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とある展示

調査で滞在していた韓国漢陽大学校の自然史博物館で、さりげなく発掘調査の速報展が催されていた。

広大なホールに間仕切りをしての展示。

1週間の間、だれひとりとして見学する学生を見なかったが、日本人にとって忘却できない展示だったのでここで紹介することに。


最近、ソウル市内でこの大学が発掘調査した近代遺跡からの出土品と写真パネル展示だ。

ここには日本植民地時代のあからさまな証がある.

日本統治の35年間を否定する風潮の中で、この展示は勇気ある行為だ。

考古学が対象とするには、あまりにも生々しい時代の記録だ。韓国人にとって屈辱の歴史の一コマを出土品は暗黙のうちに物語る。

それでも、調査者の展示意図が透けて見えるようでならない。

歴史は過去の事実を正視することから真実が見えてくる。


韓国でも近代を対象とする発掘がおこなわれるようになったのは大きな前進かも。




▼大ホールの展示風景。

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▼発掘場所の写真。

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▼日韓併合がおこなわれた1910年に撮影した写真。日本風の建物が並ぶ通りを日本軍人が騎馬で行進。

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▼ソウル一の繁華街だった本町一丁目の賑わい。

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▼焼き物を並べた市。東大門か南大門の近くか?。

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▼ソウル東大門外の風景。藁ぶきの屋根と瓦葺きの屋根が混在する。

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▼韓国人の家屋内で3世代の男子。家具らしいものは一つとして見当たらず、往時の質素な生活が知れる。

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▼前列に急須、硯、水滴、筆て、右後ろにインク瓶。インク瓶は日本人が持ち込んだものだろう。

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▼薬瓶と注射器。薬局か診療所があったのだろう。

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▼陶製のウイスキー瓶(左)とRock whisky銘のガラス瓶。

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▼酒瓶。韓国では碗を使用してマッコリを飲むので、これらの持ち主は日本人だ。飲み屋でも存在したのか。

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▼焼物の蓋。有田焼ほか。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

草庵にも春到来

3月30日。安山の街は濃霧に包まれる。韓国での1週間の調査を終え帰国。

安山から仁川空港まで高速道経由で約1時間。

朝8時前だというのに、仁川空港のアシアナ・カウンター前は長蛇の列。こんなに混雑するのを見るのは初めてだ。

ほとんどが日本人観光客。春休みも終わりに近づき、駆け込みの観光旅行客たちなのだろう。


京都駅から、タクシーで川端通りを過ぎると、五条付近の鴨川堤の枝垂れ桜が早くも開花し始めている。

例年ならソメイヨシノが満開になっている頃なのに、今年は寒さが続いたせいか、開花が遅れている。



草庵に帰りつくと、路地に小さな花が咲いているのを見っけ!!。

20℃の陽気に開花したのだ。バッグからカメラをとり出し、シャッターを切る。

旅の疲れを癒し、ウキウキ♪♪した気分に。

あすは雨の予報だ。


▼ヒヤシンスの花。濃いピンクの花弁が美しい。

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▼地面に這いつくばるように咲いたタンポポの花。

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▼ユキヤナギも開花し始めた。

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テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 日記

韓国の中華料理

3月29日。いよいよ安山での作業も今日限り。

昨日に続き猛烈な黄沙が。気温は急上昇し、吹く風も冷たさを感じない。

そろそろ漢陽大のネタも尽きてきたので、昼食に食べた珍しい食べ物を紹介することに。

十数年前、釜山で食べたジャージャー麺(焼きそばのようなもの)が食べたくなり、韓国側のスタッフに訊ねると、大学街にある1軒の店を紹介し、車で案内してくれた。

太く腰のある麺にイカの墨をかき混ぜて食べる麺食だ。イカの墨は、タコ墨と異なり身体によいとされる。

店内は中国風の飾りつけがしてあり、中華料理屋だ。

付け足しにタクアン、生ニンニクが出てきた。最初に注文した豚肉の唐揚げを一口つまむと、甘い蜜タレをかけた中華風。

このあたりから、なんだか怪しくなってきた。

やや不安に駆られていると、ジャージャー麺の丼が5つ。

真っ黒なイカ墨に覆われ、麺が見えん。白ゴマがまぶしてある。

よ~くかき混ぜてすすると、腰の強い麺に独特な風味のイカ墨が調和し、懐かしい味が。コリャ、いける。



随伴の若衆二人は大飯食らいで、物足りなさそう。追加注文にチャンポンを2つ。

店のオモニは一つ返事でOK(ここらへんに不安な予感が…)。

出てきたのは、なんと真っ赤な汁に浸った麺の丼が!!!。チャンポンがここまで韓国ナイズされるとは…(絶句)。

火を噴きそうな激辛に耐え、二人とも多量の汗を吹き出しながら悪戦苦闘。

傍で見ていて、気の毒なくらい(アハ)。

読者の皆様、異国での変わったメニューの注文にはくれぐれも注意されたし!。でないと、ひどい目に遭いますぞ!。



▼安山市の学生街。新しい街で都市区画が整然としている。手前の一角は学生が利用する飲食店街。

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▼濛々たる黄沙。300ミリズーム撮影。

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▼正門を出てすぐのところにある学生街の中華料理店「真飯店」。

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▼店内の飾りつけ。唐子の絵が。

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▼「倒福」。倒は到に通じ、福の字をわざと逆さにし「福よ来い」という願いをかけたもの。

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▼なんで日本のエビスさんの掛け軸が???。

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▼昼食の献立。

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▼蜜タレをかけた豚肉の唐揚げ。この店に案内した漢陽大スタッフのお奨め。

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▼これがジャージャー麺で~す♪。白ゴマがポイント。

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▼実物はもっと黒い。イカ墨と麺をグルグルとよくかき混ぜて…。口の中が真っ黒に(ワハッ)。

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▼若衆がチャンポンを注文したはずなのに、出てきたのは????。見るからに辛そう。

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本回で、韓国滞在スペシャル・バージョンは幕を閉じることに。

来たときは冬、帰るときは春。この時期の韓国旅行は服装にことのほか気を使わせる。

皆様からのあったか~いコメント、ありがとうざ~ました。カムサハムニダ。

庵主

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ジャンル : 日記

漢陽大学校キャンパスウォッチング(2)

3月28日。調査も残すところ2日間。

早朝、窓の外に目をやると、どんよりして町全体がスモッグに包まれたような状態に。

これまで見えた北漢山が見えん。

黄砂だ。日本で見る黄砂よりもひどい。しかし気温は確実に上がってきた。


作業終了後、キャンパスの中心部にある”Student Union”(日本の生協に相当)を覗く。

食堂、コンビニ、喫茶、文房具店、メガネ店、PCショップ、書籍、銀行などが1つの建物に収まっている。

店内の商品は、日本よりかなり安い。DVD10枚入りが600円ほどだ。

意外だったのは、日本製のマスカラが店頭に。女子大生に人気商品らしい。

30分ほどウインドウ・ショッピングしてホテルに戻る。

夕食は大学街にあるオンドルのあるレストランに入り、先ずはマッコリ「長寿」で乾杯し、ほろ酔い気分に。



▼黄砂に煙る漢陽大自然史博物館。連日、ここの2階の部屋に通いつめながら資料調査。

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▼遠くの山もぼんやり。漢陽大キャンパス。

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▼咲きかけたロウバイの蕾。

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▼モズが枝に止まって甲高い声を発ずる。

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▼昼食のサンゲタン。大学の近くのレストランにて。値段は日本円にして700円強。

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▼学内のファーストフード店。学生に人気スポット。

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▼店前は子供の遊び場に。

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▼喫茶店。

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▼文房具店の入り口に日本製マスカラが。1個2500円ほどだ。

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▼スタイリッシュな女子大生。そういえば、ブーツの子はとんと見ない。

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▼キャンパスの夕陽。黄砂に光が乱反射し、淡いオレンジ色の空が。

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漢陽大キャンパスウォーキング

3月23日。昨日あたりから急に寒気が緩んできた。

漢陽大学校の安山キャンパスは、ERIKAの愛称で呼ばれる。

1989年に移転し、実に広大なキャンパスを有する。移転当時は周囲に水田が広がる田園地帯だったらしい。

日本でも1980年代、バブル全盛期とも相まって狭いキャンパスの都心部・市街地から郊外へ移転する大学が相次いだが、韓国でも似たような現象が起こった。

安山キャンパスも30年余を経て、植樹も成長し落ち着いたたたずまいを見せてきた。



今回の滞在中、初めて構内を散策する。1時間も観察していると、大学生の気質も見えてくる。

茶髪にミニスカ姿の女子学生が闊歩しているのは日本と変わらない。これは世界的流行なのか。

広大な敷地にゆったりと建物を配置し、空が広く感じられるのがよい。

また大学の正門を出ると飲食街、娯楽施設がひしめき、まるで歓楽街(?)にでも迷い込んだような錯覚に。

これがないと学生は来ない。ときにはストレスを発散させることも大事だ。

「学生は勉強だけしておればよい」というのは狭隘な考えだ。とりわけ日本人にこの考えの持ち主が多い。

難点は地下鉄安山駅から遠く、徒歩だと40分はかかる。そのため、大学がスクールバスを運行している。



韓国では大学生の就職難が深刻だ。日本の比ではない。学生の8割近くは卒業しても職に就けない。

日本では想像できない数字だ。暴動が起こっても不思議でない。

学生運動の激しさで世界に知られた1560年代の学生のエネルギーは、いまや影も形もない。

経済は好調なはずなのに大企業が国外に生産拠点を移し、国内でのリストラ・合理化を進めているためだ。

韓国は日本以上に学歴社会で、親は子供の教育費に投資してもその見返りが期待できない事態となっている。

今や社会問題化しているが、政府は有効な手を打てない。

李明博政権支持率は最低となっている。こうした異常事態は、次の総選挙・大統領選の行方に影響しないはずがない。



▼キャンパスマップ。

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▼バス停前の学生ラウンジとコンビニ(ファミリーマート)、喫茶店。

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▼スクールバスから降りる学生たち。

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▼女子学生ルック。

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▼おしゃれな街灯。

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▼唐草紋をあしらった街灯。

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▼スクールバスの駐車場。

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▼学生ラウンジの裏手にある自転車ショップ。修理もしてくれる。

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▼茶髪超ロングヘアーの女子学生がカメラを構える脇を通り過ぎた。ヒップがセクシー。

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▼漢陽大ロゴ入りジャンパー。日本では体育会系の学生と間違えられ、人気がない。愛校心が違うんか?。

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▼構内の教室棟。建物の形・外観を変えてアクセントをつける。

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▼延々と続く桜並木。開花は5月に入ってからか。開花したら壮観だろう。

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▼芝生で餌を探すカチガラス。3mまで近づいても逃げない。

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▼カチガラスの巣。

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▼葦に止まり、まさに飛びあがる寸前のカチガラス。広げた白い羽が美しい。

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▼カチガラスの飛翔をショット。黒と白のツートンカラーが美しい。日本のカラスのイメージとはまるで違う。

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▼池に浮かぶカモ。水面が陽光にきらめく。春の訪れを感じさせる。

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50万年前の石器

3月25日。晴天なるも風強し。

強風に吹き飛ばされてか、ほとんど黄砂を見ず。この時期の韓国にしては珍しい。

今日は日曜というのに、午前中から漢陽大学校へ通い、せっせせっせと観察と記録取り。

1日1日の作業の積み重ねが、心地よい知的興奮とともに未知の扉を少しずつこじ開けていく。

この知的好奇心という魔法にかかったら、もう磁力で逃れるすべはない(トホホ)。

病気に譬えれば、もう重症だ(笑)。もはや治す薬はない。


手にする石器は、180万年前にアフリカの地を旅立ったホモ・エレクトウス(原人)の末裔がこの地で製作したものだ。

50万年という悠久の歳月を超え、ホモ・エレクトウスが作り出した石器を手にした感動は言葉に表現できない。

それを手にすることさえ奇跡に近い。石器の虜が5名、四六時中、石器を目の前にして談議に花を咲かせる。

まさに至福の時なのだ(アハ)。



▼50万年前の重厚な石器。石英岩製。打ち割った形跡が鮮明にわかる。手にすると、ずっしり重い。

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▼50万年前の石器(別のアングル)。このざっくりした割り方。

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▼地面に降りて餌を探すカケカラスの番い。春を呼ぶ縁起のよい渡り鳥。カラスを一回り小さくしたサイズ。羽を広げると白と黒のツートンカラーを見せる。

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▼漢陽大正門前の箱物。何をかたどったものか?。

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ジャンル : 日記

韓国漢陽大学校

3月23日、資料調査のため韓国漢陽大学校安山キャンパスへ。

仁川空港に着くと気温5℃、雨の歓迎(ウヒャー)。京都とは10℃の気温差。ブルブル。


翌24日は打って変って晴天となる。しかし気温は上がらず、黄海に面しているせいかやたら西風が強い。

風が強い分、体温を奪われる。体感気温は0℃くらいか、

午後にはさらに風速が強まり、吹き飛ばされそうな突風も。台風並みだ。

漢陽大学校の安山キャンパスは広大だ。これまで2~3度訪ねたことがある。

韓国版大河ドラマ『大長吟』の主演女優イ・ヨンエはこのキャンパスに通った。


正門を入って直ぐ左手に11階建てのゲストハウスがあり、ここに寝泊まりして漢陽大学校文化財研究所に通うことに。

韓国の大学はどこもホテル並みのゲストハウスを備え、大学訪問者に割安の値段で宿泊を提供する。もちろん、一般客も利用できる。


1週間、同僚2名、院生2名とともにこの大学が2006年に発掘調査した約50万年前から7万年前の旧石器遺跡の資料の調査に従事することに。

この万水里遺跡(忠清北道)の調査には、庵主の肝煎りで日本の自然科学者たちが協力し、遺跡の年代研究に大きな成果を収めた。

調査担当者のBae教授は、庵主の18年来の知己だ。

もちろん、現在知られている韓国いや朝鮮半島最古の遺跡で、いまや世界中の研究者が注目する。

この一等資料を共同研究できるのは研究者冥利に尽きる。一行の士気は否が応でも高まる。

外国人研究者としてはフランス隊に次いで、観察の機会が与えられた。

なにせ3度の飯よりも石器が好きな同僚たちだ。石器を目の当たりにすると、目の輝きが変わり、談議に花が咲く。

素人目にはただの石ころ。豊富な経験を積んだ者だけが、石ころから人類の遥かな遠い過去を透かして見とおせるのだ。

そこには未知の世界を覗く興奮と知的刺激が秘められとる。

いったんこれにとらわれると、もう病気みたいなもんだ(笑)。治す薬はない(アハ)。「死に至る」病かも。

世にいう「研究者」というのは、押しなべてこの類。

かくいう庵主も、かれこれ40年来、この病気に取りつかれてもうて…(トホホ)。

昂じて東アジア各地を漂泊する羽目に…(ウ、ウ、ウ)。



▼6時半過ぎ、白樺林の丘の向こうから夜が白む。

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▼漢陽大学校の壮大なゲストハウス「Erika」。前回訪れたときは建設中だった。

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▼ベランダからソウル方向を眺望。ソウル市街の北方にそびえる北漢山が見える。

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▼早朝のキャンパス。抜けるような青空が。土曜日のため閑散としてる。

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▼巨大な池を擁するキャンパス。芝や植樹もよく手入れされている。

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▼キャンパスを闊歩する女子学生。

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▼強風にはためく国旗と校旗。

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▼机上に出土層ごとに並べられた50~7万年前の石器。圧巻だ。

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▼打ち合わせの後、手分けして作業に着手。

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ジャンル : 日記

ある送別会

3月22日。中国の西北大学(西安)から1年間招聘した冉万里客員教授、大学の発掘調査に1年間従事し四国のとある町に着任するK君に対する内輪の送別会を「円亭」で挙行。

冉万里教授が来日したのは、「東日本大震災」の直後であった。

折しも福島第一原発の大惨事で中国人留学生の多くが日本から次々と逃げるように帰国し、京都の街から中国人観光客も姿を消した時期だ。

友人や家族から日本へ行くのを引き止められる中で来日した。実に勇気のいることだ。

日本のマスコミが連日のように深刻なニュースを世界に発信し続ける中、ひとり冉教授は京都で目にする市民の平静な日常生活風景を撮影し、中国にいる知人たちにメールで送り続けた。

それらの写真は、原子炉事故の影響が日本全国に及ぶものでないことを実感させ、安心させるのに寄与した。

日本のマスコミの報道姿勢に危惧を抱いていた庵主にとって、冉教授の沈着冷静な行動は溜飲を下げさせるものであった。

まさに賞賛に値する行為だ。

氏の帰国に際して、日ごろ懇ろにしている13人もの朋友・院生が「円亭」に駆けつけ、離日を心から惜しんだ。



▼紹興酒と日本各地の名酒が並ぶ(李長波先生と庵主からの差し入れ)。

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▼卓上の日中両国旗。大将の演出だ。どこから持ち出してきたのか??。

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▼大将のチェロによる中日両国歌の生演奏で開宴。演出効果満点だ。

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▼大将の手作りの鯛の活け作り。舌がとろけそう。

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▼女将の渾身からの力作、冠雪の富士山をあしらったバラ寿司。こんなの通い始めて初めて見た!。

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▼カワユーイ教え子からの花束の献呈。

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▼ささやかな花束と寄せ書きを手に満面笑みの冉教授。

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草の根の日中友好の範を垂れていただいた冉教授、1年間本当にお疲れさまでした。

帰国後も、目にした日本の実情を伝えてほしい。

ありがとう。多多謝謝。辛苦労。


感動の庵主

テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

卒業式の一日

3月20日。 今日は教え子たちの卒業式。

学生生活の節目の日で、この日ばかりはキャンパスにいっせいに花が咲いたような独特の雰囲気に包まれる。

懸念された天候も回復し、晴天の卒業式日和だ。

今年は寒い日が続いたせいで、早咲きの冷泉家のソメイヨシノはまだ固い蕾だ。

午後から女子大の栄光館を借りて厳粛な卒業式典が始まり、その後、学科ごとに分かれて学位記が授与される。



日が沈んだ頃、帰国まじかの中国人客員教授ともども弟子たちと軽い夕食を摂り、祇園へ繰り出す。

祇園のお茶屋さんで謝恩会出席の子を待ちながら1時間ほどグラスを傾ける。学生たちもここまでは緊張感を必死に維持。猫をかぶっとる(アハハ)。

9時をまわって3次会のライブハウスへ突入すると、「猫かぶり」をかなぐり捨て、正体を暴露(笑)。


バンドの生演奏とヴォーカルという雰囲気に呑まれ、一気にタガが外れ大フィーバー。あとはとどまるところを知らず(汗)。

やはり、いまどきの若者だ。

やがてステージに呼ばれ、バンドといっしょに記念撮影。なかなかサービス精神旺盛な店だ。



▼校旗を掲げた正門。

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▼正門前付近の混雑。記念スナップをとる袴姿の女子大生の姿も。

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▼式典も終わり集合記念写真。華麗なないでたちの女子大生たち。思わずVサインを出している子も。

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▼客員教授(左から2人目)、教え子たちとの記念スナップ。Vサインに思わず笑みがこぼれる。紅一点の振り袖姿がまたカワユーイ。

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▼縄手通りのライブハウス(3次会)。店内にはサクラの飾り付けが。

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▼ヴォーカリストとライブハウス・ステージ。

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▼チャーミングなヴォーカリスト。

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▼たまらず教え子たちがアップテンポの曲に乗って踊り出した。

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▼もう、ノリノリ。皆、いい顔しとる。故あって昼間の式に出れなかった顔も(フフ)。

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▼ステージに呼ばれ、バンドとともに記念撮影。バンドの皆さん、ご協力ありがとう。

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バンド演奏の最終ステージを見届けてお開きに。ウワッ、0時をまわっとる。

店の外へ出ても、皆、興奮冷めやらぬ顔。帰国をまじかに控えた中国人客員教授も、いたく満足気だ。

近年、弟子たちとこのパターンが定着してもた(汗、汗)。

京都での学生生活を了えて遠方に就職する子、また大学院へ進学する子、etc(???)とさまざまだ。

いずれにしても厳しい日々が待ち受けとる。

人生の節目節目には、セレモニーが必要なんだ。

ガンバレ弟子たちよ。明日の日本は君たちの双肩にかかっとる!(気負わんでもいいけど)。


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大社湾の夕陽

3月15日、またまた寒気が襲来。ブルブル。

大社湾に大波が次々と打ち寄せ、波消しブロックにぶつかり白い波の華を咲かす。

島根半島の西端にある日御碕はどんよりと霞んで見えん。

今日は雲南市掛合(かけや)の露頭まで遠征。

ここは中国山地の入り口ともいえる山間部の町で、3日前に降った雪がところどころ斑雪に。

この山里のはずれにある高台で調査をおこなうことに。先ずは地権者に挨拶してから現地へ向かう。



土取り場の新鮮な露頭は地層の観察に絶好の場所だ。表面をクリーニングする手間が省ける。

作業を始めると、どこからか鶯の「ホー、ホケキョ」という鳴き声が聞こえてくる、実にのどかな山奥だ。

ここは三瓶火山の噴火で降り積もった11万年前以降の火山灰が連続して観察される標式地だ。遠く鹿児島湾奥の姶良火山の巨大噴火で飛んできた火山灰(AT;約2万8000年前)も肉眼で観察される。



午後3時に掛合での調査を終え、宍道湖の岸辺にある鳥ヶ崎へ移動。

湖面にはカモが30羽ほど浮いている。

ここからは松江市内が遠望できる。


多伎への帰途、落日を追いかけるように大社湾に面した海岸道路を目指す。

神西湖を過ぎた漁村で道に迷い、水平線に沈む夕陽を撮影できるか微妙な時刻に。

斥候を出して漁村の迷路を抜け出し、なんとか海岸道路に出る。間に合った。

防風林が途切れた海岸に停車。ここからの夕陽の眺めはなかなかの佳景だ。

出雲入りして4日目にして、やっと待望の夕陽にお目にかかった。沖縄でも果たせなかった夢。

夕陽をイメージ通りに撮影するのは至難だ。露出、ホワイトバランスを微調整しながら30枚ほどシャッターを切る。

水平線に刻々沈んでいく太陽の動きは早い(汗)。雲に反射する夕陽の色彩は刻々と変化する。

水平線上に暗雲がかかっていて、水平線に沈む夕陽の決定的なショットは次の機会までお預け(涙)。

出雲の神様は、なかなか望みをかなえてくれん。

夕陽が沈んだ後のトワイライトの茜空がまた素晴らしい。



▼波消しブロックにあたって砕け散る波しぶき。

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▼大社湾に次々と押し寄せる大波。

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▼掛合の里。残雪が白い斑に残る。

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▼「道の駅掛合の里」で見かけた青々とした楠玉(くすだま)。プラスチックの造りものかな?

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▼残雪が残る山間部。土取りで生じた崖面に10万年前以降の地層が露出。

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▼露頭に張り付いて火山灰の調査。頭部付近の黄色の地層は11万年前に三瓶火山から噴出した火山灰。

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▼梢にツグミが一羽。胸の黒い斑点が特徴。

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▼宍道湖。対岸は島根半島。山の裏側に島根原発がある。

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▼黄砂に霞む松江市街地。300ミリズーム撮影。

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▼大社湾の夕陽。

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▼オレンジ色に染まる夕陽。太陽の周りにもう一つの輪が。

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▼巨大な火球の前にダックスフンドのような雲が。

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▼水平線上の雲間に沈む太陽。

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▼トワイライト。茜色の空が何とも言えん。

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▼翌朝、嵐が去った波打ち際で鎌を手に海草を刈るひと。

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早春の出雲

3月14日。午前中、陽気な天気が、午後から風が出てきて白波が立つ。

調査2日目。目覚めてベランダに出ると、沖合に白い釣り船が群集するのが目に入る。

海の色も春の気配。

海岸ではトンビが滑空しながら、餌を探している。

絵になる風景だ。


今回は、調査の合間に見かけた自然を折々にスナップ。

畑に咲く白く小さな花をつけたハコベが可憐だ。出雲の地に春の訪れを告げる。

サクラが固い蕾をつけ始めた。春はそこまで来ている。



▼遥か沖合の釣り船。300ミリズーム撮影。

DSC_3270_convert_20120314201521.jpg (クリックすっと、画像が拡大)




▼海岸上空で旋回しながら獲物を探すトンビ。目は獲物を物色。

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▼ウミネコが目の前を。

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▼春の陽射しの中、道路工事中の脇で地質調査。現場監督は調査に好意的だ。

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▼道路脇に咲く清楚な白椿。これは冬の名残り。

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▼春を呼ぶハコベ。畑で見つけ。

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▼調査地のすぐ横を走る山陰線のローカル電車。

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▼わが弟子の若き獅子たち。「多伎いちじく館」前にて。

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▼「竹コプター」(アハ)。遊び心で撮影。

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▼山奥に実を結ぶミカン(種不明)。幹に大きな棘をつける。

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テーマ : 今日の出来事
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出雲のお雛さん

3月12日、調査のため出雲市に入る。1年ぶりだ。

京都も朝方雪化粧していたが、出雲に入ると猛吹雪に襲われる。

去年もそうだったが、ここに来ると出雲の神様がエライ歓迎ぶりを(トホホ)。



常宿の「マリン・タラソ出雲」にチェックイン後、夕食を摂るため1年ぶりに多伎町の「はたご小田温泉」へ♪。

玄関を入ると、脇にお雛さんがさりげなく飾ってある。去年と同じだ。

カメラを向けると、若女将が「ブログに乗せるんですか?」と。ギクッ。 ここにも隠れた読者が。


ここに来るのは、どうも筒抜けになっていたらしい。特に知らせてなかったのに…。

ここの大女将は、大の古代史ファンだ。

開口一番、最近出されたCD「スサノオー愛の精神ー」(HANZO)の歌詞をつくった、という。

このCD、ジャケットに「古事記1300年応援ソング」とある。男・女用カラオケ版も収録。



最近、5歳の孫娘が「スサノオは聖徳太子だった」と啓示したそうな!!??。

ム、ムッ、初耳だ!!。その刹那、雷に打たれたような衝撃が全身を駆け巡る。

これは託宣では???

スサノオの正体は、もともとインドのバラモンの優しい神様だったという。

大女将の話に同行の学生たちは、まるで狐につまされたような顔を。

これも出雲の神様の思し召しか…。



翌13日は打って変った好天。冷たい海風はおさまり、小春日和に♪♪。

これまた出雲の神様のご加護か。ありがたや。

砂原の海岸を見やると、大社湾の高波でサーフィンを楽しんどる若者も。

調査しとると、突然上空にヘリが飛来し、旋回し近くに着陸。すわ報道の取材機か!!??

撮影した画像を拡大してみると、何のことはない医者が同乗するドクター・ヘリだ。

ということは、分を争う急病に襲われても助かる確率が高いということだ!。

これで安心して調査に臨めるわい(アハ)。ひょっとして、出雲の地こそ常世の国では!?。



▼大社湾の荒波。まるで常世の国から押し寄せる波のよう。スクナヒコナノカミが「天の羅摩船(かかみぶね)」(ガガイモの船)に乗って波の穂から現れた情景を髣髴とさせる。中央に覆い屋をかけた出雲大社が望める。

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▼国道9号の道の駅「きらら多伎」。

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▼「はたご小田温泉」の玄関を入ると甕にヌードの絵が。ドキッ。ここの大将(著名な芸術家)が絵付し焼いたものだ。

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▼玄関脇に飾られたお雛様。ウーン、格調が高いわい。菱餅もちゃんと…(円亭を思い出し、冷や汗がタラリ)。

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▼おかっぱ髪にポッチャリ顔の内裏雛。黒髪がよく似合う。

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▼五人囃子に三人官女。音色♪が聞こえてきそう。

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▼かわゆーいウサギ雛。因幡の白兎を助けた優しい心の持ち主オオクニヌシ(大国主)命の土地柄だ。これは女性に受けそうだ。

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▼「はたご小田温泉」の名物「ウナ重」を注文。舌がとろけそう。やっぱり天然もののウナギは最高。珍重珍重。

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▼新発売の「スサノオ」CD。歌詞はここの大女将がつくったもの。もらっちゃった♪♪。1枚1000円。皆さん買ってあげて!

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▼荒波に挑戦するサーファー。

サーフィン



▼波頭に乗った決定的瞬間!。

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▼低空で飛来したドクター・ヘリ。

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朝早くから目が覚めて、せっせせっせとブログづくり(汗)。

沖合に漁り舟がひしめき、今日もいい天気だ。

出雲の神様のご加護を念じつつ調査に飛び出す。

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梅満開

3月11日(日)。 またまた寒気襲来。

午後2時過ぎ、百万遍交差点に近づくと、人だかりが。交通規制もしとる。

忘れとったが、今日は「第2回京都マラソン」の開催日だった。


思い思いのランニング姿で大勢の人が走っている。中には疲れて歩いている人も。

尋常な数ではない。安くない参加費をおさめて、よくもこれだけ参加したものだ。


大会本部の発表によれば、全国から抽選で1万3900名余が参加し、完走率95パーセントを超えたという。

大会本部に入る収益金は優に一億を超える。味をしめて、もう止められんだろうて(笑)。


大学の塀際を通ると、「日本電池発祥地」碑の上に辺りを払うようにピンクの花をつけた小ぶりの梅の木が目に入る。

ここ2~3日で、一気に開花。すかさず、カバンからコンパクトデジカメを取り出す。

春は直ぐそこまで来てるんだ。実感しきり。



▼百万遍交差点。右端は京都大学。

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▼切れ目なくランナーが坂を下りてくる。

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▼ピンクの梅花が満開。

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▼梅花のアップ。

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東北大震災から早1年

今日は3月11日。東日本を突然襲った巨大地震と大津波、それに福島第1原発事故発生から1年。

地震と津波により1万9000人という死者・行方不明者を出した。原発の放射能漏れがそれに輪をかけた。

1年前のこの日、韓国にいた。

15時過ぎ、清州という町からソウルへ移動する高速バスに乗って間もなく、大阪に住んでいる教え子から携帯のメールへ地震と津波の第一報が入った。「大阪でも揺れ、津波に襲われた街はまるで戦場のよう」と記す。

バスに据え付けられたテレビが、家々を次々と呑みこみながら押し寄せる津波を映しだした。

韓国のテレビ局も特番に切り替え、日本からの映像を生中継。

隣の席に座っていた韓国人の紳士が携帯の津波画面を見せてくれた。

ソウルのホテルに着くと、日本人団体ツアー客がフロント前で青ざめた顔で日本の被害と帰国便の運航を按じていた。

翌12日の関空へのフライトは平常通りのようだが、東京都内の交通機関は運航を中止しているらしい。

東京から来ていた仲間は情報不足に神経をとがらせる。

翌早朝、仁川国際空港へ行くしかない。日本へ帰る便はここしかないのだから。

結局、その日のうちに関空へ帰着することができた。


自宅へ帰りつきテレビの電源を入れると、悲惨な津波の被害を特番で流し続けていた。原発の電源喪失で危機感は高まり、政府はパ二ックを抑えるのに躍起。あとで分かったことだが、炉心のメルトダウンは12日に始まっていたのだ。

そして次々に起こる水素爆発。なす術もない電力会社。後手後手に回った政府の事故対応。爆発で吹き飛んだ原子炉の覆い屋が映し出された。まさにチェルノブイリ事故の再来だ。

自分たちのつくりだしたテクノロジーを過信し、自然の猛威を過小評価した報いが。

人類はいつからこうなったのか…。実にやりきれない。

ここに歴史を勉強する意義があるのかも。


地震・津波でなくなった方々のご冥福を心から祈らずにはおれない。合掌。


遐ょ次縺ョ逋ス繝ヲ繝ェ_convert_20120311091315 (クリックすると、画像が拡大)

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軍港呉

先月、広島に出かけた折、港町呉市に宿泊。

NHK大河ドラマ「平清盛」の人気にあやかって、瀬戸内の市町村は観光客を呼び込もうと躍起だ。

呉には清盛が開鑿したと伝えられる音戸瀬戸がある。

ここは昔、呉鎮守府が置かれた軍港だ。それまではうらぶれた漁村であった。

軍港にともない軍艦や大砲を製造する海軍工廠がつくられ、日本帝国海軍の発展とともに歩んだ町だ。また対岸の江田島には海軍兵学校が設置され海軍士官の教育をおこなった。

呉海軍工廠では多くの艦船を造り、世界最大の戦艦「大和」(6万4000トン)もここで誕生した。それを造ったドックが今も残る。



日本帝国海軍が消滅し、いまは海上自衛隊の基地に変貌。港湾は巨大な造船所と海上自衛隊の艦船が独占。

観光スポットとしては「大和ミュージアム」くらいで、他に見るべきものがない。

かつて海軍兵学校が置かれた江田島へは、ここからフェリーが運航されている。



晩は瀬戸内海で獲れた新鮮な魚を成敗に♪♪。

タクシーの運転手に聞いて案内された店は、モダンな料亭風の店。

お品書きに目をやると、あるある旬の魚が。

せっかく呉くんだりまで遠征して来たからには…。妙に肩に力が入る(アハ)。

お薦めの地酒に海鼠、海鼠腸、海栗、河豚刺し、牡蠣フライ、メバルetcと調子に乗って箸をせわしく動かした挙句、レシートに目を落とすと冷や汗がタラ~。

まあ、いいっか。サプリどもを連れて来とらんので。

独り旅って気楽でええもんじゃわい(笑)。



▼呉港。右奥が湾口。背後に山を背負い、深く波静かな湾が広がる。

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▼停泊中のヘリ空母「いせ」。海上自衛隊最大の艦船。それでも1万3000トンほど。

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▼退役して陸に揚がった「鉄のクジラ」。高価な鋼鉄の棺桶じゃわい。

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▼護衛艦。左端は戦艦「大和」を造ったドック。

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▼大和ミュージアム(海側)。入口は反対側にある。入館者数はまあまあか。

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▼戦後初めて開発した深海調査船「しんかい」。1969年に竣工し、600mまで潜水可能だった。当時フランスの「バチスカーフ号」が1万メートルまで潜った能力に比べたら、両者の技術力は月とスッポン。

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▼1F展示ホールの「大和」10分の1模型。大艦巨砲主義の産物。巨費を投じ完成したころには時代遅れの代物に。

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▼真珠湾攻撃にも加わった日本海軍の特殊潜航艇。尾部に爆雷で開いた穴が。

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▼零戦。

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▼建造中の船舶。

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▼ヘリ搭載の大型護衛艦。

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▼停泊中の潜水艦と護衛艦。潜水艦隊基地前。

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▼旭日旗が立てられた名物「海軍カレー」。メニューに士官用途と兵隊用があり、肉の量で差別。こっちは兵隊用。ん?、ん?、家でつくったのとさほど味は変わらん。

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▼港の夜景。海面に揺らぐ七色の光の帯。

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巨額の税金を投じて造った艦船。なければないで、不安心をかき立てる。

これらは国にかける保険みたいなもの。生産性はないが、雇用に少しは役立つ。

こんなもん、実際に使われないに越したことはない。

それが国民にとっては幸せというもんだ。

テーマ : オタクな日記(・∀・)
ジャンル : 日記

円亭のお雛はん

6日、久しぶりに円亭に立ち寄ると、床の間が賑々しい。生花に代わって見慣れぬ雛段が。

そう言えば、3日は「桃の節句」だ。沖縄に行ってて忘れとった(汗)。

女将に訊ねると、50年ぶりに櫃から取り出して飾ったんだそうな。半世紀ぶりに日の目を見たにしては保存状態がすこぶるよい。奇跡的だ。



幼少のころ三色菱餅を食べたのを思い出し、女将を口説き落として焼き餅に。

同僚が買ってきた沖縄土産の黒糖を焼き立ての菱餅に包み込んで口の中へ。これがまたウマい!。

居合わせたK瀬氏も初めて口にするそうな。

翌日、女将が三色の菱餅を再度調達に行ったら、売り切れとか!!(アチャ)。

お供えの菱餅がなくなって、恨まれること、恨まれること(トホホ)。

女将も相伴にあずかったのに…(ウウッ)。いまさら、あとの祭りじゃわい(汗)。



掲載の雛段の写真(8日撮影)には、菱餅が欠けている(アハ)。

その罪滅ぼしに近くの大黒屋へ走り丸餅を補充するも、お供えには菱餅でないとアカンそうな(涙)。

しゃーない、焼き餅にし黒糖を包み込んで中国人の先生二人に食べさせるとこれがまた大好評!!。

中国でこんな食べ方をしたことはない、という。

それもそのはず、お二方ともコメが獲れない北方(陝西省、黒竜江省)出身者だ。無理からん話。

中国には雛祭りの風習はなく、3月8日に「女性の日」が設けられ、半日だけ仕事が休みになるそうな。

まるまる1日休みにされないのは、男性が食事に飢えて反乱を起こすのを恐れてのことかも…(アハ)。

因みに、「男性の日」というのはないとのこと。これって女尊男卑では???

「雛祭り」は、れっきとした純日本文化だ。それも、いつまで残ることやら…。



▼50年ぶりに床の間に飾られた内裏雛。どれもキャワーイ顔立ちしとる。

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▼お供えの三色菱餅が…。

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▼陶製のミニチュア内裏雛。

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▼奥に駕籠と御所車。

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▼焼き餅に沖縄産黒糖。焦げがついて、これがなんとも言えん。

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▼秋の季節感たっぷりの茶菓。今の季節にそぐわんけど…。

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▼天目茶碗に抹茶。女将のお点前(てまえ)。

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今日は、この月末に中国に帰国する客員教授のお別れ会の前夜祭になってもた。

大将のチェロ演奏による「義勇軍行進曲(中国国歌)」のリハーサルも用意万端。

あとは22日の本番を待つのみじゃわい。

愛読者の皆さん、円亭のお雛様は4月3日まで見れますよ♪♪。女将が見せたがってますので…(ウヘェー)。

店の宣伝までさせられちまった(アハ)。

しばらくは菱餅のこと言われそう。まっこと、食い物の恨みは恐ろしかと。

次は、端午の節句を愉しみにしとこ(笑)。

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那覇「識名園」

3月4日、晴天なれど湿度が高い。

4日間の沖縄滞在を終え、午後の便で伊丹空港に帰着。

午前中、世界遺産「玉御陵(タマウドゥン)」という王墓を見学の段取りにしていたのが、近くの首里高校で不発弾が見つかり、その処理のため一帯は立ち入り禁止となる。


代わりに世界遺産「識名園(シチナヌウドゥン)」を見学することに。

ここは琉球王家の別邸として18世紀の終わりごろ(江戸後期)につくられ、1800年には清朝の冊封使(さっぽうし)も招かれたという。

沖縄戦で壊滅的な被害を受けたが、20年の歳月をかけ元の姿に復元され、1976年には国の史跡に指定。

指定面積約4万2000平方㍍を誇る回遊式庭園である。赤瓦葺きで四注造りの平屋建ての御殿が池に面している。


池の中央に浮島をつなぐ2つのアーチ式石橋があり、中国江南風の橋の面影をとどめる。

別の浮島には、御殿と向き合って「六角堂」と呼ばれる二層の屋根をもつ亭が立つ。

周囲を照葉樹の森に囲まれた静寂な別世界だ。


池の形は江戸時代の大名が競って造った回遊式庭園であるが、石橋には中国風の造作が認められ、中和折衷様式を見せる。



▼浮島に架かる2つの石橋。舟が通過できるよう中央が高く造られている。

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▼左に育徳泉(いくとくせん)、右は御殿への入口。切り石積みの精緻な造りとなっている。

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▼平面形が半円形の井泉。池の水源となっている。井戸の淵に泉を讃える冊封使の石碑が2つ立つ。

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▼大きな赤い実をつけたソテツの木。

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▼ゆったりとしたたたずまいの御殿。濃緑の森に赤い屋根が調和している。

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▼琉球石灰岩で欄干に太湖石風の飾りを施したアーチ式の石橋。

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▼切り石の欄干をもつ江南風のアーチ橋。

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▼鏡のような水面に影を落とす御殿と浮島の六角堂。

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▼舟揚場付近からの池の全貌。この風景、なんとなく江南の情景と重なって見える。

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この庭園、東シナ海の風濤を超え琉球の地を訪れた冊封使の郷愁を誘い、旅情を慰めたにちがいない。

常夏の国では、涼をとるのに池がなによりだ。



7回にわたって連載した沖縄の旅シリーズも、今回で幕を閉じることに。

僅か4日間だけの滞在であったが、3万年の歴史をもつ琉球、沖縄の歴史と文化に実地に触れることができたのは書物では代えがたい貴重な体験であった。

縄文時代の沖縄は九州の土器文化の影響を受けながらも貝器を発展させ、独特な文化を展開した。巨大なシャコガイでつくられた貝斧は南方との交流を端的に物語る。

弥生時代には装身具の材料として沖縄諸島産の貝(ゴホウラ、イモガイ、スイジガイ)が北部九州に運ばれ、遠く北海道にまでもたらされた。交易用の貝を集積した遺跡も見つかっている。本土と琉球列島を結ぶ海上の「貝の道」が存在したのである。こうした状況は古墳時代になっても変わらない。

つづく飛鳥・奈良・平安時代の沖縄の実態はあまりよくわかってない。平安時代の日本の南の辺境は喜界島て、沖縄は日本の王権が及ばない化外の地であったことは間違いない。

奥州平泉の中尊寺金色堂の柱梁に張られた螺鈿のヤコウガイは、沖縄周辺からもたらされたものかもしれない。


中世になるとグスクと呼ばれる防御施設が沖縄本島の各地で盛んにつくられるようになる。14世紀の中頃、三山と呼ばれる北山、中山、南山の小国家が鼎立し、明に入貢する。

1406年、南山の尚巴志(琉球王国の始祖)が中山を滅ぼし、1429に首里に拠点を置く統一国家を樹立。15・16世紀には東シナ海を股にかけた中継貿易で繁栄した。琉球がひときわ光彩を放った時期である。

琉球国は薩摩藩による征服(1609)を経て江戸幕府に臣従を余儀なくされる一方、朝鮮と同様、中国の冊封体制に組み込まれるという二重服属を強いられた。冊封使は琉球国王の即位のたびごとに派遣された。

明治政府により琉球王国は日本に組み込まれ(琉球処分)、清との冊封体制を解消し沖縄県が置かれた(1879)。

太平洋戦争では本土防衛の盾とされ「鉄の暴風」と呼ばれた米軍の上陸侵攻を受け(沖縄戦)多大な人的・物的損害をこうむり、戦後しばらくアメリカの施政権下に置かれた。施政権は1972年に日本に返還されたものの広大な米軍基地を残し、現在なお基地問題を抱える。

琉球の歴史を振り返ると、特に17世紀以降、この島がおかれた地理的位置が大きく関わって周囲の国々の盛衰に翻弄された歴史でもある。現在なお、島民の意思にかかわらず、国際関係の狭間で苦悩を余儀なくされている。

中国の軍事巨大化にともない、沖縄の戦略的価値は強まりこそすれ弱まることはない。

沖縄の文化に過去の国際関係の度合いが反映されているのは至極当然のことといえる。

那覇空港にド派手な塗装を施したジャンボ機が駐機していた。沖縄の歴史と自然を売りにした観光振興策を象徴するかのように…。


▼ポケモン・ジェット

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港川人遺跡と平和記念公園

3月3日、読谷村から那覇市へ引き返し、タクシーをチャーターして港川人遺跡、発掘中のサキタリ洞窟を見学することに。

先ずは3~4時間貸し切ることで交渉し、最終的には5時間貸し切る羽目に。チャーター代はしめて1万円。

先ずは島の南端部にある港川人遺跡へ。

運転手に行き先を告げても遺跡の場所を知らん!!!。ウーン、こりゃ、タクシーの選択をミスったかな。

八重瀬町に住んでいる運転手の知人を案内人として来てもらうことに。親切なひとたちだ。

案内されたのは、港川人遺跡地を所有する採掘業者の事務所。

遺跡の入口に鍵がかかっているので歴史資料館で鍵を借りろとのこと。

資料館で鍵を借りて遺跡付近へ戻ると、畑地の垣根を押し開け鬱蒼としたジャングルを通り抜ける事態に。

途中、群がり飛ぶハチの巣の横を突破し、さらにハブが潜んでいそうな叢を掻き分けて前進。オイオイ。

しばらく前進すると、急に開けた道に。その先に立派な門が!!!。借りた鍵はこのゲートのものだ。

道を先に行くと視野が急に開け、石灰岩からなる断崖が目の前に(ホーッ)。

雑草を取り除いた崖の右手に狭い裂隙が縦に走る。奥には堆積物がまだ残っている。



近くにガンガラーの谷という観光地があり、洞窟を利用した「Cave Cafe」という喫茶店が営業。

サキタリ洞窟(南城市)は近辺に群在する石灰岩洞窟の一つだ。

沖縄県立博物館・美術館が小規模な初靴調査をおこなっており、グスク時代の遺物包含層の下から旧石器時代の獣骨化石(1万9000年前)が出土している。

訪れたのが土曜日でトレンチにはシートが掛けられていたが、洞窟の規模、トレンチ位置は確認できた。

天井を見上げると、鍾乳石が無数に垂れ下がっている。洞内は、やや湿気を帯びながらも意外と涼しい。

堂内に喫茶店を開業するとはハイカラな…。フランス辺りにはありそうだが。アイデア賞もんだ。




▼港川人遺跡。中央の草の裏に説明板が立つ。

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▼港川人化石を出土した裂隙。想像していたよりも幅が狭い。ここから9体もの人骨が!!。

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▼紫色の花をつけたブーゲンビリア。

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▼サキタリ洞窟全景。地表面から数メートル降りたところに洞床がある。

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▼サキタリ洞窟の内部。コンサート用のステージの奥に小さな開口部が見える。

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▼平和記念公園(糸満市)。右下は断崖。修学旅行生が訪れるスポットの一つ。

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▼平和記念公園資料館。赤い屋根は沖縄の民家をあしらう。緑の芝が建物とマッチ。

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▼沖縄戦の戦没者の名前を刻んだ石碑群。戦没者名は市町村ごとに区分されている。奥は摩文仁(まぶに)の丘。

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▼断崖下の太平洋の荒波が押し寄せる海岸。

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▼ひめゆりの塔。沖縄戦で看護婦として動員された女子高校生たちの終焉の地。献花が絶えない。

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▼ひめゆり部隊の戦没者碑。石碑の前に壕の入口が。

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沖縄本島最古の人類遺跡と沖縄戦最後の激戦地を訪れ、今回の旅行は幕を閉じることに。

平和祈念公園では、戦争を知らない子供たちが修学旅行に訪れ記念写真撮影に興じていた。

戦争の傷跡は世代を追うにつれ風化していくのは世の常だ。 

20数万の民間人犠牲者を強いた沖縄戦とはいったい何だったのか…。日本人ひとりひとりが自問すべき命題なのだろう。



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沖縄残波岬のRホテル

3月2日、東シナ海に沈む夕陽を撮影するため、読谷村の残波岬にあるリゾートホテルにを予約。

かつては周辺にアメリカ軍のキャンプが広がっていたのが、返還されて今は一面のサトウキビ畑に。

当然ながら、ホテルの周りには飲食できる街は見当たらない。

割高のホテル内で食事を取らさせられる羽目に。


水平線上に厚い雲がかかり、雲間から射し込むのは陽光のみ。結局、沈む夕陽は撮れず(ウ、ウ、ウ)。

これまた、お預けかい(涙)。

おまけに夕方から強い雨が降り出し、「南十字星」とまでは欲張らなくとも満天の星の撮影もかなわず(グシュン)。

ホテル内のレストランで夕食を摂った後、床に着くまでの間、13階の展望バーで夜景を肴にグラスを傾ける。

せっかくの期待をはぐらかされ、エエイやけ酒だ。



▼残波岬ロイヤルホテル。沖縄でも最大規模のリゾートホテル。500台は収容できる駐車場を完備。

DSC_2855_convert_20120305231141.jpg (クリックすっと、画像が拡大)



▼ピンクの大きな花を咲かせたハイビスカス。背丈が2m近くあり、見上げるように撮影。

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▼庭に咲き乱れるランタナの花。

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▼珊瑚の粒からなるビーチを散策するカップル。波打ち際に珊瑚の塊も。

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▼砂浜で凧上げに興じる観光客。アレッ、Tシャツに短パン姿で泳いでる女性も(右隅)。聞けば、海水のほうが暖かいそうな。

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▼モズ?。なんかみすぼらしい外見の鳥だ。色鮮やかな熱帯の鳥を期待していたのに…。

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▼夕焼け。水平線に沈む夕陽が見れず残念。

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▼白と茶色のツートンカラーで統一したシンプルなツインルーム。ガラス窓の外に水平線が180度ひろがる。

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▼朝陽を受けた灯台と沖行く客船。絵になる風景だ。海の色は冬の名残をとどめる。

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座喜味城

3月2日、座喜味城(ざきみグスク)、読谷村(よみたんそん)歴史民俗資料館を建学のため那覇から読谷村に移動。

那覇からバスで1時間半の行程。

座喜味城は国指定史跡となっており、これまで数次の発掘調査がおこなわれており、出土遺物から築城時期が判明している学術的に重要なグスクだ。

琉球国王の居城としての首里城と比較するうえでここを訪れることにした。

高台にある読谷村バスターミナルから東シナ海側の海が遠望できた。

ビーチとコバルトブルーの海が素晴らしい。

歴史民俗資料館で知ったのだが、この海岸は記録映像で見たことのあるアメリカ軍の沖縄本島上陸地点だ。

20数万の痛ましい犠牲を出した沖縄戦はここからはじまった。過酷な歴史が嘘のように平和な海が眼前にひろがる。


バスターミナルからタクシーで歴史民俗資料館に向かう。

この資料館は、座喜味城や村内に所在する多くの遺跡からの発掘された考古資料をはじめ多数の展示品や民俗資料、沖縄戦の写真パネルを擁し、なかなか見ごたえがある。また研究紀要も薪数を重ね、地域史研究に貢献している。同行の中国人研究者も感心する。

手荷物をロッカーに預け、カメラだけ肩に掛けて座喜味城へ。

資料館前から松林の中をダラダラ登っていくと、城壁が眼前に現われる。

東シナ海と太平洋を眺望できる、なだらかな丘陵の頂に連郭式のグスクが築かれ、戦略上の要地を占める。

築城の名人護佐丸が築いたという伝承をもつ。

史跡整備にともなう数次の発掘で15~16世紀代の中国産陶磁器(青磁、白磁、染付)、宋・明銭などが出土し、郭内で建物跡も検出された。

これらは中国との密接な貿易がおこなわれたことを示す証拠だ。



▼読谷村バスターミナルから望むビーチ。1945年5月、米軍海兵隊がこのビーチに上陸したところ。中央右の白いビルが宿泊予定の残波岬ロイヤルホテル。

DSC_2797_convert_20120305230555.jpg (クリックすっと、画像が拡大)



▼コバルトブルーの海。沖の列岩に白い波が砕ける。遠くに霞む陸地は本部半島。

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▼座喜味城の外郭とアーチ門。

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▼座喜味城アーチ門。アーチの頂端にクサビが嵌め込まれている。アーチ式の門としては最古のものとされる。

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▼主郭の建物礎石。4間×3間の礎石群。遠くに太平洋の海が見える。

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▼主郭の城壁とアーチ門階段。城壁の曲線が美しい。

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▼訓練飛行中の米軍対潜哨戒機。尾翼から長く突き出た磁気探知アンテナが特徴。大きな輪を描くように旋回。

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▼城壁上の犬走り。外壁の内側に石列があり、築地のような遮蔽構造物が存在したのかも。

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現地を見て気づいたが、このグスクには籠城に欠かせない水場がない。なんとも不思議だ。

スケールも首里城と較べものにならないほど小規模だ。本土でいえば砦に近い城郭だ。


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沖縄県立博物館・美術館

3月2日、強い陽射しの中沖縄県立博物館・美術館を訪れた。

近年開館したもので、沖縄の観光スポットの一つだ。

白亜の外壁は琉球石灰岩をイメージしたものであろう。

開館時間の9時前に到着したため、外庭の石造彫刻、民家の復元家屋の見学に暫し時間を潰す。



博物館館内に入ると、右が美術館、左が博物館に分かれる。

博物館のほうへ足が向き、先ずは係員に展示品の写真撮影の有無を確認。幸運にも庵主の専門時代の撮影はOK(ラッキー)。

地質時代からはじまる琉球列島の地史コーナーが目に飛び込んだ。

琉球列島には長い地質時代を経た島嶼化にともなう固有種(ハブ、イリオモテオオヤマネコ、ヤンバルクイナ等)の生息が知られる。それらはかつて大陸や日本列島と陸続きであったのが、島として切り離されていった歴史を物語る。

さらにまた、ここは日本列島への人類渡来ルートの一つと目されてきた。

沖縄本島八重瀬町(旧具志頭村)の港川石灰岩採掘場の裂隙中で大山盛保氏によって発見され、東京大学の鈴木尚教授によって発掘された約2万年前の化石人骨(少なくとも9個体分)は、東アジアで最も遺存のよい人骨として世界的に有名だ。もちろん高校の教科書にも載っている。

沖縄諸島では港川のほかにも旧石器時代の人骨が数ヵ所で見つかっている。

しかし、不思議なことに旧石器時代の人骨は発見されるのに、石器をともなう生活の跡が一向に見つからないのだ。

これは琉球考古学の最大の謎と言ってよい。この謎を解くため人類学・考古学者による探索が地道に進められている。



▼藁葺き屋根の建物。

DSC_2731_convert_20120305210300.jpg (クリックすっと、画像が拡大)



▼石灰岩製のシーシ(獅子)。ほほえましい造作だ。

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▼イリオモテオオヤマネコの剥製。ペットにでもしたくなりそう。

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▼アマミノクロイサギの剥製。

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▼リュウキュウムカシジカ(絶滅種)の顎化石。体高50cmほどの小型のシカ。

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▼沖縄諸島から発見された旧石器時代の人骨化石。

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自然史コーナー、旧石器時代のコーナーをじっくり見学していたら2時間があっという間に過ぎ去ってしまった。

縄文時代以降のコーナーは次の訪問機会に譲ることに(トホホ)。

昼食をとる間もなく、読谷村へバスで移動。

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那覇の夜

首里城見物から帰ると、那覇の都ホテル玄関で名物「シーサー」がお出迎え。

植え込みの脇に「石敢當」の石碑が建っているのに中国人の同僚が気づく。

「石敢當」は建物を建てるときに、その土地の神を鎮めるために建物の基礎の下に埋めるもので、れっきとした中国の風習だ。中国では地下に埋めるので外目には分からないが、沖縄では地表に立てている。

沖縄の文化が中国の影響を受けている証拠だ。



午後6時半といっても沖縄ではまだ明るい。北海道との時差は1時間くらいあるのかも。

沖縄訪問初日の夜は、国際通りに繰り出して、「泡盛」と沖縄料理で舌鼓を打つことに。

乗り合わせたタクシー運転手から、沖縄の歌と踊りを見物しながら食事する店があるという耳寄りな話を。

沖縄くんだりまでやってきたからには、沖縄芸能を粋を体験するのも悪くない。



その手のレストランが数軒集まる国際通りで降りると、目の前に「古酒家」の看板を上げた酒店が。

地下で泡盛の試飲もOK。

そういえば、半年ほど前にこの手の店に入って泥酔してしまった愛弟子がおったけど(アハ)。

その二の舞を踏まんように、店の呼び込みを振り切り、目をつけた民謡レストランに突入。



店に入りエレベーターで3階に上がると、小さな舞台がしつらえられた広間の隅の席に案内された。

夕食時とあって、本土からの観光客で盛況だ。

まずは渇いた喉を生ビールで潤す。25℃の暑さの中を放浪したので蘇生する思い。

あとは、沖縄踊りを肴に泡盛に海ブドウ、モズク、ニガウリの炒め物、ラフテー、地魚の唐揚げ、鮨の盛り合わせetc。

8時を過ぎると、観光客は潮が引くように引き揚げてしまった。



▼ホテル玄関に立つ陶製「シーサー」と深紅の花をつけたブーゲンビリア。沖縄はどこも花盛りだ。サクラはすでに散ってしまったらしい。

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▼ホテル横の植え込みの脇に立つ「石敢當」。

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▼夜の那覇国際通り。那覇の目抜き通り。9時を過ぎると人通りもまばら。

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▼「古酒家(クースヤ)」。泡盛から焼酎、ハブ酒までとりどり。

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▼民謡レストラン。壁に琉球時代の那覇の繁栄を描いた絵をめぐらす。

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▼「万国津梁之鐘」を描いた前で踊る踊り手。カスタネット様のものを両手に音頭をとって踊る。

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▼笠をかぶった二人組の踊り。

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▼衣装の後ろ姿。

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▼愛しい男の船立ちによる惜別を題材にした踊り。

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9時過ぎ、ほろ酔い気分の中、雨にせき立てられるように退散。

首里城の海風

3月1日、沖縄の歴史を実地に体感するため初めて沖縄本島の地を踏む。

10℃強の京都を離れ、那覇空港に降り立つと25℃の亜熱帯気候。

身にまとった冬装束が場違いだ。

那覇都ホテルにチェックインしたあと、先ずは近くの世界遺産「首里城」を見学することに。

首里城は、琉球国王が居城としたところ。いわば皇居みたいなもので、琉球の歴史が凝縮しとる。

首里城は1945年の沖縄戦で軍司令部が置かれたせいで徹底的に破壊された。現在の首里城は、それを復元したものである。

この城(グスク)は、石灰岩を基盤とする丘陵上に築かれ(他のグスクも同様)、複数の郭(くるわ)を連結する本土の中世山城の構造とそっくりだ。

ただ、アーチ状の城門をもち、琉球石灰岩の切り石を用い、城壁を曲線状に積み上げる点で異なる。後者は朝鮮の城壁の構築法に共通する。

また、中国の都城壁に見られるような馬面(城壁の一部を突出させ、城壁に取りつく敵兵を狙撃する施設)、城門に甕城や虎口を設けることもない。しかし、城壁を曲線にするのは馬面に匹敵する効果をねらったものであろう。

こうしたグスクがいつ頃から造りはじめられたのか、はっきり分かっていない。

15世紀初めに、思紹・尚巴志の父子が山南、山北、中山を統一し首里に琉球王朝を樹立する前に有力豪族が各地に割拠し覇を競った時期があり、伝承ともあわせてこの頃に築かれたとする説が敷衍している。

しかしながら、近年、史跡整備にともないグスクが発掘調査されるようになり、読谷村の座喜味城では出土した中国製の陶磁器や銅銭等の年代観から明代に使用されていたことが明らかになってきた。



首里城は、数百を数えるとされるグスクの中で統一政権尚氏王朝の王宮としての性格をもち、歴史的な意義は大きい。

東シナ海や那覇の港を見下ろす丘陵の頂部につくられ、政治・軍事的拠点として最適の場所にある。

守礼門前に着くと、写真アルバムを手にした艶やかな着物衣装の女性が目に飛び込む。記念写真の勧誘嬢だ。

門をくぐり少し歩くと、道路脇に世界遺産の「田比屋武御嶽石門」があり、その先に歓会門と城壁が見える。

大手門に当たるのが歓会門。明や清の冊封使(さくほうし)がくぐった門だ。切石造りの城門の上に瓦葺き入母屋造りの櫓が載る。櫓の規模としては小さい。


歓会門をくぐると平坦な郭があり、石段を登ると瑞泉門がある。門の脇に龍泉水と呼ばれる湧水がある。石灰岩の岩盤から湧き出る清水が清冽だ。


瑞泉門を入ると高い石壁に囲まれた平坦地があり、甕城・虎口としての性格を見た。

ここから石段を登ると漏刻門があり、くぐるとまた狭い郭がある。ここには日時計が復元されていた。

ここからベンガラで塗られた板壁と朱瓦を葺いた広福門をくぐると山頂部の広い平坦部に出る。ここが首里城の主郭だ。本土の城の本丸に当たるところだ。

頂上の一角に3つの入り口(北京の故宮と同じ)を設けた重厚な奉神門があり、「奉神」の扁額がかかる。この門をくぐると重要儀式に使われる御庭と正殿がある。なお、奉神門の前に石造りの小さな門を構えた御嶽がある。

正殿の裏には基盤の石灰岩を庭石に見立てた庭園がある。蘇鉄が庭木代わりに植えられている。



▼中国の碑楼を模した守礼門。「朱礼の邦」の扁額。琉球王朝の政治理念を窺わせる。小さい頃、この門を図案にした人気の切手があった。

DSC_3037_convert_20120304224400.jpg (クリックすると、画像が拡大)



▼守礼門の斗栱。シンプルな組手に牡丹の花を描く。牡丹は中国人が最も愛する花だ。

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▼琉球風の髪型に艶やかな衣装。守礼門の前に団体撮影用スタンドが設けられ、観光客との記念写真(有料)に応じる。

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▼田比屋武御嶽石門。琉球国王が外出する際に拝礼する重要な御嶽(神霊が宿るとされる拝所)。

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▼素朴な歓会門。大手門に当たる。アーチ門の上に櫓を載せる。

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▼正殿に至る石段と城壁。

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▼龍泉水。いまなお岩盤から清冽な水がコンコンと湧き出る。

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▼漏刻門。時刻を告げる鐘・太鼓が設置されていたのだろう。漏刻門にレンズを向けていると、脇を茶髪でミニスカの女の子が通り過ぎて行った。

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▼眼下の久慶門と城壁。曲がりくねった城壁が沖縄のグスク(城)の特徴。奥に那覇市街地が見える。

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▼独特な様式の広福門(内側から)。ベンガラ塗り壁の塗装がはげ落ち白くなっている。メンテナンスにも費用がかかる。

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▼琉球王朝時代の官人の服装を模した職員。大きな帯の着物姿に赤い帽子。

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▼奉神門と御嶽。この門をくぐると正殿前の御庭に出る。

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▼朱の瓦を漆喰で固めた2層の屋根をもつ荘重な正殿。正面に唐門風の屋根が取りつく。鬼瓦に巨大な龍頭を使用。

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▼正殿前の龍柱。左右に一対立つ。龍は中国皇帝のシンボルでこれまた中国風だ。

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▼華麗な装飾。中心の宝珠のまわりに雲気紋を配する。四本爪の龍が一対。

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▼正殿内の王座。背後の壁に「中山世土」の額が架かる。中華の沖縄版だ。

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▼正殿前での「朝拝御規式」の様子を伝える模型。王の隣席のもと王族・王臣が地位に従って整列着座。

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復元首里城とはいえ、記録に忠実に復元されており、なかなか見ごたえがある。

琉球王朝のシンボル的な城郭として、かつて中国・朝鮮・日本・東南アジアとの中継貿易によって隆盛を誇った栄華が偲ばれる。

この城郭は日本・朝鮮・中国の影響を受けながらも、琉球の築城術の独自性がうかがえる。

それがまた琉球国をとりまく往時の国際環境をも反映したものであろう。


15~16世紀に200年間だけ歴史の狭間に光芒をとどめ、そして歴史の表舞台から消えていった琉球王朝と琉球人にひたすら想いを馳せさせる。

中継貿易に立国する日本の将来を照らす鏡がここにありそうだ。

ここを訪れる日本人観光客のいかほどが、自国の運命をこの地の歴史に読みとることができるのだろうか。


城壁に立つと、東シナ海から吹いてくる海風が、なんと心地よいことか…。

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