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高野川土堤の彼岸花

9月29日。 散策がてら高野川土堤でヒガンバナ(彼岸花)を物色。

その名のとおり、秋の彼岸ころに開花する。

曼珠沙華(マンジュシャゲ)、剃刀花(カミソリバナ)、死人花(シビトバナ)、幽霊花(ユウレイバナ)、捨子花(ステゴバナ)、天蓋花(テンガイバナ)など多くの異名をもつ。

昔は飢饉のときの救荒食として食されたようだが、幼児のころ、毒があると教えられ、口にしたことはない。

田の畦、川の土堤、墓地に群落し、植栽されたものがほとんど。。

10年ほど前、岩手を旅行した折に田んぼのあぜを探したが見当たらず。 今夏には北アルプスの麓でも目にしなかった。

どうも寒冷地には適しない、亜熱帯原産の植物のようだ。



高野橋下流では目にしなかったが、松ヶ崎人道橋の下流右岸で群落を発見!!。 誰かが植えたものだろうか。

遠めにもよく目立つ色だ。

すでに開花のピークを過ぎ色が褪せてきた感が…。 9月も末で致し方ない。

気を取り直し、遅咲きの花を物色し、激写また激写。

川原はサギ、カモ、カイツブリ、ハト、スズメ、セキレイなど野生鳥類の天国。


▼高野川土堤のヒガンバナ群落。

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▼一番鮮やかな花弁の花を探して。

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▼花粉に引き寄せらたアゲハチョウ。 ISO感度を800に上げ、羽ばたきを止めた一瞬を狙って。

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▼ヒガンバナのドアップ。

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▼レンズで狙ったところにハトがひょっこり顔をのぞかせ、ちわっす。

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▼中州でゴイサギが抜き足差し足。

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▼見慣れない小鳥も。カワラヒワかな?

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▼橋の下に憩うカモの群れ。 暗いので露出調整を+3.0にして。 コントラストは、まあまあ。

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撮影機材:Nikon D800E, シグマAPO 50-500mm F4.5-6.3G
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初秋の高野川べり散策

9月29日(火)。 澄み切った青空が広がる一日に。 空気もさわやかで気持ちがいい。

好天に誘われ散策を兼ね、久しぶりに愛用のカメラを肩から吊るし高野川べりをブーラ、ブラ。 格好の散策日和に。

お目当ては、高野川土堤に咲くヒガンバナ。 平日とあって、散策する人もまばら。

それにしても、レンズが重たい。 ズームレンズだけで2.5kg。 カメラ本体・予備バッテリーパックとあわせると4kgにも。 

三脚を持参していないんで、とくに望遠端での撮影はしんどい。


薄い長袖シャツだけで歩いていると汗ばむような陽気。 

ときおり自転車に乗った人やジョギングする人と行きかう。

松ヶ崎人道橋の下手で学生と思しきグループが川原でバーベキュウに興じている。 これもいい。

最近、富に腹が出てきよった(汗)。 特効薬は運動が一番。 やや手遅れの感なきにしもあらず…。



▼抜けるような青空と高野川と比叡山(高野橋上流から)。

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▼陽光にきらめく水面。 飛び石に置かれた亀石。

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▼川原でバーベキュ-に興じる若者たち。土堤に彼岸花、背後の山は送り火の「妙法」が灯される松ヶ崎山。

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▼暑さに耐えかねて、女の子が清流で冷やしたコーラで喉を潤す。 日向はまだ暑い。

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▼比叡山頂の500mmズームアップ。 左下の白い屋根は叡電ケーブルカーの比叡山頂駅。 中央と 山頂に電波塔。

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▼中州で気持ちよさそうに甲羅干しするカモの群れ。

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▼ゴイサギが堰で獲物を虎視眈々。

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▼頭から爪先まで黒ずくめのファッショナブルな女の子。 祖先は忍者かな??(アハ)

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撮影機材:Nikon D800E, シグマAPO50-500mm F4.5-6.3G

中秋の名月

9月27日(日)は中秋の名月。

前日まで厚い雲に覆われていた満月が雲間から顔を出す。

京都では中秋の名月にちなんで、観月会やコンサートが催される慣わしだ。


せっかくの日曜にもかかわらず会議に引っ張り出され、小田原評定さながらの会議を終え窓の外を見やると、東山の峰にかかる中秋の名月がポッカリ。、花鳥風月を愛する庵主としては最高の舞台設定だ。

ふとメールをチェックすっと、上洛したバタやんからのメールが!!。

帰途の伏見からUターンさせ、円亭で久しぶりに伊勢産の魚をつつきながら歓談すっことに。



前回、女将の口から大将が今年喜寿を迎えたのを耳にしていたんで、ストックしていた紹興酒を手土産に。

早速、居合わせた常連の医者夫婦とともに紹興酒のおこぼれに預かることに。

ただし車で来たバタヤンはアルコールは法度。

そこに、屋久島に昨春赴任した教え子から電話が入り、近く銘酒を携えて上洛するという嬉しい知らせ。

酒量はずいぶん落ちたものの、銘酒を味わう舌はまだまだ健在(アハ)。

秋の夜長は、気心の知れた教え子たちと酌み交わす酒に勝るものはなし。 これぞ人生の極みか…。



▼東山に昇る赤い満月を400mm(200mm+2倍テレコンバーダー)ズーム撮影(2011年9月撮影)。

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満月の下に写ってんのはロケット??? こんなとこにH2Aの発射台はなかったはずじゃが…。ひょっとしてUFO!?


栗の話

クリは、クルミ、シイ、トチなどとともに秋の山野・人里に実をつける堅果類の代表種。 

長い針のようなイガをまとったクリの実は、人目に立つ秋の風物詩だ。



縄文時代には、集落近傍の日当たりのいい場所に自生(移植?)していたと思われ、その実は縄文人の胃袋を満たした。

かつてクリ農耕論を提唱した学者もいた。 縄文人がクリをどの程度コントロールしていたのかは定かでないが、半栽培のレベルにあったことは否定できない。

クリの樹木は、東日本の縄文時代にあって建築材、丸木舟として広く使用された。有名な青森県三内丸山遺跡では、建物の柱根として遺存し、注目された。

クリはもともと東日本の落葉広葉樹林の構成種で、西日本の照葉樹林帯の縄文遺跡からの出土例は稀だ。

現在、商品として市場に出まわっているクリは、品種改良を重ね実を大きくした栽培種。

栽培種に比べて、芝栗の実は小さいが、甘味が強い。 砂糖がない時代の縄文人はクリの甘味は格別なものだったに違いない。



今回の調査でお世話になった西丸震哉記念館の周囲には樹高20mほどのクリの大木が散見され、熟すとイガとともに自然に落下し、そのけたたましい音に一瞬肝をつぶす。

運悪く頭上に落下しようものなら、針のようなイガで負傷を免れない。 クリの木の下での調査も命がけだ。



▼熟して地表に落ちた栗。

落栗cut
 (画像をクリックすっと拡大)




▼野生種に近い小ぶりの栗。 西丸震哉記念館中庭で採集。

芝栗




▼葉と実が大きい栽培種の栗。 畑に植えられ、高く成長しない。

栽培栗



秋の夜長に、囲炉裏の灰の中に埋めた焼き栗の味覚はまた格別だ。 皮をむいて栗ご飯にするもよし。

青木湖の水神社

9月16日。 今にも雨が落ちてきそうな空模様。 雨はフィールドワークには禁物。

小丸山遺跡の石器石材(花崗閃緑岩)の原産地を探索のため、5万分の1地質図をたよりに青木湖西岸の水神社をめざす。

青木集落を上り詰めた昼なお暗い杉木立の中に水神社が鎮座。 

web検索によれば、社殿に「丸木舟」が保存されている旨記されている。

社殿脇に保存された「丸木舟」は槽(飼馬桶)だ。 外見は丸木舟と類似するが、丸木舟にしては両端が垂直に断ち切られ、前兆が2mと短過ぎる。

考古学者の中にも、丸木舟と間違って報告した例もある。



「地質図解説」によれば、水神社の裏に青木花崗岩の露頭の記載がある。

砂防ダム脇に山道はあるものの、草がやたら生い茂り、ひとが通った形跡がない。 ここの里山も荒れている。

腰の高さまで草が生い茂った道を踏み分けて50~60m上ったところで、花崗岩の露頭を発見。

転石となった塊を取り上げると、紛れもない花崗岩だ。 石英質の部分が多く、粘り気を帯び、石材としては申し分ない。

小丸山で石器に使われた礫はもっと小ぶりで、よく水磨されたもので、下流の河床で手に入れたものに違いない。



▼昼なお暗い木立の中に鎮座する水神社。

水神社 (画像をクリックすっと拡大)




▼社殿脇に保存された槽。

保存された槽




▼槽のアップ。

槽




▼青木花崗岩の露頭(水神社裏手)。

青木花崗岩露頭




▼露頭から遊離した青木花崗岩の角礫。

青木花崗岩


花崗閃緑岩製の旧石器

西丸震哉記念館(長野県大町市)杉原館長による小丸山遺跡(大町市)の試掘で見つかった旧石器を実見し、花崗閃緑岩製の礫器が含まれているのに驚愕。

花崗閃緑岩を使った利器は、いまだかつて旧石器時代はもとより、縄文時代にも知られていない。 

少し大げさだが、考古学上の大発見だ。

器面にところどころ黄色い粘土(ローム)が付着しており、もともと包含されていた地層が窺える。



7月に続き、その年代を解明するために同僚・学生とともに現地へ再び足を運ぶ。

今回のフィールド調査で、花崗閃緑岩の産地を確認。 青木湖の西側に接する仁科山地が原産地だ。 ここはフォッサマグナの西側「飛騨外縁帯」に位置し、中生代に形成された深成岩。 地質図では 「青木花崗岩」と称される。

この花崗岩は、粘り気のある石英を基質としたもので、石器の石材としては願ってもない。

石器の形態は中国や韓国の前期旧石器時代(約4万年前以前)にありきたりのチョッピング・トゥールだ。

さらに使用石材の面でも、韓国で見つかっている石英岩製の前期旧石器と一脈通じるところがある。


果たして、これらの礫器がいつころ残されたのか、僅かの手がかりをもとに脳の酷使(?)がつづきそうだ。



▼花崗閃緑岩製の礫器(No.1)。 右下に礫面を残し、剥離痕で覆われる。 上辺に山形状の刃部を作り出す。

礫器1 (画像をクリックすっと拡大)




▼小ぶりの花崗閃緑岩製の礫器(No.2)。 両側縁に水磨した礫面を残し、上半に大きな剥離痕がくっきり残る。

礫器2



▼花崗閃緑岩製の断塊(chunk)。 片麻岩を捕獲している。

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▼流紋岩製剥片。 白い石英の斑晶が見える。 この石材は青木湖西岸の仁科山地に産する「木崎流紋岩」。

流紋岩剥片





少し時間はかかりそうだが、石器の年代が確実に把握されるのもそう遠くない。


大町市のテフラ

大町市小丸山遺跡の旧石器包含層の年代を究明するため、9月14日から17日まで北アルプス東麓の木崎湖東岸一帯で地質調査。

木崎湖東岸一帯は、立山火山から噴出した火山灰を含む降下堆積物が厚く堆積し、研究上の標式地となっている。

立山火山から偏西風に乗って東方に降り積もった立山D(100~130ka)、立山E(40~50ka)の軽石が厚く堆積する。

さらに大山(鳥取県)の噴火で飛ばされた大山-倉吉火山灰(DKP; 40~50ka)も降下している。


小丸山遺跡の旧石器の年代を確定するには、これらの年代基準となる鍵層の火山灰と旧石器包含層との層位的関係を把握する作業が欠かせない。



▼大町スキー場近くの大露頭。 高さ約10m。

大町スキー場露頭 (画像をクリックすっと拡大)




▼露頭のクリーニングで現れた新鮮な地層断面。 人物の前の黄色い地層が立山D軽石。

大町スキー場クリーニング




▼立山Dテフラの降下ユニット。 水平に堆積した数枚の地層から、爆発的噴火が数度にわたって続いたことがわかる。

立山D降下ユニット


大町一帯は更新世の火山灰やロームが厚く堆積し、旧石器を探すのには絶好のフィールド。

これまで大町市内で旧石器時代遺跡が見つかっていないのが不思議なくらいだ。 探さなければ、あるものも見つからないのは道理だ。


落城悲話

木崎湖南岸に小さな丘がある。森城の跡だ。

森城に隣接して、阿部神社が杉木立の中にひっそり鎮座する。 森城傍らの湖岸に1枚の看板を見つけた。 

千国街道(糸魚川街道)を扼する森城の落城にともなう伝承が記されている。

北信の名族仁科氏の家臣阿部貞高が守備する森城が木曽氏軍の攻囲に遭ったとき、城主が湖水を潜って脱出しようとしたが、場内で飼っていた犬や鶏が後を追って泳いできたために攻囲軍に知られて討ち取られたという悲話だ。

この城主(阿部貞高)、日頃よほど犬や鶏をかわいがっていたのだろう。 しかし、それが命取りに。

なんとも痛ましいエピソードだ。 「飼い犬に手をかまれる」どころか、命まで取られる結末に。

その後、住民は鶏、犬を飼わず、阿部神社には鳥居も立てないことにしたそうな。

まるで「日本昔話」にでも出てきそうな話。



▼木崎湖南岸の森城(左手の森の中に阿部神社)

仁科神社遠望 (画像をクリックすっと拡大)




▼松林の湖岸

赤松湖岸




▼湖岸に立つ看板

看板




▼杉木立の中の阿部神社社殿

仁科神社



中綱湖

青木湖と木崎湖の間に中綱湖がある。 湖というより池に近い。 

近くに鹿島槍スキー場がある。 麓からゲレンデを見上げると、恐ろしいほどの急斜面だ。

水面が鏡面のように周囲の樹林の影を映し出す。 紅葉の季節であれば最高の撮影ポイント。

訪れた時期が2週間ほど早かったか。

湖面に映った樹林を撮影しているとシラサギが湖面をなめるように優雅に飛び去っていく。 シャッターチャンスだ。




▼鹿島槍スキー場。

鹿島槍スキー場




▼湖面に姿を映してシラサギが飛翔。

湖面と白鷺 画像をクリックすっと拡大)




▼湖面の浮草。

水草




▼可憐な白色のコスモス。

白コスモス




▼栽培栗の実。

栽培栗

木崎湖にも秋の気配

木崎湖は、糸魚川ー静岡構造線の真上にある堰止湖で、完新世になって湖が形成されたらしい。

糸魚川ー静岡構造線の西側には中生代ジュラ紀に形成された古い岩石(花崗閃緑岩、流紋岩)からなる仁科山地がある。


湖は夏休みに入ると避暑客で賑わうが、お盆過ぎには客足がバッタリ遠のく。

これは野尻湖、白樺湖でも同様らしい。 夏場の一月だけが稼ぎ時となる。

木崎湖周辺の山々にはスキー場が乱立するが、ここ10年、スキー愛好者の激減でスキー場の閉鎖が相次ぐ。

観光客の減少で、店を閉めたホテル、旅館、民宿も少なくない。 そのうち中国人富豪が別荘でも…。


夏客がいなくなった湖も、寂寞感はあるものの、それもまた捨てがたい。




▼木崎湖の北岸。 この湖の真ん中をフォッサマグナが南北に貫く。

木崎湖北半 (画像をクリックすっと拡大)




▼湖岸のススキの穂。

湖岸のススキ




▼蜂と蝶のコラボ。 花蜜吸いに余念がない。

蜂と蝶




▼湖岸の小鳥。

湖岸の小鳥




▼対岸に仁科神社の杉木立。 黄金色の稲穂の向こうに園児列の帽子がのぞく。

園児と仁科神社

北信濃の初秋

9月14日~17日の間、調査のため長野県大町市木崎湖に滞在。

北信濃は、もう初秋の気配が漂う。

北アルプスの麓とあって標高が800mを超え、朝晩には肌寒さを覚える。


北安曇野から白馬を経て糸魚川にいたる峡谷には、本州を南北に分けるフォッサマグナ(糸魚川ー静岡構造線)が走る。

大町市の青木湖、中綱湖、木崎湖が北から南に連なり、青木湖のすぐ北に分水嶺がある。

湖岸の林間には別荘が点在し、避暑地として利用されている。

古来、この谷は日本海と信濃を結ぶ交通路として知られ、縄文時代には「ヒスイの道」、歴史時代には「塩の道」(千国街道)が走っていた。

ヒスイの原産地「小滝川」は姫川の支流にある。

「安曇」という地名からして、古代の海人族として知られる安曇氏との関係が議論されてきた。




▼木崎湖俯瞰(小熊山から)。右手奥に大町市街。

木崎湖俯瞰 (画像をクリックすっと拡大)


 


▼秋の訪れを告げるススキの穂と桜紅葉のコラボ。

桜紅葉





▼ピンクの花をつけたコスモスが風にそよぐ。

ピンクコスモス





▼中綱湖岸にたたずむシラサギと黄金色の稲穂。

中綱湖のサギ




▼冬に備え、早くも除雪車の試運転。 西日本ではまずお目にかかれない。

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MRI検査

9月9日。 中型台風18号が近畿・東海地方に接近中。 

一昨日は台風の襲来を前に路地の水溜りに砂利を入れたり、裏庭の伸びすぎたナツグミの大きな木の枝を伐採に大わらわ。

グミの木は、根が大きく張っていないため、生い茂った枝が強風を受けると倒れて、板塀を破壊してしまう危険性が。

久しぶりの力仕事で筋肉痛に。 腕・足の筋肉が目に見えて落ちてきとる(涙)。


昨日は、定期健診で府立大学病院に。 

数年ぶりの腹部MRI検査。 前夜から飲食を厳禁され、のどの渇きを抑えて検査室へ。

狭所恐怖症のきらいがあるため、筒状のカプセルを目にしただけで脱走したい気分に。

耐えられなくなったら出してもらえるのを再確認して、カプセルの中に。 まるで打ち上げ時の宇宙飛行士さながらの気分。

身体をベルトで固定され、グワーン、グワーンという音と鳥のさえずり声みたいな音が交錯しながら耳を襲う。

たびたび20秒の息止めが指示されるや、苦しさで顔が変形しそうに。 中学生のころは50秒潜水してもヘッチャラだったのが…。

30分ほど経過した後、カプセルから解放。 大げさだが、地球に生還したような気分に。

検査結果は前回の検査から特に変化なし。 やれやれ。



難民問題で揺れるEU

9月7日。 空が白む中、草庵の裏庭でなく虫の鳴き声が、秋の本格的な到来を告げる。 

テレビのスイッチを入れると、ヨーロッパを揺るがすシリア難民のニュースがトップ記事に。

難民が退去して押し寄せたハンガリーはパニック状態に。

トルコの海岸に漂着した幼児遺体の映像が流れるや、それまで難民受け入れに慎重な態度を見せていたドイツ、オーストリア、フランス、イギリスが救済に大きく舵を切った。

メディアの影響力の大きさをあらためて見せつけられた。 

ヨーロッパへ渡った中東諸国からの難民は、累積20万人を越えるらしい。 これはまさに民族大移動だ。

難民問題の元凶は、シリア内戦の激化にある。 アサド政権と反政府勢力の武力抗争、さらにイスラム国による支配地の拡大によって三つ巴の内戦状態に。 国民は長期の戦火の中で多大な犠牲を強いられ、それに耐えられず国外脱出という究極の選択をとらざるを得なかったのだろう。

国連や国際社会は、シリア内戦の収束に腰が引け、積極的な行動をとれずにいる。

資金力が豊富な湾岸諸国は宗派対立を抱え身動きがとれず、オバマ政権もイラク介入の後遺症でシリア情勢に及び腰だ。

中東の混乱を収束する出口は見えてこない。 日本やアジア諸国はこのような国際情勢を横目に傍観を決め込むだけ。

秋刀魚が危うし!

9月6日。 今日もまた雨が篠つく。 ここ1週間、雨、雨また雨。 晴れ間が覗いたのは1日だけ。

秋雨前線が日本列島の上に居座っているのが原因だ。

今年はペルー沖でエルニ-ニョ現象が以上に発達し、東太平洋の赤道直下は、ハリケーンの温床となっている。

このハリケーンが日付変更線を西へ超えたら、「台風」(英語名; タイフーン)と名称が変わる。


エルニ-ニョ現象と連動したものか知らんが、幼児期からの好物のベラが旬を過ぎてもなかなか「円亭」(伊勢産の海鮮料理店)に入荷せず。

例年と異なり、伊勢の海でベラが獲れんらしい。 黒潮の潮流に異変が生じているのか。

そういえば、例年8月中旬に初入荷する秋刀魚(サンマ)も見ない。

これまた親潮の潮流に異変が生じている証拠か…。



8月下旬、マーケットを覗くと、新サンマが2匹で795円の値が!!(高っー)。 とても庶民が口にできる値段ではない。

新サンマ食べたさに、ついつい衝動買いの羽目に(トホホ)。

それを金網で焼いていたら、匂いにつられてネコが一匹、戸口に待機!!。 昔からネコとサンマは馴染みの取り合わせ。

その後、値が下がり、いまや1匹150円の平年並みに。



▼銀色に輝く新秋刀魚。昨年に比べて小ぶりに。

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最近のテレビ・新聞報道によれば、北海道沖のサンマ漁をめぐって中国・台湾漁船が出没し、乱獲の動きが伝えられる。

回遊魚のサンマが北海道沖の日本領海・排他的経済水域に到達する前に、中国・台湾漁船が大挙して公海上で網を入れているようだ。

尖閣諸島の警備に多くの巡視船が動員され、警備が手薄になった小笠原沖で200隻もの中国漁船が高価な赤サンゴ獲りに群らがった事件は記憶に新しい。 もう、領海も排他的経済水域もあったもんじゃない。

東シナ海の漁業資源が枯渇すれば、やがて北海道や三陸沖の漁場はもう中国・台湾漁船の草刈場。

秋を告げる秋刀魚が食えなくなったら、江戸時代以来の庶民の食文化が消滅する事態にも。

「秋刀魚文化保存会」か「秋刀魚新党(?)」でも結成しなければ…。



かやぶきの里

7月20日。 峰定寺を訪れた後、常照皇寺への道を間違え、「かやぶきの里」(京都府南丹市美山町)へ寄る事態に。

日本海に注ぐ由良川の上流に位置し、背後に山を背負った南向きの山麓に数十軒の萱葺きの民家が保存されている。

ここに来ると、江戸時代の村里へタイムスリップした思いにとらわれる。

近代以前の山里の面影をとどめ、近年、観光地として脚光を浴びる。 村おこしのさまざまな催しがなされ、国道脇に道の駅も。


かつては鯖街道の一つとして若狭から京都へ抜ける間道が村の近くを通っていた。

昔はどこの集落にも民家の屋根を葺く萱を育てる「萱場(かやば)」があって、村の共同管理に任されていた。 

1軒の萱葺き屋根が傷むと、萱場から萱を刈り取り、村人が総出で屋根葺きに精を出したものだ。 

村の共同作業を通じ、団結を維持する重要な行事とされていた。 この村も、何百年間もこれを維持してきたのであろう。


瓦葺き屋根が増えていく中で、村の共同体意識も変質を余儀なくされるのであろうか。





▼萱葺きの里の遠景。 瓦葺き屋根の家もチラホラ。

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▼わらぶきの民家。 萱葺きの傷みが激しい。

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▼村の入り口に立つ地蔵堂。 邪悪なものの村への侵入を防ぐ願いを込める。

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▼苔むした屋根。 破風の水巴紋飾りが火災除けの願か。

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比叡山頂の星景

8月15日。 雲がなく月もない闇夜をねらって、比叡山四明岳の駐車場で星景写真撮影に挑戦。

星景撮影って意外と難度が高い。 月齢、気象、撮影環境、使用機材に左右されるし。 昨夏、モンゴルで経験済み。 

かすかな光源の星を撮影するには、三脚にしっかりカメラを固定し、ISO感度、露出(絞り)、露光時間(シャッタースピード)の設定が鍵を握る。

あまりにも被写体が小さく光も弱い星には、最新のデジタル一眼レフカメラのオート・フォーカスもお手上げ。


絞りを開放にし、ISO感度、露光時間を変えながら試し撮りを重ねて適正露出を決めるしかない。 試行錯誤の連続だ。

比叡山頂といえども、京都や大津の市街地に近いため都市の明かりが反映し、肉眼ではせいぜい三等星くらいまでしか見えん。

「天の川」なぞ肉眼ではとても…。

3時間ほど駐車場の脇に居座り、数十枚シャッターを切って、使えそうな写真ってせいぜい数枚(ウウッ、涙)。


日本の本土で天の川が肉眼で見えるところ、今どき!?

宇宙から眺めた夜の日本列島の写真見ても、都市明かりで上空まで覆われとるし…。

これぞというところあったら、是非ご教示を!!!。 なんとしてでも遠征撮影に赴かねば。

教えにくいと思うけど…。 よほどの田舎と思われそうだし(笑)。




▼薄暮の大津市街。300mmズームレンズ撮影(2011年8月撮影)。

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▼比叡山頂の星空。 右下の明かりは八瀬の里。 左下に北斗七星。

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▼これって天の川?。 白っぽくモヤッとしたところが…。

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撮影機材; Nikon D800E、TAMRON SP 24-70mm F2.8 DI VC USD ( f2.8 ISO400~1600、8~30秒)、三脚

大悲山峰定寺

7月20日、避暑を兼ね、バタやんの車で洛北の古刹「大悲山峰定寺」を十数年ぶりに訪ねる。

ここは京都市内から鞍馬峠を越えた北山の奥にあって、訪れる観光客も稀な人里離れた山寺。

平安時代末に平清盛が作事に関わり、鳥羽上皇や藤原氏一門の避暑地としても利用された。 断崖に舞台をしつらえた清水寺風の堂宇が有名。

深山とあって市内と比べたら9℃ほど低い26℃。


境内の杉の巨木は圧巻。 樹齢数百年はあろうか。 手を触れると杉のオーラが伝わってくる。

桧皮葺の山門の前には神木の高野槙(コウヤマキ)が1本。大きな洞が年代の古さを物語る。 かつては北山一帯にも高野槙が原生していたのであろう。

古墳時代には高野槙が棺材として使われ、 発掘事例がそれを物語る。 『日本書紀』にも「槙は棺材に用いる」という記事がある。

百済の武寧王の木棺も高野槙で、韓国には自生しないので倭国(日本)から輸入されたものと考えられている。


庫裏で受付をしている年配の女性と話を交わしていると、近年、野生のシカ、イノシシ、サルの頭数がとみに増え、人里に頻繁に出没し栽培植物への食害がひどいらしい。 過度の動物保護意識が人を恐れなくさせた原因のひとつだという。

こうした現象は、いまや日本各地で報じられ深刻な社会問題となっている。




▼緑陰の参道。青空にひとむらの白雲が。

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▼参道の杉の巨木。 樹高30mはあろうか。

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▼杉木立の奥に峰定寺山門。

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▼清楚感が漂う山門。

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▼神木高野槙の巨大な樹幹。 大きな洞がなんとも痛々しい。

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▼庫裏前の清流。 紅葉の季節は最高の撮影ポイントになりそう。

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▼連れたちは何をショット?

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鴨川三角州の花火

8月1日。 実習室の大掃除・打ち上げの後、鴨川三角州(賀茂川と高野川の合流点)に繰り出し、バタやんを交え、ささやかな花火大会に興じる。

ここの花火は学生時代の昔から夏をいろどる風物詩。 いまでも涼をもとめる子供や若者たちの溜まり場だ。

ここでの「打ち上げ花火」は厳禁。 ただし、「手持ち花火」についてはお咎めなし。

昼間は35℃を超える猛烈な真夏日が続く中、ここだけは川面をわたる涼風が心地よい。

飛び石に腰を下ろし、流れに足を浸すひとたちも。

熱帯夜には、星空の下、河川敷の芝生の上で寝てたら涼しくて最高だろうて。




▼頭上に満月がポッカリ。

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▼勢いよく火柱が。それも10秒ほどのはかない命。

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▼両手で線香花火に興じる。

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上七軒歌舞練場ビアガーデン

7月23日。 春学期の最後の授業の後、ゼミ生9人とTA2人をともない上七軒にある風流なビアガーデンへ繰り出す。

朝から雨が降り続くも、夕方になると奇跡的に回復し、青空が雲間にのぞく。 全員の日ごろの行いのせいか!?

テーブルに案内され、周囲のテーブルを見やると、年配の客層ばかり。 

すでに1ヶ月前に予約し、奥まった植え込みに近い席をこちらから要望。


空を見上げると、以前にはなかった開閉式の天井が!!。 雨への対策か、商魂たくましい。

宴がたけなわになると、皆、浴衣姿の芸妓、舞妓との話に興じたり、携帯を取り出しスナップにせわしい。

瞬く間に2時間が過ぎ、歌舞練場入り口で集合写真を撮り、お開き解散。

4年間の京都での学生生活の思い出に、一度は古風な花街での風流を経験させるのも悪くない。

今年で何年目になることやら…。




▼盛況のビアガーデン。串団子紋の提灯がいやがうえでも雰囲気を盛り上げる。

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▼浴衣姿も凛々しい舞妓はん。

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涼を求めて貴船へ

今夏の京都市の最高気温は39.1℃。 熱中症患者を移送する救急車の出動回数はうなぎのぼり。

7月17日の祇園祭から8月中旬までは、連日うだるような暑さが続く。 一時は、今夏を生きながらえられるか心底懸念。

年々、最高気温が更新され、来夏はいよいよ40℃代に突入か??ブルブル。



8月9日、猛烈な暑さに溜まらず卒業生を誘い、京都の奥座敷貴船へ涼を求めに。

ここは緑豊かな峡谷の谷底にあって、市内より数℃は低い。

おりしも旧暦の七夕祭りが貴船神社で開催中。 短冊に書かれた願文がまた興味を引く。

境内から対岸の青モミジに目をやり、目の保養。


貴船川に渡された「ひろ文」の川床に降り立つと、備え付けの寒暖計が20.5℃をさす。 

10分もいると、涼感を越え肌寒さを覚える。 市内の気温とは15℃の差が!!!  夏のシベリアにいるような気分に。

川床料理に夏用のメニューを予約したのは失敗。 すき焼きか鍋物をセレクトすべきだった(涙)。

帰りの叡山電鉄の社内は中国人観光客で満席。 中には粋な浴衣姿の中国人女性も。

京都はどこに行っても外国人であふれとる。 観光業界の笑いが止まらん。




▼貴船神社の参道。長い石段を登るのに苦労。

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▼社殿脇の七夕飾り。青モミジが目に優しい。

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▼貴船川の川床。凍えるような川水のカーテンがひときわ涼を誘う。

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ブログ再開

自宅で使用中のデスクトップPCがおシャカになり、新規購入までの2ヶ月間、ブログ配信停止の事態に追い込まれておりました(涙、涙)。

愛読者の皆様にはたいへんご心配をかけ、ひとえにお詫びいたします(ペコペコ)。

中には、庵主の生存を案じておられた方も…。

この間、溜まりに溜まった迷惑メールがなんと3万通も!!!!(仰天)。 うっかり開こうものなら、ウイルスに感染し、最悪の事態にも(ブルブル)。

迷惑メールを完全消去すっのに数時間を費消!!!(モーッ、怒怒怒怒…n)。

ブログ再開にともないスナップ写真をアップしようとするも、圧縮ソフトがインストールされておらず、アップ不能に(トホホ)。

事態の改善後、おいおいアップしやすんで、ご期待(?)のほどを。

洛倭亭庵主 謹言



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