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田中神社の夏越大祓

6月30日(月)。 梅雨空にときおり青空が覗く一日に。 6月も今日でお終い。

梅雨入り後も、京都は空っ梅雨が続く。この分だと、梅雨明け前の集中豪雨が懸念される。

昨年は、桂川の氾濫で嵐山の観光街に被害があったが、その二の舞にならなければいいが…。


散策の途次、わが守護神大国主命を祀る田中神社に参詣すると、「夏越(なごし)大祓」の茅(チガヤ)の大きな輪が!!。

毎年6月の晦日(30日)は夏越の祭日。

『備後国風土記』逸文の「疫隈(えのくま)国つ社」に記されている「蘇民将来」の信仰に因んで、「蘇民将来」と何度も唱えながら茅の輪をくぐると災厄から免れるという、日本各地に伝わる夏の年中行事。

上賀茂・下鴨神社、北野神社、八坂神社はもとより、京都の小さな神社でも茅の輪がつくられる。

夏期は気温が高く、疫病が流行する季節。

防疫が発達していなかった昔には疫病から免れるには神頼みしか…。

古代からの素朴な信仰が息づいているのも古都の風物詩。

境内の隅に咲くアジサイの花が雨期に彩りを添える。



▼深緑の社叢に包まれた田中神社のたたずまい。

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▼舞殿の奥に見慣れぬものが??

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▼茅の輪だ。脇に立てかけられているのは持ち帰り用の茅。

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▼茅輪越しに葵御紋の御神灯が。

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▼境内に咲くアジサイ。

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▼薄青のアジサイ。

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▼境内に飼われている孔雀も息災。「茅の輪」くぐりでもしたものか?。

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SEAA6会議風景

6月5日から10日までSEAA(東アジア考古学会)の第6回大会がウランバートルで開催される機会にモンゴルを初めて訪問。

この学会は、はじめ東アジアの考古学、歴史学、言語学、人類学に関心をもつ欧米人研究者が政治色を排して立ちあげたものである。

モンゴル人、日本人、中国人、韓国人の発表も多く、東アジアの最新の研究成果を把握できる学会である。発表言語は英語が使われる。


▼SEAA6大会ポスター。草原に立つ「鹿石」が本大会のシンボル。

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▼モンゴル大学のメイン発表会場にあてられた、こじんまりした階段教室。100名収容は困難。

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▼発表風景。スキタイ、匈奴などの遊牧民がデザインにしたシカの生態を研究発表中。

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▼昼食の準備をするコック。ホテルから出張しての用意。

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▼発表会場前でのランチ風景。開催期間中、軽食で対応。

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▼ランチを準備したコック、ウエイトレスたちの撤収。

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▼国際会議を支える裏方の学生スタッフ。コーヒー・ブレイクの一コマ。皆、よく働いてくれた。

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▼英語で持参したポスターの説明をするバタやん。

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10回にわたって連載した「モンゴル紀行」の記事も今回でお終い。

誠実で飾りっ気がなく、素朴なモンゴルの国民性が気に入った。

わずか5日間の滞在であったが、満天の星空、紺碧の空とカーペットを敷きつめたような草原がまぶたに焼きついた。

4歳馬の40km走、モンゴル相撲、弓射がおこなわれる「ナ―ダム(国民的お祭り)」が帰国後に催されたのが惜しまれる。

市場主義経済のもとで近代化が進行する中、伝統的な遊牧文化がどのように変質していくのか壮大な歴史実験にさらされている。

10年後この国はどうなっているのやら…。できれば、自分の目で確かめたいものだが…。

モンゴル国立歴史博物館(2)

以下は、6~8世紀にモンゴル高原に相次いで遊牧国家を築いた突厥、ウイグル系の遺物。

突厥はトルコ系の遊牧民で、6世紀中ごろにモンゴル高原から中央アジアにかけて広大な国家を築いた。6世紀末には東西に分裂し、モンゴル高原を支配した東突厥は630年に、西突厥は7世紀末にいずれも唐に滅ぼされた。その子孫は、小アジア半島(トルコ)に安住の地を見いだした。

ウイグル(回紇、回鶻)もトルコ系の民族で、8世紀中ごろ突厥に代わってモンゴル高原を支配。安史の乱の鎮圧に際して唐朝を助け勢力を増したが、キルギス族の攻撃により四散。新疆地域に残ったウイグル族はイスラム化しながらも、独自な文化を維持し現在に至るが、漢族支配下で民族的な試練を受けている。



▼黄金の冠と帯飾り。7~8世紀。前立てに鳳凰を象る。空孔は宝玉(トルコ石、瑪瑙)を象嵌した痕。

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▼ウイグル人の石像頭部。冠に鳳凰を配する。

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▼突厥の石人。花崗岩からつくられ、手に酒杯を握る。直立し酒杯を手にするポーズはどの石人にも共通する。

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▼金製把手付水瓶と金杯。鳥頭の注ぎ口をもつ。7~8世紀。正倉院に残る「漆胡瓶」に類似。

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▼銀製鹿像。体部に翼を表現。左は復原品。7~8世紀。

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▼山羊の角が素晴らしい馬頭琴(歴史時代展示室)。

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モンゴル国立歴史博物館(1)

6月8日の午後、エクスカーションで議事堂横にある国立歴史博物館へ。

館の建物は大きくないが、展示資料は逸品ぞろいだ。1階は考古資料、2階が民俗資料の展示で占められる。

前庭にはメンヒル(立石)、パスパ文字の石碑、鉄製の梵鐘が。

モンゴル高原の歴史は前期旧石器時代まで遡るが、ひときわ光彩を放つのはステップ(草原)を舞台に活躍した騎馬遊牧民の文化だ。

やたら黄金を好んだコーカソイド(白人)系のスキタイ文化(紀元前6~4世紀)の影響を強く受けた匈奴文化(紀元前3~2世紀)が注目を引く。

北方の遊牧民は、しばしば中国文明と接触をもった。その証拠に中国製の青銅鏡がスキタイのクルガン(首長)や匈奴の王侯の墓に副葬された。

とりわけ匈奴の墓から出土した副葬品にあって、中国の文物(鏡、璧、銙帯)が目を引く。

遊牧民たちが中国の文物にあこがれていた一端がうかがえて面白い。



▼紺碧の空をバックにしたモンゴル国立歴史博物館。

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▼前庭の「鹿石」。角柱にデフォルメされたシカの絵が描かれている。

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▼前庭に置かれた清代(光緒年間製)の鉄製梵鐘。降雨量が少ないんで、錆付かん。

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▼ゆったりした先史時代の展示室。

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▼重厚なハンドアックス(前期旧石器時代)。背が盛り上がるようにつくられている。

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▼穀物を粉砕した鞍形石臼と磨穀棒(新石器時代)。モンゴルに農耕民が?。

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▼動物岩画(新石器~青銅器時代)。ユーラシア大陸に拡がる岩絵の系譜を引く。

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▼「犂耕」が描かれた岩画(青銅器時代?)。

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▼黄金の太陽と月。スキタイ系遺物。モンゴルの国章に採用。

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▼匈奴系の把手付青銅製深鉢。羊シャブシャブ用の煮炊き具?

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▼青銅製の把手付深鉢。この手の容器は朝鮮半島まで分布する匈奴系の遺物。

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▼小型の青銅製装飾品。内モンゴルの「オルドス型青銅器」とも異なる。

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▼前漢代の銅鏡片(上)。紀元前1世紀。破片でも尊重?

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▼玉製装身具。上段は中国からもたらされた璧。紀元前1世紀。

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▼帯金具と耳飾(下段)。紀元前1世紀。

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▼前漢様式の瓦。紀元前1世紀。中国風の木造建築が建てられていた証拠。

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文字による記録がなくともその国の歴史が読みとれる。遺物さえ残っていれば…。

ウランバートル国際マラソン

6月7日(土)。投宿したホテルからモンゴル大学までの道路に警官が大勢張り付き、ものものしい。

国賓でも通過するのかと思いきや、のちほど通りにあふれるランナーを見て「ウランバートル国際マラソン」の警備と判明。

老若男女からなる一般市民も参加し、お祭りの雰囲気が漂う。

マラソンランナーの次は、道路幅いっぱいに自転車レースの集団がやってきた。

モンゴル大学から300mほど離れた国会議事堂前広場がなんだかかしましい。騒ぎに惹かれて出かけてみると、レースの表彰式がおこなわれていた。


▼道路を埋め尽くすランナーたち。

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▼モンゴル国旗を掲げて走る伴走者。

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▼マラソンの後、白バイに先導された自転車レース。

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▼子供も混じるゆる~いルールがいかにもモンゴルらしい。

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▼スフバートル広場の脇に設けられた表彰式会場。ピンクの建物は「オペラ・バレー劇場」。

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▼ゲルを摸したテントの脇に救急車も待機。

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▼特設ステージでのトロフィー授与式。

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▼国際マラソンのエンブレム。これだけは英語表記。

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▼ゲルで見たインド由来の「ガルーダ神」。両手で毒蛇を抱える。ウランバートルの紋章となっている。

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ウランバートルの街の表情

その国の国民性・文化を知るには大通りで30分ほど道行く人を観察するに限る。

ウランバートルの街を歩いていると、やたら銅像が目につく。それもたいてい軍人の像。
 
国家に功績のあった人物を長く記憶するためのメモリアルか。

街を歩いていると、子供たちが「剣玉」に興じているのに出くわした。中国では見かけないので、日本から伝わったものか?

子供たちの身なりもいい。マンホール・チルドレンは昔の話?

建物はロシア風で、ロシアの街を歩いている感覚にとらわれる。ストリートも幅が広く、街路樹が緑の彩りを添える。

人口50万人の都市として計画されたウランバートルは、いまや人口が150万人。急激な人口増加で道路・電気のインフラが追いつかない状態だ。



▼世界に誇る日本文化のカラオケ店。街の随所で見かけた。

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▼銅像の前にたむろする子供たち。

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▼剣玉に興じる子供たち。

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▼ロシア風建築の銀行。

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▼国立モンゴル大学。上階にパスパ文字。

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▼正門前に立ついかめしい軍服姿の銅像。人物名不明。

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▼荘重な造りの国立モンゴル大学。入口に一対の狛犬?が。

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▼どう見てもこれは狛犬。中国文化の影響か?

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▼ベンチでくつろぐ女子大生。カメラのレンズに気づいたか。

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▼女子大生のファッション。日本の女子学生とさほど変わらない。

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▼携帯をいじる美脚の女子学生。

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▼あふれる車(国会議事堂付近)。プリウスの中古車が大人気らしい。

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▼ズラリと並ぶ本の露天商(平和通り)。

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▼日本と馴染みの「相撲会館」。

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▼豪華なチンギスハン・ホテル。

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草原の住居”ゲル”

6月8日の晩、星景を撮影に行ったときのウランバートル郊外のゲルを紹介。

ゲル(パオ)とは、遊牧民が起居する移動式のテント住居。解体して荷車に積んで運搬できる。

内部は意外と広く、中央に薪をくべるストーブ、壁際に5~6人のベッドが据え付けられていた。夜や冬の寒さにも耐えられる。

昔の王侯のゲルは壮大で、車載され数十頭の牛で引かれた。その移動する様は都市が動くようだと言われた。

かつて新疆ウイグル族自治区の天山山脈の天池(標高1500m)でカザフ族のゲルに宿泊したことがあるが、内部は意外と広く快適だった。

太陽が沈むと気温がみるみる下がり、羊の肉が入った薄塩味のスープが身体を温めてくれる。



▼昔ながらのフェルトのゲル。観光用のゲルなので、移動する必要もなく基礎はコンクリートで固められている。

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▼入口に垂れ下げられたフェルトの刺繍。下に湖、中央に火焔、左右に山と雲を表現。

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▼宿泊用ゲル。中央にストーブが。燃料は薪。

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▼食堂ゲルの内部。2本の支柱に支えられ、青空がのぞく天窓は開閉が可能。床に巨大な太鼓が。

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▼祭壇の背後にチンギス・ハンの肖像。脇にはオオカミの毛皮が吊り下げられている。

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▼支柱に掛けられた、キング・コブラを手にする有翼のガルーダ神。インド起源の聖なる鳥を神格化した神。

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▼ナンと野菜、スープのつつましい夕食。

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ウランバートルの国会議事堂

会議の合間にウランバートル市の中央に位置する国会議事堂を訪ねる。

満州族の清朝政府の支配から脱しモンゴルが独立宣言したのは清朝が崩壊した辛亥革命の起きた1911年。

中華民国はモンゴルの独立を認めず、モンゴルをめぐって中国とロシアの綱引きが繰り広げられた。

その後、ソ連の影響下で真の独立へのモンゴルの苦悩が続いた。ソ連による首相の粛清をたびたび受けながらも、ソ連の崩壊によってその頸木を脱した。自立心の強い誇り高い民族だ。

国土面積は日本の4倍を擁しながらも人口約290万人、そのうちの150万人がウランバートル市に集中。

市場経済の導入とともに都市への集住が進む中、2000年以上存続した伝統的な遊牧社会にも変化が生じ始めている。

20年後のモンゴル社会はどのように変質していくのか。

議事堂正面中央に鎮座する巨大なチンギス・ハン像は、民族統合のシンボルとなっている。


▼国会議事堂。

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▼騎馬の将軍に護衛され中央にチンギス・ハン銅像。

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▼チンギス・ハン巨像のアップ。

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▼市民の憩いの場となった議事堂前広場(スフバートル広場)。

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▼正装したモンゴル人夫婦がチンギス・ハン像の前で記念撮影。

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▼国旗にも描かれた国章。上から火焔、太陽、月、雌雄の魚。

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満天の星

6月8日。モンゴル入りしてから雲一つない最高の晴天に。

気温は30℃を超えるも、日本と違い湿度が低いため、木陰に入ると爽やかだ。

しかし、やたら紫外線が強く、サングラスは必携。

夕方の6時半、ホテルフロントのモンゴル人が運転する車でウランバートル市内から約50キロ離れた草原へ星空を撮影に。

ウランバートル市街地をを抜けると、周囲は一面の草原の世界。紺碧色の空と草原の薄緑のツートンカラー。

草原に動めくものといえば、放牧された羊と牛の群れだけ。

1時間半ほど舗装道路を走って、草原のど真ん中にゲルが立ち並ぶキャンプ場に到着。

ゲルの中に案内され、3時間ほどひたすら日没を待つ。11時を過ぎないと星空が現われん(トホホ)。

運悪く、今日は半月が星の光を半減。闇夜が星景を撮るのには最高だが、いたしかたない。

陽が傾くと、急速に気温が下がり肌寒くなる。

星を待ってる間、パンとナン、トマト、羊の温かいスープの夕食で時間を費やす。

11時過ぎ、ゲルの脇にカメラを三脚に装着し、月明かりの影響が少ない方角にレンズを向け星空の撮影にとりかかる。

無風とはいえ、外気は寒い。体感気温が5~6℃に(ブルブル)。長袖のシャツ2枚だけで、身体を温めるためゲルの中と外を往復。

マニュアル撮影でISO感度を上げたり下げたり、露光時間を15~25秒と目まぐるしく変えての撮影に悪戦苦闘。

結局、30カットほど撮影して使えるのは数カット(涙)。 星空の撮影って、意外と難しいもんだ(ウウッ)。



▼牛と羊(奥)の放牧。

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▼老年期の山並み。

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▼ゲルが立ち並ぶキャンプ場。

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▼南の空に半月がポッカリ。山並みが夕陽に赤く染まる。

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▼やたら長~い庵主の影。

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▼草原のトワィライト。

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▼ゲルと星。露光時間が短く、映り込んだ星の数がまばら。

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▼満天の星空。日本ではこれほどの星数は見えん。

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▼中央に北斗七星。

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ホテル界隈の散策

6月6日(金)。モンゴル入りの初日。

チンギスハン空港に降り立つと、まずは現地通貨に両替。4万円出すと厚さ1センチほどのトゥグルク紙幣の束が。

両替が済むと、白タクの運転手と値段交渉。3万トゥグルクの提示を2万まで値切って合意に。

あとで日本語の分かるモンゴル人に聞いたら、市内から空港まで5万ツグベルが相場だそうな(フェー)。

ちと、値切り過ぎたわい(汗)。


ウランバートル市内のホテルまで20数キロ(約20分)の距離だが、夕方のラッシュに巻き込まれ1時間半を要した。

歩道を歩いているひとに追い越されたり、追いついたり…。やたら車が増え、道路のインフラが追いつかん。

目に入る看板の文字は、キリル文字ばかり。英語のアルファベットを裏返しにした書体(ロシア文字)だわい。こりゃ読めん(汗、汗)。


夕方6時を回った頃、やっとチェックイン。

空腹を満たすためホテル界隈でレストランを物色するも、身当たらず。

結局、ホテル内のインド風レストランに突入。運ばれてきた巨大なナンにたまげるも、カレーとも味は上々。

外国で食の選択に困ったら、カレー店に飛び込めば何とかなる(汗)。

緯度が高いんで、10時を過ぎんと陽が沈まん。なお日本との時差は1時間遅れ。



▼投宿先のFLOWER HOTEL。日本のビジネスホテル並みの料金で、フロント係の日本語は完璧だ。

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▼交差点にたたずむ美女。信号はあるが、歩道のペイントが消えかかっとる。

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▼ベーカリー兼コーヒーショップ。英語とキリル文字が併存。

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▼ベーカリーのロゴ・マーク。

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▼コーヒーショップの壁面の装飾皿。文様はなんとなくロシア風のイメージ。

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▼ホテルのカレーレストラン。なんとなくインド風。

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▼巨大なナンとカレー。

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▼ナンを頬張るバタやん。

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結局、モンゴル1日目の印象は、日本に勝る渋滞とカレーの食事に尽きる。

なんでモンゴルまで来てカレーなんじゃ(ホロリ)。明日からが思いやられる(ウウッ)。


モンゴルの旅

このたび、初めてモンゴルを訪れることに。遅ればせながら(汗)。

ブログネタをたんまり仕込んだので、おいおいと披露することに(笑)。

2009年に中国領内モンゴルのシリンホトを訪ねて以来、モンゴル高原に脚を踏み入れるのは2度目に。

関空から仁川(韓国)空港を経てウランバートルのチンギスハン空港まで約4時間半。

モンゴル高原は、スキタイ、サロマタイ、匈奴、鮮卑、朝鮮、モンゴル、女真、突厥、柔然など遊牧民の原郷だ。モンゴル族から出たチンギスハンはユーラシア大陸を征服した世界史上の人物としてあまりにも有名。いまでもモンゴル族の国家的英雄だ。

海抜1000mを超えるモンゴル高原のゴビ砂漠の北側にはステップ(草原)がヨーロッパまでひろがり、スキタイや匈奴をはじめ歴史上に名をとどめた数々の騎馬民族が跋扈した地だ。

モンゴロイド、ツングース系の諸民族が出現した不思議なところがモンゴル高原。

まさに騎馬民族の夢は草原を駆け巡る。

シルクロードの「草原の道」として、ペルシャや東ローマ産のガラスに代表される西方の文物が朝鮮半島や日本まで伝わった。



▼雄大なモンゴル高原。山には樹木が見当たらん。

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▼川の近くだけ青々とした植物が。

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▼つつましいチンギスハン国際空港。

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▼迷彩を施したロシア製ヘリ(シコルスキ―)がエプロンに。

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▼アニメ「紅の豚」で馴染みの複葉機も!!。タイムスリップした気分に。奥にモンゴル人の帽子をかたどった円形建物。

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▼拡大すると、れっきとした旅客機だ。地方空港の草原の滑走路にでも着陸するのか?

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▼到着。ちょっとさびしい感じのするエプロン。

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しばらく本ブログから目を離せませんぞ(アハ)。

写真は帰途(10日)の機上から撮影。

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