頭が切れてもた(汗)。

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▼七色の光跡。イマイチ迫力に欠けるか…。

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▼外側から緑、赤、オレンジの輪。これはスゴイ!!

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▼湖面と煙が紅に映える。

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▼漆黒の闇に色とりどりの花が浮かび上がる。

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▼打ち上げ時の光跡までバッチリ捕捉。これは打ち上げ前にシャッターを開かんと撮れん。

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▼白、オレンジ、緑のアンサンブル。右端が切れてもた。これも一興(汗)。

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▼三発の花火。菊の花が夜空に咲いた。湖面が赤く映える。

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▼壮観!!。台船の真上で巨大な白い花が。

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▼ヤナギの先に咲くガーベラを連想。

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▼きれいな青い花が2輪。

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▼フィナーレ。

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今夜の花火ショー、前評判通り「圧巻」の一語に尽きた!!!。 

水面に映える花火は天下一品じゃて。 花火を一段と引き立てる脇役は水面(みなも)だ。

主催者に感謝せねば。Thank you、メルシー、多々謝々、カムサハムニダ。

こんなせちがらい時世、せめて夜に咲く花で憂さを晴らさんことには。

明後日(10日)は恒例の宇治川花火大会だ。今度はオーソドックスに下から狙うとするか。

よぉーし、今夜はいい夢が見れそうだ。


カメラ小僧の庵主

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立秋

今日は「立秋」。 とはいえ、戸外は34℃近くも。

二十四節季(にじゅうしせっき)の一つで、中国や日本では新暦(太陽暦)の8月7日(8月8日説もある)から秋になるとした。

「到秋」ではなく、「立秋」(秋が立つ)としたところに中国人のセンスが偲ばれる。

この日を境に「暑中見舞い」から「残暑見舞い」に変わる。



『古今和歌集』巻第四 秋歌上に、秋立つ日に詠んだ有名な和歌がある。

  秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる(藤原敏行朝臣)

  「秋が来たと目にははっきり見えないが、風の音にその気配が感じられる」の意か。

風の音に秋を感じ取るとは、また風雅な♪ これぞ王朝人の感性だ。



午睡から目覚め、ぼんやり窓外に目をやると、裏庭で骸骨のようになった(涙)ナツグミの木にクマゼミが一匹、翅を休めとる。日陰の樹皮にいるのは、体力の消耗を避けるための知恵か?

カメラのレンズをズームに交換し、音を立てずにアプローチ。

このナツグミの木、初夏ともなると大きな実を付けていたのに、6月末に植木屋が入って数本の枝を残し丸坊主にしてもた(涙)。 あんまりではないかえ(怒り心頭)。

クマゼミ(熊蝉)を小さい頃よく捕獲したもんだ。地方によってはウマゼミ、ヤマゼミとも呼ぶそうな。

近寄っても逃げないんで、昼寝でもしとるんかいな…。セミには瞼がないんで分からん(アハ)。

こりゃ、腹弁が橙黄色をしてるんでオスか。シャーシャーと鳴かないのも道理。



▼昼寝中(?)のクマゼミ。身体が黄白色の微毛で覆われとるんで孵化してまだ日数が経っとらん。

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▼側面。透明の翅、黄緑色の脈が美しい。グミの木の樹皮もくっきり。

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短くもはかない生命、一所懸命生きなよ!

盆過ぎたら、クマゼミの鳴き声が聞こえなくなるかも。そしたらニイニイゼミ、ツクツクホウシの出番だ。

今夏は意外と秋の訪れが早いかも(希望的観測をまじえ)。

あと10日間、京都の酷暑を耐え凌げば、海外脱出! 海抜1000mの世界が待っとる。


ファーブルおじさんになった気分の庵主

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京菓子一口メモ

京菓子処<鼓月>の生菓子「かつら川鮎」がオヤツに。

贈答に洋菓子・ケーキが氾濫する中、京菓子とは近頃珍しい。

京都は名うての菓子処。旧市街地に行くと和菓子の店がそこら中に氾濫しとる。京都に学生として住みはじめたとき、菓子屋が魚屋や八百屋の数ほどあるのにカルチャーショックを受けた。

京都人は朝な夕なに菓子食って生きとんのかと思ったほどだ。それほど需要があってのことだと気づいたのは、数年たってからのこと。。


これまた都の雅な伝統に培われ、口さがない京童の口利きの舌に揉まれとる。


この機に、京菓子の歴史を講釈することに。菓子の歴史は古い。

縄文時代の岐阜県内の遺跡で、堅果類の実を粉にして練り上げたクッキー状の遺物が出土している。これぞ日本の菓子の元祖か。


遣唐使により穀物の粉を油で揚げた団喜・饌餅がもたらされ、寺社の祭礼・儀式の供饌菓子として使われた。


菓子が歴史の表舞台に登場するのは室町時代の茶会(茶寄合)だ。茶会には点心としての茶菓が欠かせない。ここに菓子は茶の湯とドッキングして、発達を遂げた。これぞ「茶菓子」という言葉の起源。

利休の茶会には、やきぐり、せんべい、麩の焼き、焼き昆布が見える。意外と質素だ(利休らしい)。


安土桃山時代は日本人にとって、まさに「舌の革命期」であった。南蛮人(ポルトガル人)は日本人の味覚を大きく変えた。文化史上、高く評価すべきだ。

永禄12年、宣教師のフロイスが信長に金平糖入りのフラスコを進上した(『信長公記』)。かの鬼神の権化のような信長が金平糖(こんぺいとう)の粒を含んで相好を崩す姿を連想すっと…。それとも生来甘いものに目がない女房衆にくれてやったか…。


『太閤記』には南蛮伝来の砂糖菓子(かすていら、ぼうろ、かるめひる、あるへいとう、こんぺいとう)を下戸(酒を飲まない人)に振舞った記事がある。他にびすかうと=ビスケットもあった。

「酒が飲めん奴は甘いもんでも食っとけ」という秀吉の捨てゼリフが聞こえてきそうだ。

その秀吉、肥前名護屋城在陣の折、ポルトガル人宣教師の船に招待され南蛮料理を馳走になり、お土産にもらったブランデーを独りチビリチビリやっとったらしい。


お隣の朝鮮でも、この頃(16世紀末)、南蛮貿易で香辛料(トウガラシ)がもたらされ食革命が起こった。
それまで東洋人は香辛料を使わなかった。キムチの歴史はここに胚胎す!

香辛料という一介の植物が、ヨーロッパと東洋を結びつける歴史的役割を担った。味覚が東洋と西洋を一つの世界にしたのだ。

南蛮渡来の菓子も京菓子に取り込む進取性には舌を巻く。京都人、ここんところが一味違う。

菓子が庶民の口に昇るようになったのは経済が発展した江戸中期(18世紀)以降のこと。

この頃から、京菓子の枠組みができあがった。いまなお、店先に「禁裏御用達」の木製看板を掲げる老舗もある。



京都には、菓子屋がわんさかあるが、鼓月も老舗の一つだ。

和紙を連想させるビニール包装に白で水面を表現し、淡味清々「かつら川鮎」の商品名。一風の涼を感じさせる。

原材料は卵、小麦粉、餅粉、水飴、蜂蜜、味醂、寒天など16種も。

このこだわりが京菓子の身上だ。

口にすると、昔懐かしい味が…。甘みを抑えた寒天入り白アンを軟らかい小麦粉で包んだ食感。



▼1尾ずつの包装。

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▼「かつら川鮎」の中身。

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食べ物の歴史は広くまた深い。

生菓子の記事を書いていて、にわかに「冷やし葛餅」が食べとうなった。暑い季節柄、キナコにまぶして食べる喉越しがなんとも言えん。


夏バテ回避に汲々する庵主


テーマ : 雑記
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蝉時雨

朝方、陽が昇ると裏庭の木にとまった蝉の鳴き声がかしましい。これもまた日本の夏を彩る風物詩だ。

そんな情景を「蝉時雨(せみしぐれ)」とは、よくなぞらえたものだ。

たくさんの蝉の鳴きしきる声が大きくなったり小さくなったりするさまを、時雨の降る音になぞらえた語だ。

また、その喩(たと)えがなんとも言えん。こんな抒情的表現こそ、まさに日本人独特の感性を物語る。

同じ東洋人であっても、中国人や韓国人にはこうした感性を欠くように思える。なぜそうなのか、深い考察をめぐらした人をあまり知らん。

庵主は、それが日本固有の風土に由来するものと目しとる。


路地に出て隣家の庭木の面(つら)に視線を這わせると、アブラゼミ(油蝉)が一匹、高いところの樹皮に張り付いとる。

カメラを引っ張り出し、ズームレンズでショット。


アブラゼミは、日本各地で広く見かけられ、赤蝉(あかぜみ)、秋蝉(あきぜみ)、大蝉(おおぜみ)の異名がある。

関東以西でよく見かけるクマゼミとともに、体長が5.5~6cmと大型だ。


蝉は地中で過ごす幼虫期間が6~7年と長く、地上に出て孵化し成虫となり、生存期間は1週間と短い。

はかない生命の喩えに蝉がよく使われる。


古代中国では、死者の口に玉製の蝉を含ませ(「含蝉」という)、再生・復活のシンボルとした。しかし、この思想は日本には広まらなかったようだ。

庵主をふくめ昔の子供は、夏休みになると補虫網と虫籠を手にして蝉狩りに熱中したもんだ。

補虫に失敗すると、逃げしなに顔に小便をかけられることも。


中国では、蝉の幼虫を油で揚げて食するところもあるそうだ。蚕の幼虫、イナゴ、サソリも揚げて食べるくらいだから真実なんだろう。

かく言う庵主も蚕の揚げたんを遼寧省の満州族自治県で馳走になった経験がある。

お世辞にも美味とはいえんが、食習慣は文化なんで良し悪しは付けられん。たいていのものは幼少の頃から食べ慣れていたら、なんの抵抗も感じないだろうが…。


世の中に生起する事柄を日本人の基準で判断するのは間違いだ。ここんとこに異文化理解、ひいては歴史認識の根本的問題が横たわっているように思えてならない。


蝉の話から、脱線してもた(汗)。



▼樹皮にへばりつくアブラゼミ。

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▼同上。孵化してあまり時日が経っていないのか、翅の網脈の一部が青い。

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テーマ : 今日の出来事。
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とろけそうなボラの刺身

8月4日(木)。

昼間、霊光殿天満宮の舞殿で見た円亭の献灯が呼び水となって、陽が落ちると吸い寄せられるように…(汗)。

中国人朋友も無事帰国し、ヤレヤレ。

連夜の接待疲れで、落ち付いた静かな場所で魚の味を堪能したくなった。

それには「円亭」が一番だ。


長暖簾をくぐり、いつもの「おばんどす」の挨拶もそこそこにカウンター席に。他に客はなし(最近多いけど、大丈夫かな??)。

例によって、開口一番、今日の入荷魚種を訊ねる。それを女将が奥の調理場にいる大将に伝達。

黙っとると、大将が有無を言わさず決めてしまうんで…(トホホ)。

「選択権は客にあり!」。なんとなれば、財布は此岸の懐にあり。



在庫のボラ、エイ、タイ、ベラの中から熟慮(?)の末、ボラの洗い(刺身)をオーダー。

先ずは生ビールを喉に流しこんどると、女将がオクラと馬肉をあえた味噌漬をタレに!。

この変わった味噌漬、肥後(熊本)の知人からもらったものという。肥後は馬肉食の発祥地だ。

オ、オー、これはいける!!!。癖がなく、口の中に甘みがポワ~とひろがる。まっこと珍味だ。

これだけで酒の肴になりそう!。これを賞味しただけでも脚を運んだ甲斐がある。



なかなか種を明かさず、もったいぶって次に出てきたんがエビの煮付たん。小ぶりながら殻も軟らかく、鮮度もさりながら絶妙の味付けだ。エビには目のないサプリがいたら涙流すかも…。


今日の極めつけは、いまが旬のボラの刺身だ。これにはショウガ醤油が一番。

捌き立てで、身が透き通り光沢を帯びる。口に入れると、ほどよい軟らかさでとろけそうな甘みが…(クッー、言語に絶する!!)。

これぞ至福の一瞬(ウハ)。


最後の仕上げは、よく冷えた「冷汁」だ。てんこ盛りの熱い銀シャリにぶっかけて、いただきま~す。


この店、完璧に庵主の口に合うように馴らしてしもた(アハ)。

この域まで達するのに、何年の歳月とどれだけの散財を重ねたことか…(グシュン)。




▼霊光殿天満宮に架けられた「円亭」の献灯。これ見たのが引き金に!。

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▼瑞々しい緑のオクラと馬肉をまじえた味噌だれ。

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▼尾頭付きエビの煮付けたん。昔、このエビでタイを釣り上げとった(「エビ、タイ」の言われ)。

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▼ボラ(鯔、鰡)の刺身。身が透き通っとる。涼しそうな水色の皿にマッチ。この取り合わせ、魯山人の趣味よりセンスがいい。

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▼頭と尾が反り上がったベラの塩焼き。草色の皮と白身が食欲をそそる。やや小ぶりなんで2匹食っちゃえ。

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イャー満腹、満腹。

「円亭」の魚料理で夏バテなんぞ吹き飛ばしたれ!!。

店の宣伝にも(円亭から袖の下もらったわけじゃなかとけど…)。


お世話になっとる東京のハサダさん、ブログ覗いてはったら、一度この店いかがでっしゃろ…。庵主が接待しますよって。


魚料理にますます生き甲斐を見出した感のある庵主

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霊光殿天満宮

またまた、暑さがぶり返してきた。紫外線がきつい。

昼食後、啓志館のカフェで休憩していると、「霊光殿天満宮」(今出川通新町通を下ル)の鳥居の下で「七五三」詣りの和服姿小児の記念写真を嬉々として撮っているのが目に入る。

アレレッ、今日は「七五三」だったっけ??

この「霊光殿天満宮」、新町通りに東面し、注意しないと見落しそうな小っぽけな神社だ。


いかなる願いも一心に祈願すればかなえられる、という霊験あらたかな村社(鎮守社)だ。


社名は、菅原道真が大宰府に左遷の折(901)、天から一条の光とともに天一神(陰陽道の方角神の一つで、八方を巡る遊行の際、その道筋にあたる者に祟る)・帝釈天(仏法を護る十二天の一つで梵天とともに東方を守る)が降臨し、「汝に罪はない。故に左遷されても落胆するな。三年後汝を天に召し、汝の敵を滅ぼそう」と告げたという伝説より霊光の名がついたとのこと。


祭神は菅原道真(一説に多紀理比売命;宗像三女神のひとり)、徳川家康とされ、上御霊社の末社に属す。

道真6世の孫とされる菅原定義が河内国若江郡内に勅を奉じ神殿を造営したところ、神威がますます盛んとなり神のお告げにより、京内に遷座したという。

蒙古襲来の折、後宇多天皇が夷賊退治の祭事をおこなったところ、賊船ことごとく覆滅し、天皇直筆の「天下無敵必勝利運」の額が進納されたと伝える。

社殿は応仁の乱で被災し、東寺境内に神体を遷したとも。

徳川家康が「天下太平」の祈願をおこなったというが、なにやら、うさん臭い(笑)。

寛永13年(1636)には、家光が仙洞御所にあった家康像を当社に移し祭神とした。この小像は現存するらしい。識者にはよく知られている。一度は実見したいものだ。

近代には、出征する兵士が無事帰還を祈って参拝が絶えなかったという。



▼同志社大学啓志館。だれでも利用できる大きなプールとフィットネス・ジムがある(有料)。

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▼正面。鳥居の右手に見事な花を咲かせる紅梅の木。その右に由緒を記した立て札。

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▼青銅製の「天下無敵必勝利運」の額。普通は神社名を掲げるのだが、これは珍しい。

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▼常夜灯の先にこじんまりした舞殿。右手奥に末社「老松神社」(菅原定義を祀る)。

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▼奉納神燈。裏千家、表千家、武者小路千家の献燈。

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▼本殿の吊り灯篭。中央の灯篭には葵の御紋。奥に「霊光殿天満宮」の扁額。

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▼本殿。

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▼七五三詣り姿の小児の記念スナップ。カメラの前でポーズ。

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▼「天下無敵必勝利運」のお守り(一つ500円)。ゲームに臨むスポーツ選手には必携か。

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京都の街中には、こじんまりとしながらもスゴイ由緒をもつ社があちこちに。

折々に訪ね、由緒を調べるのも面白い。

折にふれて、ブログに載せることに。



洛倭亭主

テーマ : 今日の出来事。
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朋友の惜別宴

8月2日。今宵は中国人朋友の京都最後の宴だ。

機嫌よく帰国してもらうためには、ちと小細工をせねば…(アハ)。



夕闇せまる頃、北野天満宮の大鳥居前で待ち合わせ。

全員顔触れがそろったところで、上七軒歌舞練場のビヤガーデンに。

このビヤガーデン、この夏4度目のアタックだ(汗)。

早、十文字屋の舞妓とも顔馴染みになってもた。もう「一見(いちげん)さん」卒業!?。

艶めかしい浴衣姿の舞妓が徘徊する中、生ビールと一品料理の数々で京都最古の花街の風情を愉しんでもらうことに。

祇園や上七軒のお茶屋に残る情景、華北ではとっくの昔に滅びてもた(涙)。

昔には芸妓が歌舞音曲で上客をもてなす花街が長安(唐)、開封(北宋)、蘇州(南宋)、杭州(南宋)にもあった。

2004年に南京の花街「夫子廟」の茶屋に連れてもらったことがある。運河沿いに明代の伝統家屋が軒を並べやたら人通りが多い。石橋の上で夕涼みするひと、出店で土産物を売る商人、行きかう庶民であふれとる。

一軒の茶屋に入り宴に移ると、チーパオ姿の姑娘が琴を奏で、楽士が音曲を奏でる中、一品ずつ手を変え品を変え運ばれてくる料理を紹興酒とともに満喫させてもらった。

南宋時代から続く花街文化の片鱗が感じ取れる。

「竹林の七賢」を生んだ江南の文化を育ませた土壌は、こんな花街にあったのかも…。

いつの時代にも、遊興、息を抜かせるところがないと国は治まらんし、いいアイデアも浮かばん。

遊び癖は、太古の昔から男性の遺伝子にインプットされとるんかも(証明すんのは至難じゃが)。


いまや中国で失われた文化が、日本だけに息づいとる。

3人とも初めて目にする日本の伝統文化の奥の深さに驚いた様子だ。




ビヤガーデンの後は、大宮にある馴染みのカラオケ・スナックに立ち寄り、日本人客と歌の競演。中国語の歌も仰山収録されとるんで選曲には不自由せん。

入ったとき閑古鳥が鳴いていた店も、やがて客が吸い寄せられるように集まり、立ちどころに満席。

大相撲なら「満員御礼」。

どうも庵主が行く店々、どういうわけか客が吸い寄せられてくるらしい。「福の神」が背後霊に憑いとるんかも。これじゃ、商売替えしたほうがいいかも(笑)。

日中歌合戦の様相を帯び、今夜だけは行きつけのスナックが友好の場になってもた(笑)。



中国にはこんなスナック形態の息抜きの場がないそうなので、合弁で中国第一号のカラオケ・スナックバーつくったら繁盛しそう。毛沢東時代ならいざ知らず、いまは反革命と糾弾するものはいないだろう。

このアイデア、朋友の即賛同を得た。ノウハウは日本人が技術指導し、儲けは山分けでいかがでっしゃろ?。

これぞビッグ・ビジネスチャンスだ。チェーン店作ったら、億万長者になれるかもよ(ワオ―)。

バブルで資金がだぶついとる中国の銀行、すぐ融資に乗って来ようて。


今夜の盛り上がりで、今夏の日中共同調査は成功すっこと必定(アハ)。

「中国での成功の秘訣は人の信にあり」、これ庵主の長年の経験をもとにした金言。

わが弟子どもよ、肝に銘ずべし!!!。




▼北野天満宮の大鳥居扁額。額縁に耳と足が出、満の字が変わっとる。

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(クリックすっと画像が拡大)




▼閑散とした天満宮の参道。オレンジ色の街灯がポツン。縁日の雑踏が信じられん。

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▼おなじみの串団子紋の赤提灯。祇園にもこの紋が。花街のシンボルマークだ。これなら遠くから目立つ。

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▼夕闇せまる日本式庭園。長い石橋が見どころ。

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▼灯がともされた石灯籠。右手が歌舞練場。

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▼ビヤガーデン。左手奥に舞妓のだらりの帯姿。

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深夜11時を回ったので、名残り惜しけど今宵の宴はお開き。

爽やかな夜風を頬に受け、ホロ酔い加減で家路に就く。



テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

伏見の粋な酒蔵レストラン

いよいよ今日から夏本番の8月に突入(アワワワ)。ここが凌ぎどころだ。

日中の最高気温は32℃。微風はあるものの湿度が高く、歩いていると額に汗がじっとり。



中国からの客人を京田辺校地に案内した帰途、伏見のアーケード街、竜馬通り、寺田屋、運河、カッパカントリーをブラブラし、日が傾いた頃合いを待って「月桂冠」の銘柄で知られる大倉酒造直営店「月の蔵人」の暖簾をくぐる。

月曜日とあって、予約を入れなくても待たされることはない。

この店、酒蔵を改造した和風レストランがヒットし、観光客にも人気が高い。いまや伏見のホットスポットの一つだ。


掘り炬燵式のテーブルのため、胡坐をかいて座る生活習慣がない中国人でも大丈夫。

中国人にとって、畳の間だと日本料理を愉しむどころではなく、苦行を強いられる場に。

昨夕食事した「円亭」は座敷の畳みの間で座布団を二つ折りにし、それを2枚重ねて椅子代わりに(中国人を本格的に呼び込むんなら、掘り炬燵式に改造せんと!)。

酒蔵を改造したため垂木丸見えだが、それがかえって開放感があっていい。ときおり足を運ぶ所以だ。


グラスに注がれた冷えた美酒に美味い肴(さかな)ときたら、話に花が咲くのは自然の成り行きだ。

ただし一品料理は和洋折衷だ。「京の台所」というキャッチフレーズにしては、いささか客に媚を売っていやぁしないかえ…(チクリ)。

宴もたけなわになって、カバンに忍ばせたコンパクトデジカメを取り出し店内外をウロウロ、キョロキョロ。



初めて日本を訪れた中国人学者に日本の印象を聞くと、ハード面では中国と日本の間にはさほどの差は感じられないが、ハードを運用するソフトの面では大きなギャップを痛感するという。

シタリ。

先だって中国で起きた高速鉄道の追突事故も、各国の技術を寄せ集め表面上は先進国の高速鉄道と肩を並べるようになったが、それらを運用するノウハウに問題があることを露呈した。

急速な経済発展とそれに見合うソフト面の発達がシンクロしていない点は深刻だ。

いまの体制が足かせになってきたように思えてならない。

現今の中国経済発展を支えている牽引車は不動産業界だ。中国のバブル(泡沫)経済が弾けたとき、不動産会社の自殺者は日本の比ではないだろう。

それこそ、おぞましい世界大恐慌の再来だ。

バブル崩壊こそ、中南海の主人公たちが最も恐れるシナリオだ。昨今の急激な物価上昇(特にメイン蛋白源の豚肉がひどい)という前兆に、枕を高くして眠れない夜が続いていることだろう。綱渡りの経済政策が続く。



▼灯がともった「京の台所 月の蔵人」看板。

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(クリックすっと、画像が拡大)




▼町家と見まがいそうな入口。街灯も控えめ。抹茶色の短い暖簾がシックだ。

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▼羽目板にさりげなく懸かる木製の看板。「月」という字はなかなか味わいがある。

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▼大き過ぎず小さ過ぎず、頃合いのサイズの樟玉。下に「千客万来」の木札が吊り下げられとる。

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▼入口を入るとすぐ左手に「月桂冠」銘の樽酒が3個、目に飛び込む。

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▼店内。床からそそり立つ暖色灯の柱列。絵柄入りの和紙でカヴァー。間に酒樽をさりげなく配置。

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▼木目も鮮やかな床板。掘り炬燵式の足元が見える。奥には二人掛けのカウンター席。二人連れにはもってこいの雰囲気を醸し出す。

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▼黒ずんだ桁、梁木と剥き出しの天井。和紙を張った電球がやわらかい光線を放つ。

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▼一風変わった電球の笠。漆喰をバックに屋根組みの構造がよくわかる。

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▼名物の「おぼろ豆腐」。和紙を張った中に液体の豆腐をいれ、固形燃料で下から焙る。ものの10分ほどで出来上がり。薄い醤油出しに浸けて食べる。

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▼海苔の色がなんとも瑞々しい「おにぎり」。

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▼長茄子の一夜漬け。細かな水滴が表面に付着。塩加減が最高だ。

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▼人通りもまばらな夜の酒蔵通り。奥に「鳥せい」がある。

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泥酔を避け、ほろ酔い気分のところで切り上げるのが最良の引き際ちゅうもんだ。この一線を越えると、奈落の底が…。

バタやん、この域に達するにはまだまだ修行を重ねんとあかんぞえ!!


今日のブログ、ついつい店の宣伝になってもた(笑)。宣伝料もらいに行くか(アハ)。


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