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合肥の街と李鴻章

一夜明けると、街中が濃霧の中に沈んでいる。

テレビのニュースで、合肥空港発着便の運休が速報される。

合肥という町の名は、日本ではあまり知られていない。『三国志』の読者なら知っていよう。歴史は古く、市の中心部には堀で囲まれた都城の跡が残る。

近年、自動車産業が発達し、人口が一挙に500万に膨らんだ。反体制家で知られた方励之はここの科技大学で教えていた。現在、アメリカに亡命中。


下関条約締結交渉で著名な李鴻章(清末の官僚・政治家、1823~1901)は合肥の出身で、旧邸が市の管理下で保存されている。

24歳で科挙試に合格し、出世街道を邁進した李鴻章は光緒帝の洋務運動(近代化政策)を担った中心人物で、直隷総督として西欧文明を積極的に導入し、殖産興業、軍事とりわけ海軍の創設、外交交渉に手腕を発揮した。日清戦争の敗北で失脚するが、晩年には直隷総督に再任され、太傅(皇太子の養護約)をつとめた。

現政権下で改革開放の先駆者として高い評価を受けている。

旧市街地の中心部に李鴻章の邸宅があり、多くのパネルとともに遺品が展示され博物館としての機能をもつ。

ここの展示で、李鴻章が近代文明に接するため自ら欧州諸国を歴訪した事実を初めて知った。


中国の近代化を牽引する人材を育てる科技大学が、北京や上海ではなく敢えて合肥に創設されたのも、李鴻章の業績を評価してのことであろう。

封建体制の中で近代化を強力に推進しながらも、運命に翻弄されたひとりの開明派官僚・政治家の幽魂がこの旧邸には漂っている。


▼市街地交差点の夜景。14階の部屋から撮影。

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▼濃霧に包まれた市街地。

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▼若者であふれる繁華街。左に李鴻章旧邸。

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▼道路の真ん中にあるファーストフードショップ。若者に人気。

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▼街頭揚げ物売り屋。

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▼李鴻章邸(李府)の門構え。

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▼同上中庭。よく手入れされた植栽。バショウの葉が南国気分を漂わせる。

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▼邸内の建物。

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▼李鴻章の肖像

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▼福寿堂。来客を接待するときに使われた客間。

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▼官服の胸飾り刺繍。鶴のデザインは官職として最高の地位を示す。

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悪名高い西太后が軍費を頤和園(離宮)の建設に流用せず、北洋艦隊の増強に費やしていたなら、黄海海戦(日清戦争)での日本海軍の勝利も覚つかなかったであろう。



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安徽省の温泉Rホテル

本ブログ愛読者の皆様、しばらくです(笑)。5日間、中国の安徽省を漫遊しておりました

これで、中国で未踏の地はチベット族自治区、青海省、広西チワン族自治区、海南省の残り4つとあいなりました。両年中には目標達成も視野に

今回は食あたりもなく(汗)、じつに快調な旅どした。ただしハードスケジュールが祟り、疲労感は隠せず…。


11月25日の昼過ぎ、南京南郊の禄口国際空港に到着。関空から3時間弱のフライト。

空港に降り立つと京都よりやや暖かいが、遠景はモヤっている。

出迎えに来た朋友の車で高速道を経て、安徽省和県の地に直行。南京市内を西に迂回し、長江三橋を渡る。横に高速鉄道の巨大な鉄橋が見える。

高速道を降り、ガタガタの道を一般道路をひた走る。

カーナビの誘導で宿舎「香泉温泉」に着いたのは日没寸前。周囲に田圃が広がる閑散とした場所だ。


宿泊地は中国には珍しい温泉プールを売りにしたリゾート施設だ。中国人の友人が気を効かせ予約してくれた。近くに火山はないので、聞くとボーリングして温泉を掘り当てたものという。客層は南京の大金持ちだろう。

温泉というから露天風呂を期待していたものの、水着を買って入浴すると聞き、唖然。期待感が一気にしぼむ。


フロントに架かる日替わり宿泊料金表(曜日によって変わる)を見ると、安い部屋で980元(12,000円弱)とべらぼうに高い。5つ星級だ。入浴料は別に168元必要。この値段からして利用層が知れるというもんだ。

どういうカラクリになってるのか、チェックアウトしたとき支払った額は560元!?。どうもここの経営者と案内した友人はツーカーらしい。中国の裏社会を垣間見た思いが…(アハ)。


宿泊楼は3階建てだが、エレベーターがない(ここんとこが中国らしい)。

スーツケースを提げて2階、3階に上がるのは難儀なので、すかさず1階の部屋を選ぶ。ベッドが2つある標準房だ。

部屋に入ると、やけにだだっ広く、寒々としている。暖房のスイッチを入れても、なかなか暖まらない。湯船で冷えた体を温めようとしても、シャワーだけが付いていて浴槽がない!!。蛇口をひねると、冷たい水が勢いよく。ここは温泉の筈だが…。



夕食はホテル内のレストランは高いので、外で食べることに。

ホテルの敷地を出ると、暗い通りが続き、街中らしいところにこぎれいな店(程度は読者の推理にゆだねる)を探し入る。

個室は満員で、止むなく一般客用のテーブルに。

店の入口脇に水槽があって、スッポン、モクズガニ、手長エビ、ナマズ、雷魚?が泳いどる。いずれも淡水産だ。おそるおそるモクズガニ、手長エビを注文。


翌朝、庭を散歩し、花を物色。紅葉の木を1種だけ見つけたが、日本の楓でとは葉の形が異なる。他に黄葉したのはイチョウの葉くらいだ。



▼長江に架かる高速鉄道橋。下を大きな船が通過できる。

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▼安徽省和県「香泉温泉」看板と夕陽。モヤってて太陽光がやけに赤い。

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▼店の水槽から店員が手長エビをすくい取る。お腹に少しヤバそうな感じ。

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▼モクズガニ。これは日本でもお馴染み。子供の頃よく捕えたもんだ。

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▼手長エビと野菜。見るからに美味しそうだ。

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▼香泉温泉の中心建物。左側に付属楼が2つ建つ。

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▼泉水のスイレンの花。

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▼白椿。

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▼唯一の紅葉。

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▼噴水のある中庭。

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▼ベランダ付きの部屋。ひとりで泊まるには広すぎ。

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曼殊院界隈で紅葉狩り

11月23日。曇天。今日は勤労感謝の日で休日。

京都市内の観光地はいずこも紅葉目当ての行楽客で賑わう。


大阪からやってきた愛弟子3名をともない、修学院の曼殊院界隈で「紅葉狩り」と洒落込む♪♪。

明後日に日本を立ち、京都の紅葉も今日で見納めとなろう。なにかしら、もの悲しい気分に。

学生時代の4年間、修学院に下宿し、その後脚が遠のき、約40年ぶりに曼殊院門跡、鷺森神社を訪ねる。


この寺院は、東山の山裾に位置し、比叡山への登り口(雲母坂)にほど近い高台にある。市街地はもとより双ケ丘、船岡山、愛宕山、西山を眺望でき、山際に沈む夕陽は佳景だ。

今年は紅葉の発色がどこもよくない。あまり期待を抱かず来てみると、ここの紅葉だけはまるで仙郷のようだ。

曼殊院の庭の楓はイマイチだが、山門前にある天満宮境内の楓は今が盛り。常緑樹をバックにした紅葉・黄葉は格別だ。

「錦秋」という言葉は、ここの紅葉にこそふさわしい。




▼山粧(やまよそお)い。一乗寺の背後の山も色づいてきた。左下が曼殊院。

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▼曼殊院山門脇の紅葉。

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▼曼殊院築地際の紅葉。写真で馴染みの紅葉だ。

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▼杉木立の向こうは錦秋の世界。そこは天満宮の境内。

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▼天満宮境内の紅葉。

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▼天満宮の古池に枝を伸ばした真っ赤な紅葉。

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▼燃えるような深紅の紅葉。

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▼曼殊院天満宮の黄葉。

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▼曼殊院天満宮の紅葉。

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▼曼殊院庭。白砂・緑松・紅葉の三点セット。

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▼曼殊院枯山水庭の紅葉。小堀遠州好みの作庭。

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▼小書院の手水鉢。側面に幸運を運んでくるフクロウ(梟)が彫られている。

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▼曼殊院庭と五色の樹木。

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▼同上。淡い紫色の椿花と紅葉。

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▼関西セミナーハウス近傍の紅葉。緑から深紅へのグラデーションがなんとも。

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▼鷺森神社境内の紅葉と白い椿花。

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タイガーさん、ここの紅葉いかがでっしゃろ?

愛読者の皆さん、ここを訪れるなら週末が限度か。ポイントは天満宮境内、関西セミナーハウス、鷺森神社。

せいぜい往く秋を惜しみなはれ。


仙境を訪れた気分の庵主



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秋色深める洛北

11月19日。 昨夜から降り続いた雨もほぼ上がり、午後のひとときを今春卒業したゼミ生5人と京都の「紅葉狩り」と洒落込む。


半年ぶりに再会した教え子たち、世間の波にもまれて逞しくなったような顔つきに。

そういえば、ちょうど1年前、京都での学生生活の思い出にと、上高野の蓮華寺を訪れたメンバーたちだ。

そのときは八瀬の瑠璃光院に寄る時間がなく、今回は予定した永観堂からここに行き先を変更。


1週間前に訪れたときと違い、一段と紅葉が進み、なんとか紅葉狩りの体裁を保つ。

ここんとこ急速に秋色を深める京都。あと1週間もすれば、紅葉のピークが訪れることだろう。


週末とあって、混み合いを懸念していたが、朝からの雨で敬遠されたのだろう。おかげでじっくり雨に濡れ一段と鮮やかな紅葉の庭を観賞できたのはラッキー。




▼瑠璃光院の「瑠璃の庭」。緑鮮やかな苔が雨に濡れ、いちだんと鮮やかな光彩を見せる。

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▼瑠璃光院の5色のカエデ。仙界の森もかくやあらん。

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▼1階書院から眺めた瑠璃の庭。緑の絨毯を敷き詰めたような苔庭が眼前に広がり、2階からの眺めとまた趣が異なる。

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▼真っ赤なカエデの落葉。杉苔が引き立て役に。

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▼臥龍の庭。苔と石が織りなす芸術的作庭。

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▼臥龍の庭。泉水の左側の石の出っ張りが龍の頭に凝らされる。石橋の上の紅葉がアクセント。

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▼庭の片隅にひっそり咲く寒椿一輪。雨に濡れた葉がなんともみずみずしい。

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▼高野川縁の紅葉(八瀬遊園駅付近)。夜来の雨で水嵩が増し濁流渦巻く。夕闇が迫り、ライトアップの光も。

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▼八瀬遊園駅傍らの紅葉ライトアップ。

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八瀬瑠璃光院の紅葉は京都屈指だ。境内に見るカエデの木は全て種が異なる。一本一本の庭木に作庭者の思いが伝わってきそうだ。

ここを別荘とした三条実美は仙界に昇った気分に浸ったことだろう。

気象条件によって瑠璃色に輝く浄土の世界が現出すると伝えられる「瑠璃の庭」を一度は実見したいもの。


京の紅葉はこれからが本番。ご期待のほどを。


紅葉に仙界を夢見る庵主


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西陣妙蓮寺の御会式桜

11月17日。天高く、明るい陽光がまぶしい。絶好の散策日和だ。

前々回の記事で御会式桜(ごえしきさくら)を取り上げたところ、狂い咲きの桜ではないかという疑念が寄せられた。

そこで、授業の合間を縫って「御会式桜」で有名な京都西陣にある妙蓮寺の元祖桜を実見に。

入り組んだ古い街筋に途中で道に迷い、店のおばはんに訊ねたら親切に教えてくれた。

西陣の小路に面して山門が立ち、うっかり見過ごしそうな場所にある。


卯木山妙蓮寺は、永仁3年(1295)日像上人が五条西桐院に創建し、天文法華の乱で焼失し再建後、秀吉の命によって天正15年(1587)現在地に移転した本門法華宗の大本山。8つの塔頭を抱える。

山門をくぐると、本堂は修復のため足場が張り巡らされていた。

お目当ての「御会式桜」は直ぐ見つかった。本堂の前に植えられ、白い花が雪をまぶしたようにまばらに咲いていた。


ガードの隙間を縫って、桜木に近づきじっくり観察。

幹から伸びた小枝には一重の花弁、枝先には団塊状に咲く八重の花弁が付いた珍しい種だ。

白と淡いピンク色の可憐な花弁をつけ、草庵の近くの民家に咲く桜と一緒だ。



▼妙蓮寺山門。

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▼境内。修復中の本堂の前に御会式桜の木が1本。

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▼凝った斗栱の鐘楼。頭でっかちでなんとなくバランスが悪い。人にもときに見るけど(アハ)。

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▼御会式桜のステンレス製説明板。10月から4月まで開花すっと。

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▼御会式桜の巨大な幹。樹齢100年は優に超えそう。幹から伸びた小枝に白い花がポツンポツン。

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▼抜けるような青空をバックに浮き立つ御会式桜の花。

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▼同上。隣にモミジがあれば秋咲きの実感が湧くのだが…。

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京都西陣は、6~9月を除き、1年中桜の開花が楽しめる不思議なところだ。

年中花見と洒落込みたい風流人が植えたもんか???。ならば庵主の趣味とも合う(笑)。

この妙蓮寺の御会式桜、「京都七不思議」にノミネートしても…。

こんな土地柄は、さすがの「花のお江戸」にもあるまい。

それにしても、だれがこんな品種を生み出したんかいな!!??


季節外れの花見と洒落込んだ庵主



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洛北瑠璃光院と蓮華寺の紅葉

11月13日(日)、例年よりも一足早く、洛北の瑠璃光院(期間限定公開中)・蓮華寺で紅葉狩りと洒落込む。

出町柳駅から八瀬行きの終点で下車。高野川に架かる橋を渡り、川沿いに150mほど下ると瑠璃光院の山門前に。

渓谷沿いで紅葉のはしりを期待して訪れてみたものの、瑠璃光院、蓮華寺の紅葉は時期尚早で期待はずれ(ガックリ)。

今年は気温の高い日が続いたせいか、紅葉する前に葉が枯れたカエデが目立つ。昨年とは違った様子だ。

しゃーない、読者へ洛北の紅葉情報を提供することに。

入口で入観料500円を払い、先ずは2階の書院へ。観光客で埋まる書院で住職の説明を傾聴。

境内はいずこも昨秋目にしたカエデの錦繍には程遠く、葉が青々としている。

瑠璃光院界隈では、山門の手前の参道にかかるカエデ1本のみが紅葉していただけ(トホホ)。



瑠璃光院から近傍の蓮華寺に移動。

上高野蓮華寺の西隣にある竹林寺(未公開)の山門を覗くと、深紅に染まるカエデ紅葉が。ここの紅葉は早い。


蓮華寺の山門を潜ったところにあるイチョウの巨木は黄葉のピークを過ぎ、苔の上に黄色の絨毯を敷き詰めている。

しかし、鯉が遊泳する泉水に影を落とすカエデは青々としていた。書院の縁側に腰を下ろし、暫し瞑想にふける。

別室でせせらぎの庭を前に抹茶を一服いただく。

夕闇の帳(とばり)が迫る中、蓮華寺を後にする。

北山通りの串の店「万」へ1年ぶりに顔を出した後、下鴨にある馴染みのBar「伊万里」で油を売って草庵に帰着。



▼叡電の1両編成車両。かつての路面電車を思い起こさせる。

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▼瑠璃光院山門。人の出入りもまばら。

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▼2階からの「瑠璃の庭」ショット。紅葉し始め。ピークには程遠い。

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▼2階書院からの眺め。ここからのモミジ紅葉は壮観。

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▼茶庵(室)「喜鶴亭」から「臥龍の庭」を眺望。

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▼十三重石塔。バックは青々としたモミジの葉。

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▼瑠璃光院近傍路上の黄葉。

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▼瑠璃光院近傍のカエデ紅葉。よく見ると、葉に穴が。

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▼竹林寺山門前の紅葉。例年、ここの紅葉は早い。

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▼同上。深紅の紅葉ズームアップ。手前の枝が目ざわり。

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▼同上紅葉。

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▼蓮華寺鐘楼前のイチョウ落葉の絨毯。

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▼同上。緑の苔とイチョウの葉のコントラストが…。

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▼書院から中庭の眺望。紅葉には程遠い。観光客がチラホラ。

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▼泉水の鯉。

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▼Bar「伊万里」のムーディーなカウンター。

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▼「伊万里」のグラス棚。

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御会式桜と京都御苑の黄葉

11月12日(土)。草庵近くの民家の塀越しに、季節外れに開花した桜花を見つけた。

細枝の先にまばらに咲く花がよそよそしい。10月から4月まで半年間花を咲かせる「御会式桜(おえしきさくら)」(妙蓮寺に咲くのが有名)の一種か。

京都では、半年もの間、桜の開花が楽しめる不思議な土地だ。

花弁は小さいが、れっきとした八重桜だ。同じ幹に咲く白とピンクの花が実に可憐だ。思わずカバンからコンパクトデジカメを取り出してショット。


▼御会式桜。ほんのりピンク色がかった花弁が優雅。

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▼白とピンク色の花弁が隣り合って咲く御会式桜。

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授業まで時間があったので京都御苑内をブラブラしながら、盛秋の色を探索。

深緑の御苑で見る秋はサクラとウルシの紅葉のみ。アカマツ林の中で見つけた楓の葉は未だ青々としている。

この様子だと、紅葉のピークは12月にずれ込みそうだ。


烏丸通りに面した乾御門を入ったイチョウの大木だけが黄葉しかかっていた。そこにマウンテンバイクに乗った小学生と思しき少年が通りかかり、一眼レフカメラをバッグから取り出してシャッターを切っていった。

カメラを構える手つきが、なかなか堂に入ってる。


▼葉が黄葉には遠いイチョウの巨木(石薬師御門を入った西側)。遠くに迎賓館の塀が見える。

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▼御苑内で見たサクラ紅葉。葉が垂れていて生気がない。

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▼一般公開も終わり閑散とした京都御所。左は皇后門。

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▼散策するひとたち(乾御門付近)。ベンチで憩うひとも。

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▼黄色く色づき始めたイチョウの巨木(乾御門付近)。

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▼イチョウの黄葉を激写するカメラ少年。

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銀杏の文化史Ver.2

ここ数年、イチョウ並木の黄葉が遅れとる。地球温暖化のせいなのかも…。


先週、神戸に住んでいる20年来の知己が、イチョウ(銀杏、ギンナンとも)の種子(核)をどっさり京都まで持参してくれた。これまた秋の風物詩だ。

この植物、イチョウと呼んだりギンナンと呼んだり、ややこしい。通常、樹木をイチョウ、その実をギンナンと呼ぶ。


ビニール袋の中を覗くと、小ぶり、大ぶりの種子がどっさり。

聞くと、家の近くに生ったものを拾い集め、厭な臭いのする中果皮を取り除いて水洗乾燥したのだという。この作業は、経験した者でないと分からん、実に厄介な作業だ。いまの若者は敬遠してしまう。

それだけに頂戴して嬉しさが倍加する。

手土産に四掴みほど小分けして、この客人を「円亭」へ案内。

2~3年ほど前まで、この店で岐阜産の大振りの銀杏の実を出していたが、ここんとこ京都御苑で拾い集めたシイの実が銀杏に取って代わった(トホホ)。こっちのほうが元手がかからず、手間暇かからんで楽とのこと(ガーン)。


イチョウ科の植物は遥か中生代(2億年前)に恐竜とともに栄えた植物として知られ、現存するのはイチョウ一種だけで生きた化石(遺存種=レリック)とされる。

植物としては原始的な雌雄異株で、春にそれぞれ雌花、雄花をつけ、10月頃になると雌株に実が黄色く熟す。


この銀杏、不思議にも『万葉集』『風土記』に見えない。樹高30mもの巨木に成長し、秋には葉が黄葉し、ひときわ人目に立つ銀杏の木が古代人の目にふれなかった筈はない。

また平安時代に編纂された『倭名類聚抄』(日本最古の漢和辞書、934年頃成立)にも、「銀杏」の名が見えない。ひょっとして、この植物に別の漢字を宛てていた可能性もなくはないが…。

古代遺跡からの出土例にしても、管見にふれない。これだけの硬い種子であれば、水漬かりの遺跡で腐らずに依存する確率はきわめて高い。

ということは、この植物は10世紀後半以降に人の手によって外国(中国?)から移入されたものではないか、という推測に駆られる。蘇州や北京でイチョウの木を見たことがある。

なお、韓国全羅南道新安沖で発見された沈船から銀杏の種子が引き揚げられている。この船は中国の慶元(寧波)から日本に向かった貿易船で1323年に難破したものとされる。鎌倉時代末のことである。

銀杏の移入時期を探る鍵を握るのは、この植物名の語源であろう。

中国ではイチョウは「鴨脚樹」「公孫樹」と表記される。「鴨脚樹」とはイチョウの葉の形が鴨の脚に似ていることに因んだものらしい。後者は、植えてから孫の代にならないと実がつかないことから名づけられた名称である。銀杏の実を昨今では「銀果」と呼んでいるらしい。

イチョウの語源については、江戸時代に貝原益軒や黒川春村が自説を述べているが、いずれも信ぴょう性に乏しい。

国語学者の新村出博士は、宋・元時代(11~14世紀)に鴨脚を宋音で「ヤ―チャオ」と発音していたことから、これが日本に伝わり訛って「イチョウ」と呼ぶようになった、と考えた(『大言海』)。傾聴すべき説である。

真柳誠氏の研究(「イチョウの出現と日本への渡来」)によれば、銀杏が北宋代の11世紀前半に安徽省宣城市から開封に移植・栽培された文献記録があるという。

宋時代には中国から私貿易船が博多や大輪田泊(神戸)に盛んに来航し、日本人僧侶で入宋したものも多い。イチョウがお寺によく植えられているのを見ると、お坊さんが将来したものかもしれん。


しかし、銀杏が日本に移入された正確な時期は、今後の研究を待たねばならない。


イチョウの葉は、水分を含み落ち葉焚きには敬遠されがちだ。社寺の境内で巨木を見るのは、火除け樹としての効用があったのだろう。

また熊本城内にはイチョウの木がたくさん植えられている(別名”銀杏城”)が、これはイチョウの実を籠城用の非常食として利用することを意図したものとされる。慶長の役(1597~98)の際、蔚山に籠城し食糧に難儀した加藤清正の体験が活かされたものにちがいない。


銀杏は、高血圧に効き目があるそうな。 焼いたら芳しく酒のつまみや茶わん蒸しに最高だ。しかし、食べ過ぎると鼻血が出たり、死亡に至るケースもあるという。なんにしても食べるには程がある。


以下、調理法のレシピ。


▼頂戴した銀杏の種子。

P1010001_convert_20111106201424.jpg (クリックすっと、画像が拡大)



▼焙(い)る前にナッツ割り専用の道具で殻を割る。これをやらないと、実が弾けて飛んでいく。

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▼殻を割ってフライパンに乗せ、表面に焦げ目がつくまで焙ると、芳ばしい香りが漂ってくる。

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▼硬い殻を手で剥いて中の実(胚)を取り出す。茶色の薄い膜(種皮)を剥がすと美しい翡翠色の実が現われる。

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翡翠色の実にミネラル豊富なモンゴル産の岩塩(今夏に入手)をまぶして口の中へ。

秋の夜長は銀杏の種子を炒って、お酒を熱燗でチョビ、チョビ。これは堪らん。

ささやかな至福の時だ。


銀杏の実に魅入られた庵主。


テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

大文字草の変種

先月、天神さんで買ってきたヤマツツジの小さな苗木を裏庭に植え変えたところ、なんとか着床したようだ。

一緒に買ってきた白波ダイモンジソウ(大文字草)は、やたら花弁が多いダイモンジソウの変種だ。

白波を冠するとはなかなかやるわい。

よく観察すると、花弁が2段になっとる。努力は認めるが、ちと、品種改良もやり過ぎでは…。

花弁が多ければいいっちゅうもんでもなかろうて。

やっぱし、一段咲きのものがシンプルで文字通り「大文字草」の名に沿う。

同類のユキノシタ、円亭の女将にせっかく株分けしてもらったのを植木屋が抜いてしまいよった(クシュン)。

「花鳥風月」の風流ちゅうもんを解せん野暮天どもめ(ムカッ)。



▼ヤマツツジの苗木。高さが約15cm。成長してどんな紅葉を見せるか…。

DSC_9041_convert_20111103130136.jpg (クリックすっと、画像が拡大)



▼ダイモンジソウ(大文字草)の鉢植え。

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▼ダイモンジソウのアップ。

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▼返り咲きの路地のユキヤナギ。直径5mmほどの小さな花弁を5輪だけ咲かせよった。

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洛北深泥池界隈の秋Ver.2

深泥池(みどろがいけ)と題しても、怪奇スポットの話に非ず。ご期待を裏切るようであるが…。

夢枕に鞍馬口地蔵(上善寺)はんが立ち、「前に安置されていた深泥池地蔵堂の安否を確かめよ」と…。

閻魔さんと仏さんの頼みだけは無碍(むげ)に断りもできず、約30年ぶりに洛北深泥池の地を訪ねる羽目に。


深泥池辺にやって来たものの、地蔵堂の場所がとんと分からん(トホホ)。

池畔に近い喫茶店の主人に聞いたら、”六又路”を愛宕神社(貴船神社)の方へ真っすぐ行け、という。

ややこしい”六又路”で道を違えて再び六又路へ引き返し、100mほど進むと山裾に近い道路脇にこじんまりしたお堂が目に入った。 あった、ここじゃわい!。


この地蔵堂は、上賀茂神社に伝わる宝徳3年(1451)の検地帳に記されており、この頃には存在したことが知られる。

しかし、深泥池の名が文献に見えるのはもっと遡る。天長6年(829)に天皇が泥寧池(深泥池)で水鳥を猟した記事があり、『今昔物語集』巻19には、この池で貧しい男が妻に鳥を食わせるために美々度呂池で鳥を射た記事もある(『京都市の地名』平凡社)。池名の表記はさまざまだが、どうも古くから水鳥が集まる場所として有名だったようだ。

牛若丸が鞍馬から往来したのも、この池畔を通っていた鞍馬街道にちがいない。


地蔵堂の格子戸の上に和歌の額が掲げられとるが、達筆過ぎて読めん(汗)。さいわいにも、扉に詠み下し文と詳しい解説が掲げてあった。


 「たちいでて またたちかへる みぞろ池 とみをゆたかに まもるみ仏」(明治28年 京都西光組)


味わいのある和歌だ。街道の出入り口に立ち旅の安全を願う仏への心情が込められとる。


由緒書きによると、ここに祀られていた深泥池地蔵尊は明治初年(1969)の廃仏毀釈により上賀茂神社領から追放され、鞍馬口にある上善寺へ移されたとのこと(10月23日のブログ記事参照)。なんともはや、いたましいことだ。まさに法難。

深泥池地蔵尊が移された後、村は2度の火災に遭い、明治28年(1895)に京都市内の西光組の厚意で2代目の現地蔵尊が祀られるようになった、という。


この地蔵堂は、現池岸から100mほど西に寄った山際にあるが、鞍馬街道(丹波街道)口に建てられたことから推測すると、元は池岸の近くに位置していたらしい。今ある集落は池を埋め立ててつくられたのだろう。因みに、鞍馬街道は地蔵堂前から愛宕(貴船)神社を経て北方の鞍部を超え、円通寺の脇に出る。



地蔵堂から池岸に引き返し、池の周り(1.8km)を周回することに。

学生時代にこの近くに住んでいたことがあるが、その頃に比べて環境整備と保全が進んでいる。南側の低い土堤には国指定天然記念物「水生植物群落」の石碑と説明板が立つ。

学術調査が実施され、この池の地史と動植物生態が明らかにされている。ミツガシワは氷河期からの遺存種として有名だ。またトンボ類は約60種も棲息し、日本でも稀な湿原と言える。


池を取りまく山には自然に近い森が残されている。岸辺の踏み分け道をたどると、カシ、シイ、クヌギ、ブナ、カエデ、マツなど多くの樹種が観察されるが、倒木が横たわり朽ちるにまかされている。周辺の山林と一体化した自然環境保全が望まれる。

奥まった平場でシカの真新しい足跡やイノシシが体をこすりつけたヌタ場を見つけた。また地蔵堂のある集落ではサルの出没に警戒を促す看板もある。野生動物がこれほど都会近くに出没するところも珍しい。


豊かな森に囲まれた奥まった池畔に腰をおろして耳を澄ますと、鳥の鳴き声とカエルが水面に飛び込む水音だけが静寂を破る。ここには京都の街中と違った別世界がある。



▼深泥池地蔵堂。平安時代末、京都の出入り口6か所にそれぞれ1体の地蔵尊を祀ったのが起こりとされる。本地蔵は鞍馬街道口に建てられたもの。

DSC_9018_convert_20111102192541.jpg (クリックすっと、画像が拡大)



▼御詠歌額。こりゃ達筆だわい。

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▼2代目地蔵尊。安産に効験があるという。堂内外は手入れが行き届いている。

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▼地蔵堂脇の石仏。阿弥陀仏か。長年の風化によって目鼻立ちは定かでない。鎌倉期の作か。

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▼深泥池。浮草に覆われた水面の先に浮島が広がる。

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▼池畔のミツガシワ群落(土堤付近)。

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▼氷河期から遺存したミツガシワ。2万年以上この池に生きながらえてきたものだ。

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▼水辺に咲くタデ(蓼)の花。葉が紅葉しかけとる。穂状に咲く白く小さな花が可憐だ。

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▼池畔の柿の紅葉。

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▼イボタノキ(モクセイ科)の花。

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▼水面に漂う柿の落葉。

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▼白い実をつけた植物の紅葉(種不明)。

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▼同上。みごとな紅葉。

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▼紅葉しかかった葉。なんとも目に優しい色合いだ。

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▼緑の樹々の中に1本だけ紅葉が。

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▼森の中の倒木と苔。苔の緑がきれいだ。

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▼ハゼ(櫨)の紅葉と実。

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▼ウルシ科の紅葉。

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▼樹高30mに達するブナ、クヌギの巨木の森。地表には枯れ枝、倒木が散乱し朽ちるにまかせられる。

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▼フランクフルト大のガマの穂。

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▼浮島で風にそよぐヨシ。高さ3mを超える。

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30年ぶりに訪れ、今年の紅葉の奔りを見た散策だった。

ヤレヤレ、これで鞍馬口地蔵さんに報告ができそうだわい。深泥池界隈は昔とあまり変わっとらん。

安心しなはれや、お堂はちゃんと守られとるよって。ナムアミダブツ。

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