合肥の街と李鴻章
一夜明けると、街中が濃霧の中に沈んでいる。
テレビのニュースで、合肥空港発着便の運休が速報される。
合肥という町の名は、日本ではあまり知られていない。『三国志』の読者なら知っていよう。歴史は古く、市の中心部には堀で囲まれた都城の跡が残る。
近年、自動車産業が発達し、人口が一挙に500万に膨らんだ。反体制家で知られた方励之はここの科技大学で教えていた。現在、アメリカに亡命中。
下関条約締結交渉で著名な李鴻章(清末の官僚・政治家、1823~1901)は合肥の出身で、旧邸が市の管理下で保存されている。
24歳で科挙試に合格し、出世街道を邁進した李鴻章は光緒帝の洋務運動(近代化政策)を担った中心人物で、直隷総督として西欧文明を積極的に導入し、殖産興業、軍事とりわけ海軍の創設、外交交渉に手腕を発揮した。日清戦争の敗北で失脚するが、晩年には直隷総督に再任され、太傅(皇太子の養護約)をつとめた。
現政権下で改革開放の先駆者として高い評価を受けている。
旧市街地の中心部に李鴻章の邸宅があり、多くのパネルとともに遺品が展示され博物館としての機能をもつ。
ここの展示で、李鴻章が近代文明に接するため自ら欧州諸国を歴訪した事実を初めて知った。
中国の近代化を牽引する人材を育てる科技大学が、北京や上海ではなく敢えて合肥に創設されたのも、李鴻章の業績を評価してのことであろう。
封建体制の中で近代化を強力に推進しながらも、運命に翻弄されたひとりの開明派官僚・政治家の幽魂がこの旧邸には漂っている。
▼市街地交差点の夜景。14階の部屋から撮影。
(クリックすっと、画像が拡大)
▼濃霧に包まれた市街地。

▼若者であふれる繁華街。左に李鴻章旧邸。

▼道路の真ん中にあるファーストフードショップ。若者に人気。

▼街頭揚げ物売り屋。

▼李鴻章邸(李府)の門構え。

▼同上中庭。よく手入れされた植栽。バショウの葉が南国気分を漂わせる。

▼邸内の建物。

▼李鴻章の肖像

▼福寿堂。来客を接待するときに使われた客間。

▼官服の胸飾り刺繍。鶴のデザインは官職として最高の地位を示す。

悪名高い西太后が軍費を頤和園(離宮)の建設に流用せず、北洋艦隊の増強に費やしていたなら、黄海海戦(日清戦争)での日本海軍の勝利も覚つかなかったであろう。
テレビのニュースで、合肥空港発着便の運休が速報される。
合肥という町の名は、日本ではあまり知られていない。『三国志』の読者なら知っていよう。歴史は古く、市の中心部には堀で囲まれた都城の跡が残る。
近年、自動車産業が発達し、人口が一挙に500万に膨らんだ。反体制家で知られた方励之はここの科技大学で教えていた。現在、アメリカに亡命中。
下関条約締結交渉で著名な李鴻章(清末の官僚・政治家、1823~1901)は合肥の出身で、旧邸が市の管理下で保存されている。
24歳で科挙試に合格し、出世街道を邁進した李鴻章は光緒帝の洋務運動(近代化政策)を担った中心人物で、直隷総督として西欧文明を積極的に導入し、殖産興業、軍事とりわけ海軍の創設、外交交渉に手腕を発揮した。日清戦争の敗北で失脚するが、晩年には直隷総督に再任され、太傅(皇太子の養護約)をつとめた。
現政権下で改革開放の先駆者として高い評価を受けている。
旧市街地の中心部に李鴻章の邸宅があり、多くのパネルとともに遺品が展示され博物館としての機能をもつ。
ここの展示で、李鴻章が近代文明に接するため自ら欧州諸国を歴訪した事実を初めて知った。
中国の近代化を牽引する人材を育てる科技大学が、北京や上海ではなく敢えて合肥に創設されたのも、李鴻章の業績を評価してのことであろう。
封建体制の中で近代化を強力に推進しながらも、運命に翻弄されたひとりの開明派官僚・政治家の幽魂がこの旧邸には漂っている。
▼市街地交差点の夜景。14階の部屋から撮影。

▼濃霧に包まれた市街地。

▼若者であふれる繁華街。左に李鴻章旧邸。

▼道路の真ん中にあるファーストフードショップ。若者に人気。

▼街頭揚げ物売り屋。

▼李鴻章邸(李府)の門構え。

▼同上中庭。よく手入れされた植栽。バショウの葉が南国気分を漂わせる。

▼邸内の建物。

▼李鴻章の肖像

▼福寿堂。来客を接待するときに使われた客間。

▼官服の胸飾り刺繍。鶴のデザインは官職として最高の地位を示す。

悪名高い西太后が軍費を頤和園(離宮)の建設に流用せず、北洋艦隊の増強に費やしていたなら、黄海海戦(日清戦争)での日本海軍の勝利も覚つかなかったであろう。
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