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ザウルス出現!!

9月28日。今日も抜けるような青空。昼過ぎには30℃を超え、真夏に逆戻り(ア~ア)。

この暑さじゃ、今年の紅葉も期待できん(ウウッ)。


出勤の途中、近くの石屋さんの前で変わったものを!!。

石のザウルスだ。よくもこんな出入りの激しいものを造ったもんだ。ちょっとした芸術的作品。

墓石販売だけでは売り上げが伸びず、新市場開拓の試みか??。

このザウルス、なかなかユーモラスだわい。思わずコンデジをカバンから取り出してショット。


カエルの彫刻だったらともかく、こんなもん、草庵の庭にはそぐわないし…。

置けるのはせいぜい古生物学教室の前庭くらいか!?



▼石屋の店構え。

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▼石のザウルス。クーッという表情か。

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▼Vサインに見える指が。

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▼野球ボールとバット。

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最近、ネタ切れもいいとこ(涙)。

バタやん、面白いネタ転がしといてや(アハ)。

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テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 日記

新館完成間際

9月25日。 爽快な秋晴れの一日。

烏丸通りに面した同志社大学の新館(良心館)が完成まじかだ。

来年4月からの供用を控え、休日を返上した突貫工事がつづく。

完成したら今出川通り以北の新名所に。


来春には京田辺校地に通っていた1・2回生約6000人がこのキャンパスで授業を受けることに。

3・4回生を合わせると、1万人を超す学生が狭いキャンパスにひしめく。

元あった中学校のグランドを潰して教室棟を新築してもなお教室不足の感を免れず。

大学周辺のレストラン、学生マンションなど、インフラの絶対不足に陥るのは目に見えとる。

レストランなどでは席取りに苦労するだろう。順番が回ってきた頃には授業が始まる事態も…(アワワ)。

食べ物の恨みほど怖いものはない(トホホ)。

昼前の授業は、昼食が気になって授業にならないかも…。



▼完成まじかの新館。

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▼同上アップ。

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テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 日記

蝶と芙蓉

9月20日。晴れ。昼間はまだ暑さが残る。

ここ1週間、教員が罹る「9月病」に!(アカン)。


草庵を一歩出ると、秋の気配が漂う路地にヒラヒラするカラフルな飛翔体が!!??。

オオッ、これはシマグロヒョウモン(蝶の一種)だ。

やがて地面に舞い降り、翅をゆっくり開閉。 アレッ、へちゃっとるのか?。

こりゃ、またとないシャッターチャンス。 愛用のデジタル一眼レフをもちだしショット。

ワンショットの後、屋根の上に消える。 アチャー、連写モードにするのを忘れとった(涙)。

この蝶、写真を撮られにやってきたものか??。


路地裏に目をやると、真白い芙蓉の花が一輪。ウーン、この花に止まってくれたら絵になるんだが。

そしたら、タイトルを「花と蝶」に(フフ)。



▼シマグロヒョウモンの雌。黄色地に黒の斑紋が鮮やか。

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▼純白の芙蓉の花。

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風雲急を告げる日中関係

尖閣諸島の国有化をめぐって、中国の反発が凄い。

中国へ進出した日本企業がターゲットになり焼き打ちされる事態に。

尖閣諸島へ中国漁船1000隻が押し寄せるという風評に浮足立つ省庁も。

領土問題というのは簡単に決着が付けられる筋合いのものではない。

土地争いは隣家どうしでも発生し、互いに引くに引けない厄介な争議だ。ましてや国と国との間の争いとなると、事態はより複雑となる。下手すれば、ときの政権が吹き飛ぶほどの大問題にも。

歴史を紐解くと、領土紛争がエスカレートし戦争になった事例も枚挙にいとまがない。


今回の尖閣諸島の領有権をめぐる騒動は、中国政権内での権力闘争を如実に反映したものだ。

今秋に予定されている第18回共産党大会での政権交代をにらんでの新旧両派の勢力拡大に利用されているのが実情だろう。

したがって、政権交代が終わるまで緊張状態が収まることはないだろう。


今回の中国でのデモ報道を見ていて意外に思われたのは、毛沢東の肖像画を掲げてデモするシーンが目についたことだ。

2005年、2010年の反日暴動の際には見られなかった光景だ。

なんでいま、毛沢東の肖像が!?。あたかも亡霊を復活させた感がある。

これを解くには毛沢東の歴史的役割と評価を認識する必要がある。

党による毛沢東の評価は「功罪半々」というのが公式見解。毛沢東はかつて国民党政権の基盤をなしていた地主から農民を解放し、救世主としていまでも農民には絶大な人気をもつ。

その毛沢東の肖像画をもちだす背景には、改革開放の恩恵に浴さなかった階層(主として農民)の不満が反映されていると見るのが常識。デモには軽い気持ちで参加した若者もあれば、改革の波に取り残された地方農民や不満分子も多数参加しているのだろう。

文化大革命を発動した毛沢東が死ぬまで追求した革命思想を信奉する党内左派が、この機に乗じて勢力拡大を企てているのか。

北京中南海(要人の居住区)の門に掲げる「人民服務」(人民のために奉仕する)の看板が色褪せてきた昨今、毛沢東の亡霊が跋扈するのは改革開放の一つの帰結か。

党内で左右両派が鎬を削ってきたのが、解放以後の中国の現代史そのものだ。

尖閣諸島をめぐる騒ぎの背後に、党大会を控え政権内の権力闘争が透かして見えそうだ。

国際問題が国内問題の延長として表出しているとみなすのは歴史的な常識。

漢や唐帝国のように国力が充実すると、膨張政策(領土拡張)に奔るのは中国の歴史が証明する。

狭隘な民族主義ほど危険なものはないが、それをことさら煽りたてるような日本のマスコミ報道も常軌を逸する。


それにくわえ、両国の間には埋め難い歴史認識の問題もある。

中国とはこれからも長い付き合いをしなければならない一衣帯水の地政学的な間柄にある。

はたして日中双方の政治家・官僚たちが繰り出すカードを誤らなければいいが…。


以下のカットは、今夏に中国を訪れた折、庶民たちの日常生活を写したもの。

為政者の思惑とは別に、日々の生活がある。

平和って何物にも代えがたいもんだ。



▼朝の出勤風景(河南省鄭州市内)。

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▼街路樹の下で麻雀を愉しむ庶民。まさに平和な光景。

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▼新幹線ホームに溢れる乗客(鄭州駅)。整然と乗り込む旅行者の波。一昔前とは変ってきた。

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▼新幹線二等車両内。それぞれに時間を過ごす。

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▼石家庄駅のイルミネーション。手前に国旗と解放軍のモニュメントがデーン。

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▼石家庄市の公務員宿舎と駐車場。まるで外国車の品評会。GM、フォード、ホンダ、日産、BMW、フォルクスワーゲンなどなど。果たして日本車は無事だったろうか。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

秋を告げる花

9月19日。台風の影響でぐずついた天候も回復し、爽やかな青空がひろがる。

湿度も感じられず、爽快。


数日前から草庵の路地に群生する萩がかわいいピンクの花を咲き始めた。秋の訪れを先取りする花だ。

『万葉集』にも詠われた花だ。戦国の世、大田道灌が狩りに出かけ雨に遭い、1軒の農家に雨宿りしたところ、娘が萩の花のついた枝をさりげなく差し出した話は泣かせる。

これぞ大和ナデシコの奥ゆかしさの極み。



萩の名所「梨木神社」の萩は、そろそろ咲き始めただろうか。


萩の花につられ、愛用のカメラを持ち出し、久々にショット。

叢に目をやると、水引草(ミズヒキ草)の花が小さなピンク色の花を。うっかり見過ごしそうな花だ。


薄紫色の花弁を付けたヒメジョオンも一株。帰化植物とあって、花の付き方が賑々しい。


30日は中秋の名月。名月に花が添えば、これぞ風流の極み。さて、今年はどこの名所で月見と洒落込むか…。




▼路地に咲く萩の花。

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▼萩の花up。

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▼水引草の花。

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▼ヒメジョオンの花。

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テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 日記

泥河湾の仏寺

前回の記事に掲げた廃寺のある村にもう一つ仏寺があった。

大きな通りに面した塀に「南無阿弥陀仏」の文字が大書されていた。

どうもこの村は、仏教徒が集住する村のようだ。

常住の僧は見かけず、管理人が不在で、しばらく待たされる。門扉の鍵を管理人に開けてもらい、草蒸した境内に入る。

中庭はびっしり煉瓦が敷き詰められ、隙間から夏草が伸びている。

東に面して瓦葺き切妻造りの観音殿があり、その右手にお堂が立ち並んでいる。

観音殿の説明板に光緒10年(清末)創建とある。欧米列強の侵略がたけなわのころだ。


いつの間にか、物見高い子供たちが集まってきた。

「唐僧殿」の額が架かった中を覗くと、玄奘三蔵と両脇にサゴジョウとハッカイの像が。

中国広しといえども、玄奘三蔵を祀った堂宇を見たのは初めて。


▼金山寺の門。扉に鍵がかかっている。

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▼草茫々の境内。

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▼屋根が傷んだ観音殿。屋内は清掃されており信者が訪れているようだ。

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▼観音殿脇の管理人室。赤とピンクのシャクヤクが仏花の替わりか。

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▼色褪せた観音殿の奥壁壁画。

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▼唐僧殿。玄奘三蔵法師を祀る。

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▼玄奘三蔵像。なかなかの美男子だわい。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

ロバの王国

泥河湾はロバの王国だ。

牧草のあるとこ必ずロバの姿がある。

体高120cmとウマよりは小さく、長い耳とズングリムックリの胴体、ウシの尾に似た尻尾。それに愛嬌のある白い縁取りの目がトレードマーク。

ドン・キホーテの愛馬で、そのせいか愚鈍なイメージが定着。

でも、力持ちで急な坂でも重たい荷を背負ってもへっちゃら。このため中国では古くから荷駄用の駄馬として重宝された。


ここでウマの歴史を一講釈。

ロバは野生種のノロ(野驢、ヘミオヌスウマ)を家畜化したものという。このノロの化石が日本列島でも知られている。

ウマの歴史は古い。泥河湾では指が3本ある小型のウマ「ヒッパリオン(三趾馬)」の化石が出土しており、鮮新世(500~250万年前)からウマの遠い祖先が棲息していた。中国では赤褐色に風化した鮮新世の地層は、この化石を特徴的に産出することから「三趾馬紅土」と呼ばれる。

ヒッパリオンの故郷は北米の大草原地帯(プレーリー)とみなされ、鮮新世にベーリング海峡を超えてユーラシア大陸に侵入してきたものらしい。

ウマは視界の開けた草地に大きな群れをなして生活する動物なので、その頃から泥河湾には巨大な湖の岸辺に草原がひろがっていたのだろう。

200万年前頃に指が2本の真のウマ(Equus属のウマ)が現われる。中国で「三門馬」と呼ばれる絶滅種がそうだ。その化石が泥河湾からも出土している。この種は、秦嶺山脈を越えて南にもひろがり、雲南省まで南下した。

ロバは性格はいたって従順だが、いったん機嫌を損ねたら梃子でも動かん。狭い道路で立ち往生し、御者が困り果てた姿も。

こんな働き者のロバ、不思議にも古代日本には移入されなかった(明治以降移入)。ウマは5世紀には移入されたのに!?。

その理由はよくわからん。ウマが富と権威のシンボルとみなされていた古代日本にあって、ロバの姿かたちは相い容れないものだったのかも。

ここんとこに日本人のメンタリズムが隠されていそうな…。




▼だだっ広い泥河湾盆地の景観。かつて広大な湖が存在した。こんな場所はウマ科の生息に絶好。

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▼飛び立とうとするカケガラスとロバの2ショット。こんな取り合わせはなかなか撮れん。

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▼丈が2mはある見事なヒマワリ。泥河湾の緑野に彩りを添える。

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▼アサガオの花にも似た野花。

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▼のんびり草をはむウマ?ロバ?。

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▼ウマ(三門馬)の頭骨化石(泥河湾博物館)。

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▼両耳がピーンと伸びたロバの仔。耳の間に鬣(たてがみ)が。こりゃカワユーイ。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

泥河湾の廃寺

開陽古城(陽原県)を見学した帰途、小さな村で急停車。

何事かと車から降りると、仏寺に案内するという。それは珍しい。こんな田舎にいまどき寺が現存するとは!!。

村の中を歩いて通り抜けると、村外れに1軒の堂宇が。寺名は静観寺と聞いた。

3間×2間の切妻造りの建物で、片側に庇が突いている。棟端のカーブがいかにも中国的だ。

低い煉瓦塀で囲まれた境内には、ほかに仏寺を思わせる建造物や石碑の類は見当たらない。


建物に近寄って見ると、扉はなくなり、中には仏像の類は一切見当たらない。ただ麦藁が積まれているだけ。

天井際の壁に鳥、野菜、鳥、鯉を描いた画をとどめるだけ。

壁に毛沢東語録の一節と思われるかすれた朱文字が残っていた。

思うに、中国を荒廃させた文化大革命(1966~77)時に、仏像は破壊されたのであろう。住職はどこへ行ったものやら。

建物だけは破壊から免れたのは、村民のはからいによるものか…。

かつて同じような運命をたどった寺を別の村で目にしたことがある。そこも観音を描いた壁画だけが仏寺の面影を残すのみだった。

こんな田舎の寺にも近代史の爪跡が…。この国は、これまで何度廃仏を経験してきたものやら。




▼ガランとした境内。庭に脱穀用のローラーが転がっている。

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▼石積み基壇の上に切妻造りの堂宇が建つ。

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▼見事な欄間彫刻。桁柱に彩色が残る。

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▼龍の透かし彫り。

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▼朱塗りの垂木が剥き出しの天井。壁に鳥の水墨画。

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▼右側に蕪大根の水墨画。また農民的な題材だ。

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▼毛主席語録。

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▼村外れで遊びに興じる子供たち。こんな風景、日本ではお目にかかれなくなった。

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▼昔懐かしい三輪トラック。1950年代には日本の田舎でも見られた。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

チェックアウト

1週間滞在した石家庄市のホテルでのチェックアウト。

今年オープンしたホテルに滞在。従業員も業務に慣れておらず、不安がよぎる。

チェックイン時にVIP会員になると、部屋代が割安になるということで、VIP会員入会費とデポジットとして5名で計7000人民元を先払い。

滞在中、鄭州市に1泊し戻ってくると、またまたVIP会員入会費と追加デポジット(6名分)を要求。

デポジットはともかく、泊まるたびにVIP会員入会を要求するとは、まことにもって解せん(ムラムラ)。



石家庄を離れるためチェックアウトすると、案の定、フロントがデポジット代から割引宿泊費を5人分計算するのに1時間以上かかる(イライラ)。

フロント嬢も日によって交代するので経緯が分からず、お手上げ状態。そこで、フロントマスターの男性が出てきて精算するのに四苦八苦。その傍らで研究所のスタッフが電卓片手に必死に計算。

ホテル側はコンピュータのデータだけが頼りだ。

なかなかホテル側とこちら側の計算する金額が合わず、いたずらに時間が過ぎゆく。

もう、うんざり。日本に帰る5人は、ソファーでぐったり。

険悪な日中関係の時勢柄、あまり強気に出れず、ただただ成り行きを見守るだけ。

結局、どこへ消えたものか計算上不明の300人民元(3600円強)に目をつぶってケリ。

だれだ、こんな複雑きわまりないVIP会員制度を考え出したのは!!。もう怒りを通り過ぎ、呆れてもた。



▼ホテルフロント。左の男性がフロントマスター。

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▼本日の部屋料金表。料金は日々変わる。掲示額通りに泊まる中国人客はいない(笑)。

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▼待ちくたびれた一行。

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▼流し目のチャーミングなフロント嬢。

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▼泊まり客のファッション(その1)

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▼泊まり客のファッション(その2)

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▼ホテル前の大通り。1週間の間に1日だけ青空が。

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▼通勤ラッシュ。自転車のほかに電気自転車が増えてきた。

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中国のホテルでは、通常、チェックインの際デポジット(預託金)として部屋代の倍以上の金額を請求される。カードが使えるホテルでは、それで代用できる。

デポジットは日本にはない宿泊慣行だ。

裏を返せば、宿泊費を支払わずにトンズラする輩がいるということだろう。

またチェックアウト時には各階に控える服務員が部屋の損壊や備品がなくなっていないか調べる。これが済まないとチェックアウトできないような仕組みになっている。

日本や韓国と違い、宿泊客をまるで信用していない。

ただし、部屋に忘れ物があれば、このとき知らせてくれるのでありがたい。

大枚を枕の下に隠し寝て、それを取り忘れた場合にはベッドメイクに来た服務員がチップと勘違いしてありがたく頂戴することも(アハ)。


北京や上海の大きなホテルは手続きがずいぶん早くなったが、地方都市に行ったら30分くらいは見ておいたほうが安全だ。

なんだか、『地球の歩き方』中国石家庄編みたいな記事になってもた(汗)。





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泥河湾博物館オープン

今年6月、河北省陽原に待望の「泥河湾博物館」がオープン。

陽原の新市街地に建てられた県政府庁舎の直ぐ南側に博物館が居座る。

泥河湾という地名は、地学の教科書でも馴染み。
20世紀の初めにキリスト教の伝道でこの地にやってきたエミール・リサンという神父が地元の農民に動物化石を
拾い集めさせ、学会誌に報告したのが一介の僻村に過ぎなかった泥河湾村を世界に周知させるきっかけとなった。

この発見を機に次々と欧米人学者がこの村に詣でることになり、発見された動物群化石は東アジアの更新世初期動物群の標識となった。

1990年代には、泥河湾村の南側にある台地で100~170万年前の人類遺跡が次々と発掘されるにおよび、
東アジア最古の遺跡として世界の考古学者たちの注目を浴びるようになる。


オープンした泥河湾博物館は、中国最古170万年前の遺跡から出土した石器、動物化石から1万年前の細石刃文化まで、ここ30年間に泥河湾盆地で科学的に発掘調査された遺物を網羅的に展示する、旧石器時代に特化した博物館である。

展示品は一人の研究者が発掘したコレクションで占められ、それだけでも驚嘆に値する。

こんな博物館は世界広しといえども、ここだけだ。



170万年前という気の遠くなる悠遠の昔に、アフリカで進化した初期人類が東北アジアに到達していた証拠がここにある。

有名な北京原人遺跡の3倍の古さである。

この事実は、日本の教科書にはまだ出ていない。教科書というのは、30年ほど前の知識で書かれ、進歩著しい科学研究分野では時代遅れの代物。

東アジア人類史の最新の事実を知りたければ、この博物館を訪ねるべし。



▼豪壮な党・県政府庁舎。 

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▼ 泥河湾博物館外観。

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▼3階ぶち抜きの壁面。 

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▼170万年前の馬圏溝遺跡の調査風景ジオラマ。 

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▼ゾウの足跡、マンモスゾウの骨格模型。 

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▼馬圏溝遺跡の展示コーナー。 

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▼170万年前の石器。鋭い石片の道具。 

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▼170万年前の動物の糞石。 

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▼三門ウマ(絶滅種)の下顎骨化石。

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▼ゾウ狩りのジオラマ。

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▼剣歯虎(絶滅種)化石。こんなんに噛みつかれたらひとたまりも…。 

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▼遺跡ごとの展示コーナー。 

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▼3~5万年前のヒト頭蓋骨。肉食動物に齧られた跡が!。 

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▼石器作りのジオラマ。 

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▼訪れた見学者たち。 

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開陽古城

8月下旬、北京から西へ160kmにある泥河湾盆地という田舎に調査で1週間滞在。

スモッグで青空が拝めない北京と違って、ここは抜けるような青空と真白い綿雲が浮かぶ別天地だ。

フィールド調査の合間を縫って、朋友が明・清代に築かれたという河北省陽原県の開陽城堡(古城)へ案内してくれた。

この陽原県へは1992年以来8度目の訪問になるが、開陽城堡を訪れるのは初めてだ。


この城は、泥河湾盆地を東西に貫く桑干河の南側にある。

泥河湾盆地は、戦国時代以来、北方遊牧民族と漢民族とが争奪を続けた前線地帯だ。前漢時代には「代国」が置かれ、前漢の高祖(劉邦)の皇子が封じられた地として知られる。その皇子は皇位を継ぐ。

明代には北帰したモンゴルが南下を繰り返し明朝を苦しめた。1449年にはここから100kmほど東にある土木堡(河北省懐来県)で明の正統帝が捕虜となった事件(「土木の変」)まで起きた。


開陽城堡は1辺が300m、高さ10mの城壁をめぐらす方形城郭で、各辺に「馬面」という城壁から突出した防御施設を備える本格的な構えだ。

城内には、木造瓦葺きの廟堂をいくつも有し、碁盤目状に区画された城内には今も住民が居住する。

さすがに電気は引かれているものの、街構えは築城時と同じだ。まさにタイムスリップした心境に捉われる。


案内者の説明によれば、この城堡は亀の背中に載った形で築城されたものという。南面する城壁の城門の前には亀が首を伸ばしたような地形の高まりが認められ、南城壁の両端から突出する郭(亀の前脚)を備える。

これは「亀城」と呼ばれ、築城に風水思想を反映したものだ。それからして、漢民族が造ったものだろう。


城壁、門楼、廟堂は荒廃にまかされ、このままでは朽ち果ててしまう運命に。

修復・保護の手を加え、史跡として未来に受け継ぐことができないものだろうか。観光資源として潜在的価値をもつと見たが…。



▼馬面を備えた堂々たる城壁(北側)。青空とのコントラストがいい。

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 (クリックすっと、画像が拡大)



▼城壁と門楼。城門の前方に低く伸びる丘が亀の頭。手前と奥の台地が亀の脚。

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▼切り石造りのアーチ式城門の上に立つ木造単層の門楼。

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▼門楼の屋根に葺かれた緑と黄色の瑠璃瓦。

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▼門楼の斗栱。ゾウの頭が見える。

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▼門楼の奥壁。白壁に壁画の跡が。

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▼城内の家屋群。左手に土屋根。右手に壁が破れた建物。

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▼南側の城壁。城壁がひどく破れている。。

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▼門楼からの眺望。正面の山腹・山麓には断層が走る。断層の教科書的な地形だ。

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▼草をはむ牛馬。なんとも牧歌的な風景。こんな情景は2000年来変わってない。

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▼規則堂。学問を教えた建物か。

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▼規則堂の壁に描かれた「千字文」。6世紀初めにつくられた教科書が…。

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▼武神を祀った廟堂。壁は荒れ果て、堂の前の石碑の下部が齧られたように欠けている。

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▼繋がれていたロバの仔。カメラを向けると、近づいてきた。

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▼城内の街路。武装した兵が飛び出してきそうだ。

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▼民家の石壁。板石をジグザグに積み上げ、芸術的だ。

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▼門扉の前で暑さにうだった四つ目の番犬。

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▼民家の入口の壁に書かれた「民約」(村の掟)。

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▼城外に無造作に転がる建築材。

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なかなか珍しいものを見せてもらった。

この村に脚を踏み込むと、数百年間、時間が止まったような錯覚に。

強烈な印象を残して帰途に。



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ジャンル : 日記

北京旅景

8月下旬、尖閣問題でゴタゴタ続きの中国へ。下手すれば、「飛んで火に入る夏の虫」の身にも(汗)。

万一、反日暴動にでも巻き込まれる事態にでもなれば、中国人になりすまし日本車に蹴りや礫(つぶて)をも覚悟。

ただし、日本人カメラマンが周囲にいないことをよくよく確認したうえで…。ここんとこの配慮が肝要(笑)。

これぞ「緊急避難」ちゅうもんじゃわい。さいわいにして、そんな局面にはいたらなかったけど(ホッ)。


北京滞在中、日本からアポを取っていた朋友を訪ねて北京大学へ。

古風な造りの大学西門前でタクシーを降りると、学生と思しき若者たちの人だかりが…!?。

さては反日デモの集会でも!!??(汗)。思わず身構える。

入学式の9月1日(中国・韓国でも同じ。東大でもその動きが…)を翌日に控え、新入生たちが下見に来てるらしい(ホッ)。

今年は北京大学創設90周年を迎えるという。戦前は燕京大学と呼ばれていた。

“北京大学サッカラ―考古・芸術博物館”に案内されると、文博学院開設60周年にちなむ特別展を開催中。考古学を卒業した学生たちのパネル写真や愛用品、ノートなどの展示が延々と続く。

中国考古学を担ってきたキラ星のような著名学者を輩出した名門校の面目躍如たるものがある。

歴史・伝統というもんは金で買えん。

因みに、この博物館はアメリカの財閥の寄付で建てられたもの。「自力更生」のスローガンが叫ばれていた頃だ。

なんという自己矛盾!!。これがわからんと中国人とは付き合えん(アハ)。



▼高層ビルが林立する中関村。北京の秋葉原。若者が集まり、かつて反日デモの出発点になった。

DSC_7870_convert_20120907235900.jpg(クリックすっと、画像が拡大)



▼古めかしい北京大学西門。東大の赤門まがいだ。おめかしの女の子は新入生か。外国人が構内に入るにはパスポートを提示。

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▼学生たちで溢れるキャンパス。龍を彫刻した大理石の石柱。皇帝陵で見たことが。

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▼北京大学考古博物館。アメリカの財閥が寄付。

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▼北京大学構内にある未名湖。ここはかつての「円明園」(離宮跡)の敷地内。塔がスモッグで霞む。

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▼昔懐かしいトロリーバス。京都にもあった。

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▼若者に人気の街のレストラン。話しに夢中。

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ジャンル : 日記

散々な目に

皆さま、たいへんご無沙汰してました。

なかには身罷ったのではないかとご心配をかけたのでは…。思い過ごしかな(笑)。

酷暑の盆過ぎから、尖閣上陸事件で風雲急を告げる中国へ。こんな時勢に中国へ行くのを酔狂に思われた方も。

最初の1週間は内モンゴルに近いド田舎に滞在。ホテルではインターネットも使えず、日本の衛星テレビも見えず、月にでも行ったような気分に。

しかし抜けるような青空が頭上にひろがり、白い綿雲がポッカリ。標高が1000m近く、北京より6℃は低い。日本のような湿度がないので爽快そのもの。

北京をはじめ、都市部はどこもスモッグに包まれ、青空を目にすることはない。中国人は豊かさと引き換えに青空を失ってしまった。


あとの1週間は河北省の石家庄市に滞在。

ここは北京と同じ華北平原に位置し、蒸し暑く連日32℃を超え、最高34℃の日も。5分も歩くと汗が噴き出す。京都と変わらん。

ここは1昨年の尖閣漁船事件で日本人社員4名が人質代わりに拘束された地だ。彼らが拘束されたホテルも近い。

尖閣問題がこれ以上こじれたら、拘束するには格好の標的だ(冷や汗)。


1日の16:37発の便で帰国する予定も、北京空港が豪雨に襲われ、搭乗後2時間も機内に釘付け。なんとも雨に弱い空港だわい。

関空に着陸したのが、午後10時過ぎ。入国手続きを済ました頃には京都行きのJR電車はなくなり、りんくうタウンのホテルに泊まる羽目に。

なにが24時間営業空港だ!!。

ホテルの49階の窓から外を見ると夜景が一望のもと。雲間に十六夜月が冴える。言い知れぬ鬱憤を月で慰める。

結局、2日がかりの帰宅に(トホホ)。これじゃ、朝の便を予約すべきだった。それもあとの祭り。


▼りんくうタウンの夜景

DSC_7890_convert_20120903101429.jpg (クリックすっと、画像が拡大)



▼りんくうタウンの十六夜月

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▼りんくうタウン俯瞰。久しぶりに見た青空が。

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